膝裏に思いっきり長椅子がぶつかるのには意識が痛いと叫んでも声にはならなかった。それよりも目の前に唐突に現れたものに声を失っていた。
 ヴァルディアは「それ」を片手で持ち上げながら、嘆息する。
「……やはり、まだ駄目だったか」
 フェルは無言のままで何度も首を振っていた。駄目だという意思表明はしたかったが喉が動かなかった為の代替行為だ。黄金は構わず、テーブルの上にそれを丁寧に転がす。
「安心しろ、まだ爪を立てられる程じゃない」
 まるで同意のつもりなのか、にぃ、と鳴き声が聞こえた。フェルは更に後退ろうとして背後にテーブルがある事を恨みたい心地で硬直する。気付いたらしいディナが少し離れた場所から声を向けて来た。
「猫ですか?」
「ああ」
 あら、と言って、ディナは薪を炉に組んで石を幾つもその中に入れて火を付け、そのままどこか急ぎ足で食料庫の方へと行ってしまう。その間に鞄から出て来たのは白と茶と灰、三匹の小さな猫だった。溜め息の音。
「成猫が駄目なのは知ってたが」
「子猫でも猫は猫じゃないですか!!」
 やっと声が出たと思ったら思ったよりも大声になってしまったが出て行ったものは取り返しがつくものではないので放っておく事にした。それよりもそのふわふわとしたものは。フェルは退路をテーブルに断たれたままじりじりと横に移動して距離を置こうとしながら、ごろんとテーブルの上で転がる三つから眼が離せないまま再び絶句する。
 猫は駄目だ。犬は好きでも猫は駄目だ。あの鳴き声だけでも駄目だ。言葉にすれば苦手というたった一つの語で済んでしまう、それをもってして文句を言い立ててしまいたい程度には駄目だ。嫌いと言ってしまうにも多少の語弊が生まれてしまうがそれももう構わないかと思える程度には駄目なのだ。
「棄てるつもりだったのが、まだ残っていましたから。使ってください」
 視界の横から籠が現れる。脇に来たディナが、使い古しなのだろう布巾をその中からテーブルの上に出しながらの言うには、ヴァルディアは鞄から温石の包みと見るからに暖かそうな布の数枚を取り出しながらそれに頷き返した。
「助かる。湯を用意してくれ、一度洗わないと薄汚い」
「そうだと思いましたから、もう既に。火を熾すならついでですから重湯も作りますね。……フェル、どうしたの?」
 そこでようやく声を向けられて思わず両手でその腕を掴んだ。眼を瞬かせた彼女にはただ首を振る事しか出来ないフェルに代わって、ヴァルディアが木箱に布を敷き詰めながら口を開く。
「天敵だ」
 一度そちらを見たディナは腕を掴んだフェルを見下ろして、そうして口元を覆って笑い声を上げた。眼を泳がせるフェルに、ディナがその頬をつつく。
「どうして? 可愛いでしょう、子猫」
「か、可愛いのは分かるんです、よ……」
 そこは否定しない。否定しようが無いのは理解している、猫のふわふわやら生物としての造形が所謂可愛らしいやら愛らしいの範疇にある事は重々承知している。事実そうとも思う。だが。
「何かあったの?」
「……その……小さい時に……」
「に?」
「不用意に冬の野良猫に手を出して流血する程引っ掻かれた」
 言葉を探しているうちに横から言われてしまって掴んだディナの腕に顔を伏せた。ディナはまたからからと笑う。
「それで苦手なの? もっと怖いのなんて沢山居るでしょう、野良犬とか、狼だって」
「犬は良いんです……犬は上下関係作れるし躾できるから良いんです……狼はそもそも森林歩き回らない限り遭遇しないから良いんです……!」
「『異種』戦闘の第一線人員が」
「それとは別じゃないですかこれって!!」
 顔を上げて丁度持ち上げられていたそれが見えて再び固まった。固まった、という事が自分でも分かるくせにどうともならないのが口惜しい。ヴァルディアは何ともない手つきで白いのと茶色いのと灰色のとを箱の中に収めていた。鞄の中では静かだった子猫が今ではにいにいと独特の鳴き声を上げていた。
「どこで拾ったんですか、この季節に」
「碑の部屋でな。どうやったか潜り込んだらしい、そのまま居着いても困るから拾って来た」
 ヴァルディアが再び口にしたその名称には、ディナはああ、と呟くだけ。思い切り身体の引けているフェルに片腕を掴まれている状態でも届く箱の中の子猫に指先で触れて、そうしながら声は長官へと向けた。
「……暫くは交代で見ましょうか。あとは孤児院に?」
「そのつもりだが、面倒を見る意志のある所属者が居れば、だな。協会でも、見る人間が居るのなら禁止はしない」
「それは、本気で?」
「既に私自身が鷹を飼っているからな、言えないという方が強いが」
「あの鷹は、本当にヴァルディア様の? 何度か執務室で見かけましたけれど、噂だとてっきり」
「……飼っている、と言うには多少遠い気もするがな。湯はどうだ?」
 どこか曖昧な返答に続いて問いを向けられて、ディナは疑問符を浮かべながらも竃の方へと行ってしまう。流石に引き止められずに手を離して、それでヴァルディアの方を見れば灰色の一匹を腕に抱えていた。身体が固まるのはなんとか回避しながら、どうやら彼の指先に縋るようにしながら鳴いているらしいその動向に注意しながら問いかける。
「か、噛んだりしません……?」
「まだ歯が生えていないから噛まれても問題無い、爪を立てられても傷にはならないしな。……逆に、どうやったら成猫とはいえ流血するまでの重傷を負えるんだ」
「だ、だって……」
 あの時は純粋に触ってみたかったのだ。毛並みはふさふさしていたし形が見るからに丸かったしで柔らかそうに見えたのだ。当時は気性の穏やかな大きな犬がいつもすぐ近くに居たから、そのようなものなのだろうと、幼心に好奇心を発揮させて手を伸ばしたのだが、結果は侍従が慌てふためいただけだった。
 当の本人はと言えばただただひたすらに呆然とした後に唖然とした後遅れてやってきた恐怖に震えていた記憶がある。あまり思い出したくない。
 ヴァルディアは抱えたその子猫の全身を検分しながら、まだ全身で逃げたいと訴えたままのフェルを手招く。大丈夫だと念押すようにするそれにも、だからといってすぐに大丈夫になれるわけでもないのにと思いながら、そろそろと窺うようにそちらに距離を詰めてみる。箱の中には残りの二匹、白と茶が絡まるように丸まっていた。
「……ち、ちいさい……」
「……生まれてすぐだろうな、五日経っているか……眼も開いていないくらいだ、早くに見つけられたからまだ良かった」
 放っておいたら凍死していただろうと前肢の肉球を押しながらヴァルディアが言う。親猫はとは、訊かない方が良いだろう。思いながらもう一度箱の中を見下ろした。
 ちいさい。両手で十分持ててしまえるくらいしかない。重なり合った白と茶は震えているようにも見えた。厨房はいつも暖かいが、それだけでは足らないのかもしれない。
「……だ、大丈夫なんですか……?」
「世話を間違えなければ。ディナ、どうだ」
「もう少し、待ってください」
 声が向いた先からの返答、ディナはあちこちの棚を開いては閉じして何かを探しているようだった。どうしたのかと思っている間に、猫を抱えたもう一人は灰色を箱に戻して今度は茶を持ち上げる。高いみゃあみゃあという鳴き声が分断され、箱に戻された灰色は白と重なってもぞもぞと動いていた。
 迷う。可愛いのはそうだと思う。正直この小ささの子猫に何をされるでもないという事も頭では理解できている、ように思う。だがこれがあれになると思うと。きっと誰の手も無ければそこまでにもなれないだろうとは予想はついても、だが。
「フェル、少し手伝ってくれる?」
「あ、はい!」
 ディナの声に慌ててそちらへと顔を向けてすぐに駆け寄る。距離を空けられるのは有り難い、はずなのだが、何となく気にかかる気持ちは抑えられないままで竃の方へと向かった。近付いて見やった先では火が二つに入れられていて、両方に鍋が掛けられていた。片方を覗き込みながら彼女は言う。
「薬缶で湧かすよりも手早いからこっちにしたの。今そっちの金盥に入れて温度を調節してしまうから、そうしたら持っていってくれる?」
「わかりました。そっちは?」
「重湯を作るから、その為のよ。少ないからすぐにできると思うけど、その前に、ね」
 言うディナがちらと上げた視線でテーブルの方を示す。眼を向ければ茶色が長官の腕の中でひっくり返っているのが遠目に見えた。鳴き声は、ここからでも聴こえる。眼を瞬いた。
「……なんだか扱い慣れてません……?」
「あら、知らない? 長官この街の色んな場所の猫溜まりに出入りしては遊んで帰ってくるの」
 思わず眼を見開いてディナを見上げた。大振りの鍋を前にミトンを着けた彼女は、もこもことしたその手を口元に当てて小さく笑う。
「蒼樹に動物が居るの珍しくないのよ。みんな拾って来るから。放っておけないのね」
「そ、そうなんですか……」
「犬なんかは野犬になられると、家畜にも被害が出るかもしれないから、警備隊が何とかしたり、番犬として育ててくれたりもしてるわね」
 猫はああだけど、と、長官の方を示していいながら金盥の中に沸いた湯を注ぐ。別に汲み上げておいたらしい水を入れて指先で温度を見てから、よし、と一言おいて彼女はフェルを見やった。
「私はこっちで火を見ているから、持っていってもらえる? 少し重いし……近付く事にもなるけれど」
「え、ぅ、だ、大丈夫ですよ……っ!?」
 からかうような表情は見て取れても言われたそれを否定するのに一杯いっぱいでそこまで反応できなかった。そのまま笑みを浮かべるディナに布巾を二つ渡されて、それを両手にして示された盥をゆっくりと持ち上げた。
 ずっしりとしたそれを零してしまわないように気をつけつつ、視線をあまり向けないように気をつけながらテーブルへと運ぶ。丁重にと思っても波打ってしまうのを多少はらはらとしながらも問題の生物の居るその場所から少し離れたところに一旦据えた。
「……えっと」
「警戒するなら見ていた方が良いんじゃないか?」
「……いやなんか鳴き声の時点で既に無理が」
 何か返そうと思って口を突いた言葉に本音が出た。この上で姿を見たら絶対落としていた。布巾を当てていたのを除けてから、一息置いて、覚悟を決めてそろそろと横を見上げる。袖に乗った小さい前肢から小さな爪が覗いているのが見えた。
 すぐ傍に液体があるという状況が自制を生んだのだろう。ゆっくりと距離を取る。金盥から十分に間を空けた事を眼で確認して、ゆっくりと背を向けて、そうしてフェルはその場にしゃがみ込んだ。前の方から苦笑の気配、後ろからは溜め息の音に続いて声。
「無理に慣れろとは言わないがな」
「……怖いわけではないんです。怖いわけではないんです。駄目なんです」
「言われなくとも知っている」
 にべもない。いつも通りのそれにしゃがんだまま俯いた。そうしている間に後ろの方では暖かい湯に手を浸したヴァルディアが一人頷いて、抱えていた一匹をゆっくりとそこに浸していた。湯に肢が触れた途端に激しくなった鳴き声とそれに肩を跳ねさせた視界の端の一人に彼は隠しもせずにもう一度溜め息を吐いた。
「……怖くないのは嘘だろうと思うがな」
「条件反射なんですよ……!!」
 吐き出すような呻くような悲鳴のような声で返されたそれには僅かに呆れたような表情を浮かべながら、熱すぎないようにぬるめられた湯を掛けられてそれこそ悲鳴のように鳴き続ける茶色が暴れるのを押さえ、その小さい身体を濡らして軽く擦るようにする。すぐに透明だった湯がぼんやりと濁り始めるのを見て眼を瞬いた。
「石鹸でも持ってくれば良かったか……」
「……も、持ってきます?」
「お前は逃げたいだけだろう」
「口実潰さないで下さいよ……」
 やっぱりそうか、という呟きにフェルは更に頭を抱えた。逃げさせてもらえない。もしかして面白がられているのではないかと、やはり目に入るのも嫌で恐る恐る振り返った先では、黄金はいつもと変わらない様子で子猫を洗っていた。
 猫が嫌いだと言う事は彼も知っているはずなのに何故呼ばれてしまったのか。緩く、細く息を吐き出して、よろよろと立ち上がる。ヴァルディアを見る。
「……噛んだりとか引っ掻いたりとかはしないんですよね……?」
「しない。爪が引っかかる事はあるが」
 茶色は先程よりも落ち着いているのかあるいは疲れてしまったのか、長官の手の上でくったりと伸びて途切れ途切れに声を上げていた。慣れた手つきでそのまだ短い毛並みを洗い、腹や尻尾の先までをそうしてから横から布巾を取り上げて手早く包み、がしがしと拭う。その近くへとそろそろ寄って来た銀を横目に見てヴァルディアは一度手を止めた。にぃ、と鳴き声。もぞもぞと動くものを手に感じながら言う。向けた先は自身の背。
「……人を楯にするな」
「だ、だって」
 ヴァルディアの上衣の背を握ったフェルは口ごもりながら手に力を込めた。手早く茶色い毛並みから水気を拭った彼は新しい布巾を拾い上げて茶色をそちらに移してフェルを向いた。
「座れ」
「うぇ」
「動きづらいと言っている」
 言われてしまっては居座る事も出来ない。渋々上衣を掴んだ手を離して、立ったままで作業を続けている黄金の隣、問題の生物からというよりは惨事をもたらしてしまわないように湯が張った金盥から距離を取って備え付けの背の無い椅子に腰掛けた。ベンチのようなそれに落ち着いて、息をついたところで、横から腕が伸びて来て差し出されたそれを反射で受け取る。受け取ってしまってから、布地の向こう側のぬるくてやわくてくたくたしたものがうぞめくのが分かって硬直した。構わず言う声。
「抱えていろ」
「――拷問ですか?」
 声が冷えているのが自分でも分かった。振り切れている。恐怖も嫌悪も騒いでいられるうちが花だと誰かが言っていたような気がした。返答の調子は変わらない。
「そうするつもりなら成猫を持って来る。抱えているだけで良い、生まれたばかりは自分で熱を作れないで簡単に凍死する」
「うわぁあぁあああ」
 なんでそんなのを渡すのかと言おうとして胸中のうめきの方が声に出ていた。助けを求めようと思って顔を向けた先のディナは火の様子に気を取られているのかこちらに気付いた様子も無い。厨房、この広い空間の中に彼女以外の誰もが居ないわけではないが、わざわざ声を上げて助けを求めるのも違う気がして動けなかった。力が入って固まってしまったような両手の上でそれでも動いているのが分かってしまって震えながら項垂れる。片手で受け取ろうとしなくてよかったと思うべきところだろうかこれは。にぃと鳴く声の間隔が次第に狭まっている気がする。主張されなくともこの布巾の中に茶色のそれが入っている事は分かっているのだが。
 胸の前に捧げるようにした両腕がつらいと唐突に思考に浮かんで、フェルは努めてゆっくりと深呼吸を挟んでから、同じようにゆっくりとその包みを自分の膝の上に置いた。生き物と思えない程柔軟にぐでんぐでんと動き伸びる感触に何故か異様にはらはらしながら手の上から不器用に膝に降ろして一旦安堵に息を吐く。そうしてから二つ折りで覆うようにされていた布巾の端を摘んで、ゆっくりと持ち上げる。
 見えた茶色は前肢も後肢も投げ出すように伸ばしてひらべったく広がっていた。小さく鳴いたと思えばもぞ、と動いて、伸びていた身体を丸めようとする。
 横からまた腕が伸びて来て茶色の据わりを適当に直す。使い古しの布巾とは見るからに違うふわふわとしたタオルで巣のような形を作ってくれる、それと同時の声。
「そのまま抱えていろ、投げるなよ」
「触れないので問題無いです」
 タオルごとでも自分から持ち上げる事は出来なさそうだからというのと、故に放り出して逃げも出来ないからという文句を含めたつもりだったのだが、向けた先のヴァルディアは単にそうか、とだけ返して金盥を持ち上げて調理台の方へと行ってしまう。湯を取り替えるのだろうとは分かったから、眼で追う事もしないで、代わりに自分自身を落ち着ける為に深く息を吸い込み、緩やかに吐き出す。一度眼を完全に伏せてから、仕方ない、と自身に言い聞かせて視界を開く。もぞもぞと動くのを感じて眼をやれば、丸くもなっていないような状態のままで小さく揺れているようだった。調理台の方の二人が何かを交わして、長官が新しい湯を持って後ろを通り過ぎてテーブルにそれを据えるまでの間迷って、明確な答えが見つかる見通しも立たないまま左手を伸ばしてタオルを外側から寄せる。膝の上でその茶色が転がれる範囲をそれで狭めてやれば、まるで壁のようになったそのタオルに寄りかかるようにした茶色はそのまま動かなくなる。据わりがやはり悪かったのだろうかと思う傍らそんなのどうしようもないじゃないかと八つ当たりをしたくなった。別に文句をつけられたわけでもないのにとやはり平静には程遠い思考のまま茶の動向を窺う。動かなくなったら本当にぴくりともしなくなった。別の意味ではらはらし始めるのが自分でも分かる、というよりも、今は自分の事を把握するので精一杯だった。
「……ヴァルディア様」
「何だ」
 呼びかければすぐに返って来る。合間になーと間延びした猫の鳴き声。悲鳴や威嚇のように聞こえなかった分と何かが既に飽和しているのとが合わさってだろう、さほど反応せずに済んだ。問いを続ける。
「……寝てるだけですよね?」
「触ってみて動いていたら生きている」
「触れないです」
「無理か」
「無理です」
「不可能か?」
 言葉に詰まった。語彙が変わっただけなのに変に同意を重ねて返せないようにして来た。沈黙が落ちた事が事実上の返答だとは流石に分かって嘆息する。それでも逡巡しているうちに、二匹目を湯から引き上げたヴァルディアが一匹目と同じように布巾で水気を拭いながら声だけを向けて来る。
「怖がり過ぎだ、不必要にな」
「……怖いものは怖いじゃないですか……いや怖いというか怖くはないんですけど危機は遠ざけておきたいじゃないですか……」
「刷り込みが過ぎている。食事の好き嫌いですら時々で自然と変わるものを」
 言われてまた言葉に詰まった。嫌いが克服できるのは確かにそうだという体感があるから尚何も言えない。自然と選んだ言葉なのかあるいはそうしようとした結果なのかは分からないが。そうこうしているうちに膝の上に二匹目の灰色が足されてしまって天を仰いだ。これはもう、立てない。
 ヴァルディアはまた金盥を抱えて調理台の方へと行ってしまう。水気を拭われたといっても乾いては居ないままの二匹がうごうごと動いて寄り合おうとしているのを見て若干ほっとした。よかった、まだ生きていた。何か悪い事をしたかと思っていた。遠い方でディナの頻繁ですねという声には思った以上に薄汚れていたと答える声。ああそういえばお腹空いたなあと思っているうちに二匹は膝の上でのタオルで出来た渦の中で寄り添ってくてんとしていた。丸くならないと寒くないだろうか。逆に野の生き物には暑いのかもしれない。加減が分からない。いつの間にか茶と灰は動きを止めていた。これはまた無駄にはらはらする流れだ。服と布巾が重なっている所為で動きと熱は伝わって来るのにそれ以上が分からない。生きているのであれば鼓動が判りそうなものだが。後ろをヴァルディアが通り過ぎて金盥をテーブルに据える。
「……ヴァルディア様」
「何だ」
「……投げたりしたら流石に怒りますよね」
「お前はどうしてそこまで猫が駄目になれたんだ?」
「逆にどこで猫を可愛いと愛でられる素養を培えたんですか」
 裏手で頭をはたかれた。手が濡れていた所為で顔に飛沫が来た。袖で拭う。三匹目の鳴き声も聞こえていたが既に慣れが来ていたらしくそれと言って反応せずに聞き流せている。聞き流しながら、腕を上げたそのついでだと思う事にして、浮かべた右腕をゆっくりと膝の上に降ろしていく。引っかかられたり噛まれたりしない場所、と、思って、まるで俯せるようにしたその灰色の方の首の後ろの方へと指先を持っていって。
 触れた指先に熱源。濡れた短い毛。そしてそうと伝わって来た次の瞬間にもぞりと動いてにぃと鳴き声。思わず肩から背中までをぞわりとしたものが這い上がってとっさに手を引いた。息が詰まった数秒の無音。
「……うぁあ……」
「……どうした」
「……破きそう……」
 横からは溜め息が聞こえた。




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