――二日連続で寿命縮めるハメになるとは思わなかった。王宮の中でも特に高位の貴族が通されるであろう部屋、応接室だろうか、そこで母の横、一歩下がった位置に立ったまま、溜息を吐き出した。ソファに優雅に腰掛けた母が振り返る。
「どうしました」
「……グラヴィエント、王子、王女、国王。この国の所謂『大手』全部に順番で喧嘩売ることになるとか思わないじゃないですか……」
「喧嘩は確かに売っていますが、すぐに『なかよく』なっているので良いのです。お前が喧嘩を売った王子以外は」
「……胃が痛い……」
「この程度で動じるなど。大陸を相手にして尚勝ち取る者が商人と教えたでしょう」
「無理とは言いませんけど、もう少し時間をください……連戦だとやっぱりまだかなり消耗しますから……」
「へえ、ディアネルの倅も人の子か。良い胃薬融通してやろうか?」
「変な混ざり物がなければ是非」
 母とはテーブルを挟んだ対岸、少し距離のあるところからの声には力なく応えた。ンなもんはねーわな、とこの部屋で豪放磊落に笑えるあの神経が羨ましい。堂々と優雅に紅茶を口にしたかと思えば開口一番茶葉の保存方法が悪いと言い切った母も母だが。
「そういやどうしたんだ、王弟と王子二人はディアネルに突っ込んで繭玉ンなってるって聞いたが」
「蛾の育成でもあるまいし、そんなことはしておりません。ただうるさいので『ハコ』に詰めて出荷……もとい、お運びしただけです。王弟殿下は馬車で離宮までお送りしました」
 本当に気に食わないって思うところ似てるんだよな俺とこの人。今の所一番の被害者は王弟殿下だ。何の責任もないのに急にディアネル商会の支部に向かわされ、人殺しの目をした門衛たちに部下と引き離されて応接室ならぬ応接櫃に閉じ込められて一晩を明かし、翌日の朝にはなんの説明もなく馬車に投げ込まれて王宮に送り返された。さすがに不憫に過ぎる。最初に手を上げたのが玉命に逆らった王子なのだからその本人だけを標的にすれば良いじゃないか、と、手を上げられた張本人が思う程度には、不憫だ。魚の運送に使われた直後のあの独特の生臭さが残った箱に文字通り詰められて蓋は釘され運ばれていった王子たちも不憫だ、自分もまさかこんなことになるとは思ってなかった。本当にこれ不敬罪だの侮辱罪だのに当たらないのか、と王女に訊いてしまったのだが、返って来た返答は笑顔付きの「日が明けた今はもう王族ではなく準貴族、それも従騎士の身ですから、そのまま他国に出荷していただいても陛下からは少しの咎めもありませんわ」というものだった。送られていったのはアイラーンの領地だ。王が下した沙汰通り、ということらしい。
 この国の女怖い。敵に回すことだけはやめよう。
「ところで」
 その王女の声がして顔を上げる。望んで下座に腰を落ち着かせた彼女は、どうやらこちらを見上げて疑念を口にしたらしい。なんだろうと思って首を傾ければ、同じように彼女の首も傾いた。王女の冠がわずかに光を弾いて輝く。
「『グランツァ・フィーヴァ』は、随分とお若くていらっしゃるのね。お幾つなのか尋ねてもよろしくて?」
「今年の秋で八になりました」
 自分で答える前に母が返してしまう。あら、と口元を押さえた王女と、へえ、と軽く目を見張ったような総長の視線が同時に突き刺さる。
「……どうしたらそんなに長じられるのかしら。わたくしの友人にも、それはもう幼い容貌で、それでいて心はとても長じた魔道師がおりますけれど、とても不思議」
「ちょっと育成方法が違うので……」
「元々言葉も学びも早い子でしたから、苦労は致しませんでしたね。三年も行商に引き回せばこうもなります」
「行商に? 三年間ということは、五歳の頃から? ……いやだわ、私の五歳の頃なんて、まだ絵本しか読んでいないくらいだったのに」
 どうしよう、と王女の思い悩む声が聞こえて居た堪れなくなる。総長の方は、単純に感心しているようだった。
「……その歳で『手』に使ってる奴ァ、グラヴィエントにもいるがなぁ。流石に『手伝い』ができる奴なんか探してもそうそう見つからねェぞ。なあ、やっぱ条件変えねえかフィメル、その倅こっちに欲しい」
「遣りません。そちらの倅を欲しいとわたくしは思いませんから」
「えぇーいいだろー? お前んとこ他にも子供いるんだしよぉー?」
「密輸海路の安全保障で我慢なさい。欲を掻けばまた白昼に晒される危険のあること、よもや忘れたわけでもないでしょう。むしろ唯一の倅を大事に育てることこそしないで何が『身内の安全を』、ですか。恥を知りなさい」
「……なァ倅、お前の母さんいっつもこうなのか」
「…………黙秘権を主張します」
 問われた途端に現れた母の背の圧力に勝てなかった。精々それを言うだけで精一杯だった。家ではこんなに怖い人ではない。むしろ優しい部類に入ると思う。でも少しでも商売の匂いを感じ取れば変貌する。守銭奴ではない、完全に完璧にどこまでも商人なだけ。
 本当にこの人を口説いて根負けさせた父って凄いんだな、と、昨日から一体幾つの扇を投げつけられたのかわからないがとりあえず今頃本部で意気消沈しているだろう父への感嘆と同情がどんどん上塗りされていく。三児の母と父なのに。ちらと見やった母の手元、今の扇は檜扇に精巧な透し彫りのなされた見るからに上等な品だ。王女と面を合わせた時の薄く漉いた紙を貼り合わせた東方伝来の扇は第二王子に投げつけられていたのを目撃している。勿体無い、とは王女とともに呟きが漏れた。母曰く安物だから良いとのことである。そういえば柄も質素だったし香りがついてるわけでもなかったな、と思い返して気付いたが、気付いた頃には東に向かう荷馬車が走り出していたところだった。なんだかそういう歌があった気がするが、思い出しても良い気分にはなれそうにないので記憶を浚うのはやめにした。膝の上に頬杖をついた猫背の姿勢で総長がさらにこちらに声を向けてくる。
「どういう仕事してんだ? 大体は他の奴らがやるんだろ、交渉とか、渉外とかはよ」
「どちらかといえば実務です。諜報、密偵の二つが主な仕事になりますね。商いそのものよりも、商いをよりやり易くするために動く仕事が主になります」
「……それこそ八の餓鬼にやらせるかよ……」
「八の子供だからこその使い方です。あなたはもう少し子供の使い方について考えるべきでしょう」
「いやだから俺は身内の子供は使わねえ派だっつってんだろ……?」
「身内こそ使わないでどうします」
「……苦労していますのね、『グランツァ・フィーヴァ』」
「……そんなには」
 慣れちゃってるからなあ、が建前で、それ以外になかったからなあ、が本心だ。気付いたら行商人をしていたのだから。
「ところでなんだが。その呼び名なんなんだ?」
「『グランツァ・フィメル』はイグリスからつけられた渾名です。わたくしの出自には真名を伏せる風習がありますから、コウハの一族がそう呼んでくださるそのままで名乗っております」
「倅もその流れか?」
「そう呼ぶようにと母が方々に言いますので」
「お前の兄も姉も職人気質ですから、後継はお前か、フィズカフィズヴァの双子かで考えております。だからそうしているだけのこと」
「……ディアネル商会もグラヴィエントも進んでおりますのね。イグリスなんて、王家の家庭教師が扱える程度でしかありませんのに」
「わたくしも知っている程度のこと。多少は話せますが話す相手がまずおりませんからね」
「俺は知らねえさ。語学なんかは渉外担当がやってっから俺がやる必要ねえし。共通語がどこ行っても大概通じるしな」
「それもございましょう。ですがグラーヴァス大陸語は学ばれるべきでしょうね、兄弟国の母語なのですから」
「肝に銘じますわ、『グランツァ・フィメル』。やはり商の方は方々の事情にお詳しいのですね、一人でもあの愚兄たちにくっ付けておきたいくらいです」
「……さっきから思ってたけどあんたも大概だな王女様」
「あんな兄と十六年も同じ王宮で暮らしておりましてよ。総長様はご覧になりまして?」
「遠目にな。ディアネル商会の支部入り口で頭が出向いて迎えるべきだとかなんとか騒いでる奴がいるって聞いたから、ンな命知らずがいるのかと思って見物に行ったら王族だったってオチだがよ」
「…………『グランツァ・フィメル』、今からでもやはり国外に出荷して頂けませんか?」
「商人は契約を守るもの。国外となれば荷馬車の御者に渡した代金に釣り合いません、それに国境には関門もございましょう。ハコ詰めされた人間の輸送なんて、恐ろしくて国内でしか行えません」
 国内でもやるなよ、と、言える人間がここにはいないことにはすぐに気付いたので何も言わないままを通した。自分も一応はディアネル商会の人間だから当事者だ。グラヴィエントは常日頃からやっているし、王族はむしろ人を国のあちこちに走り回させることに慣れた部類だろうから。あまり良い品ではない、と切って捨てた紅茶をそれでも一口運んで、それで、と口を開いた。
「随分と時間がかかっているようですね。呼ばれたのはこちらのはずなのですが」
「お呼びしたのはわたくしですけれど、条件をつけなさったのは『グランツァ・フィメル』ですわ」
「大方紫銀関連で揉めてんじゃねーのか? 護衛とかなんとかで。俺一人で武器もないのに何ができるってんだよ」
「グラヴィエントの幹部の犯行によると推測される撲殺死体が発見されたのは先月の二十日でしたね。凶器は判明せず、生きながらにして膝の関節を逆に折られていたとか。大方『足』が裏切って売り上げをかすめて逃げようとしたのでしょうね、その制裁とはいえ残酷なこと」
 総長はあからさまに視線を泳がせている。そうか、拳か。見るからに筋骨隆々だもんな、などと思っている間に扉をノックする音。目を向ければ大きく開かれたそこに何人かの姿が見えた。先頭は深紅、そのすぐ背後には藍色。その後ろに、この場には何とも馴染めそうにない幼馴染が見えて、思わずあれ、と声を零した。そうしている間に深紅が部屋に足を踏み入れる。
「こちらから来るようにと言っておいて待たせてしまったな」
「全くです。本件、臣民として参ったわけではございません。ですから礼は致しませんがよろしいですね、ラディスティル国王陛下」
「道理だ。馬鹿息子共は?」
「紫旗のオラントという騎士に任せてハコ詰めにして東へ送りました。明日の昼にはアイラーンの居城に届きましょう」
「なれば良かった。これで少しは大人しくなるだろう」
 言ってから振り向き、こちらへ、とドレス姿の一人を手招く。きちんと衣裳を整えて控えめに髪を飾ったラシエナはそれには一度足元の方へと目をやって、それであれ、ともう一度、今度は内心に零す。垣間見えたのは、ラシエナのドレスの陰に完全に隠れてしまっているらしい『小さいの』の、見るからに柔らかそうな布地を強く握った手だけだった。王が苦笑する。
「王宮に入ってからあの調子でな」
「……分かり切っていましたが、随分と残念な王子をお持ちのようで、陛下。そのような様子の子供にあの調子では、怯えるどころの話ではないということ。この先この国で商いを続けられるかが不安になります」
「王宮でもその話で持ちきりだ、近く市井にも声を聞こうかとも思う」
「そうなされませ。……『――恐れる必要はありません、こちらに兄も居ります故』」
 母の、後ろ半分の声にはああ、と思う。もうそこまで察しているのなら説明役も要らなかったかと思う、その間に少し揺れた小さい手から力が抜けて、恐る恐る、ドレスの陰から見えた紫が部屋を見渡して、そして目が合った、その瞬間に飛び出すのが見えた。
「あっ、ちょ、待っ……!」
 ラシエナが止めようとする声、だが言い終えないうちに駆けて来た『小さいの』がぼす、と音を立てて脚にしがみ付いた。衝撃で少し体が揺れる、振り返った母の目が背凭れ越しにそれを見て、気付いて見上げた紫がまた隠れるようにそろそろと後ろへと回って隠れようとするのには、気が抜けたような心地がした。先に、表情一つ動かさない母へと顔を向ける。
「こういうことになってます」
「……なるほど。こちらの事情は把握しました、陛下、明日より数ヶ月のうちは呪殺にご注意なされませ」
「紫旗を掻い潜れるほどの魔導師の伝手があるのならむしろ繋ぎが欲しいところだ、紹介に期待しよう。ラシエナ、君も入りなさい」
「えっ、で、でもわたしただの付き添い……」
「『小さいの』がああではな。扉を開いたままでも無用心だ、入っていなさい」
 言って王は幼馴染の肩を押して中へと入れてしまう。その後ろでレティシャが扉を閉めるのが見え、寸前に何かの紋様が浮かぶのが見えた。彼女は廊下側で、どうやらこの部屋を封じたか結界を張ってくれたかしたらしい。そこまでを見て、母を見上げたまま硬直してしまっている『小さいの』に手を差し出した。
「ほら、約束通りだろ?」
 小声で言う。近くで父の声がした。こちらを見た紫がしばらくじっと見上げたままで、ややあってからこくんと頷いてくれた。ふむ、と声をこぼした巨漢が、ひとまず、と王を見やる。
「座ろうや。立ち話で済ますような話でもねえし」
「そうだな。そうしようか」
「ええ、喉も潤っておりますし。クロウィル、その子はお前が抱いて、こちらにお座りなさい」
 言った母が扇で自分の左を指し示す。分かりましたと返して、言われた通りに『小さいの』を抱え上げて長椅子の母の横に腰掛ける。一人であわあわとしていたラシエナは振り返ったスィナルに手招かれて、その横に落ち着いたようだった。流石に面識があるらしい。最後に王が上座に腰を下ろし、その後ろに団長が立って控える。一番に動いたのはグラヴィエントの総長だった。
「単刀直入に言っとく。グラヴィエントはディアネル、加えて『グランツァ・フィメル』と手を組んだ。海路の確保と人脈を相互に交換しての同盟だ。これに王家が頭ァ突っ込むんなら、それ相応の言い訳が必要になるぜ?」
「元はと言えばこの同盟において最重要の位置にある子供に軽率に玉命を下しなさった陛下の手落ちですが、それは今ここで糾弾することではありませんから議題からは除きましょう」
 ラシエナの視線がこちらを向くが気付かないふりをする。本当は玉命と同盟の順も逆なのだが気付かなかったふりを通した。膝の上の『小さいの』が腕に絡げた薄衣に手を伸ばそうとするのに先んじて手渡してやる、その仕草で乗り越える。その間に母が話を進めてくれていた。
「ディアネル商会は商人の群体ですが、群体ゆえに群れの意識も誇りも強い。そのディアネルの次期惣領に王族が手を出すなど言語道断のこと、未遂と言ってディアネルが納得すると?」
「思ってはおらん。ディアネルが商人故に王が言葉を以って王族の非を認め謝罪しようとも通用せんのはわかっている。だからそこにある王女に名代を任せ、書状を届けさせた」
「持って来ておりますよ。グラヴィエントには見せておりませんでしたが」
「え、先に言えよそれ、俺『相手が下手なら全力で殴れる』って誘われただけなんだけど」
「言ったところで貴方が扱える『品』ではありませんし、誘い文句は『最近運動不足でしょう』です。話には関係のないこと、措きましょう。陛下には本心を伺います」
 王の姿勢が変わった。そう見えた。変わったのは空気かもしれない、何かがと思っているうちに返答がなされていた。
「魔法のみでなくありとあらゆることで他国を引き離すこと。この国を永世に中立国で保つために必要なもの全てを欲している。ディアネル商会はその最初だ」
 膝の上で『小さいの』が身体を硬くするのがわかって、上向いて来た頭を撫でてやる。母も、自分から隣にと言ったのなら、この空気の圧も多少は減じてくれてもいいものを。
「では取引と参りましょう。その目的の為に国はわたくし共に何をなさる」
「永世中立を保つために必要な事を。故にディアネルの次期惣領と知って玉命をとしたが、此度はこれが仇になってしまったな」
「わたくし共は国に仕える気はございませんが」
「国は欲している。そしてコウハはキレナシシャスが特別に保護する種族、玉命をと言われて受けぬわけがない」
 息をつきかけて、抑える。そのかわりにわかりやすく空気を胸に落とし込む仕草を加えて、口を開いた。
「もし陛下がその本心のみで玉命を下されたのであれば」
 深紅の王がこちらに視線を向けるのを確認する。正面から見据えて、続けた。
「わたしは『グランツァ・フィーヴァ』を退きます。陛下が玉命を下されたその時の言葉と今の仰りようとでは玉命の意味も全く変わる。ディアネル商会が目的の行いであれば母は拒否しましょう。母が拒否するのであれば私が次期惣領の座から降りれば済むことです」
「命に逆らうと?」
「逆らいはしません。逆らわなくて『済む』ように降りる、と、申し上げました」
「……つまりはこの母と縁を切るということ。回りくどい事をなされるからこうなる、道が長くなればなるほどに抜け道は多くなるものです。そして今息子の申し上げた通り、陛下から息子に賜った玉命の本心がただそれだけであるならば、わたくしはディアネル商会の惣領としてだけでなく、『グランツァ・フィメル』個人としてもキレナシシャスからは手を引きます」
「密輸密漁密猟、人身売買や未認可の彩色売買、それらの報告や告発も望めなくなるな」
「ええ、ご自慢の紫旗にてすべてを成されませ。怠惰な王に差し出す札の持ち合わせなど作らぬ主義です」
「俺からも言わせてもらうが、今国民に王族がどう思われてるか知ってっか、あんたら」
 グラヴィエントの総長は、変わらず膝の上に頬杖を突いた猫背の姿勢。ただ声音は、ひどく硬質に変わっていた。
「自分からは何もしない王太子、王族である事しか主張できない第二王子。存在すら平民に知らされてない王女が裏で涙ぐましく孤児院の支援をしてるってのが噂になってるが、それ以外はどうなってると思う」
 王は応えない。藍色も動かない。問いかけた総長が息を吐いた。この問いには、王は答えない。応えられない。分かりきった上で、彼は舌打ちしたようだった。
「紫銀が居んのは解った。作りもんじゃねえのも判った、精霊眼持ってりゃこんなん本物だってすぐわかる。だが、その紫銀がこの国に帰還したって公布したところでどうなると思う」
 既に問いかけではなかったのだろう。カップを置いた『グランツァ・フィメル』が続けて口を開いた。
「キレナシシャスの国民は喜びましょう、神殿もまた活気を取り戻しましょう。『紫銀が現れた、これで安心だ』と皆が言うでしょう。……故に国民が期待するのは国にではない、紫銀に対してです。既に国民に対して不審不安不満を積み上げている王家がわたくしたちに出せるものがあると、わたくしたちがそう思って来たのだとお思いですか」
「グラヴィエントは元は北の盗賊集団だ。それが王都まで手ェ伸ばして貴族に合流した上ディアネルと同盟まで結んでる。意味は分かるよな、紫旗の団長」
 向けられたのは団長の方だった。クォルクの視線が総長を見返して、そして伏せられる。
「……紫銀帰還の報からしばらくして、暴動が起こる、ほぼ確実に。王都だけでなく四樹の都市も害を被る」
 言葉の意味が通じていなくてよかったと、この時ばかりは心の底からそう思った。撫でられる方は、少し落ち着いたのか、こちらの頭に手を伸ばして髪紐から揺れる銀細工に触れようと手を伸ばしている。それにはしたいようにさせたままちらと見れば、王女は毅然と顔を上げたまま、幼馴染はその片手を借りて縋り付くように身体を寄せていた。
「暴動やら反乱やらで納まらねェかもわからねえ。永世中立なんか宣言しやがった所為で紅軍まで暴走寸前なのは知らんとは言わせねェぞ。革命になるかもわからん、また軍国主義に戻るともわからん。民主主義にでもなりゃ周辺国からの侵攻待った無しだ」
「……認識している」
「なら率直に言う。今のキレナシシャスにグラヴィエントが協力する利が無ェ。ましてディアネルには損しか無ェんだ。悪ィとも思わねえぞ、王子が起こした騒ぎの話はもう王都にも主要都市にも流した。今頃尾ひれもついて王子が玉命を賜った子供を斬り殺したことにでもなってるだろうさ、軽率に子供に玉命を下した王と、それに反した王子とで、国民がどう思う?」
「それは今ここで首を差し出すという意思表示か?」
「今の紫旗がグラヴィエント相手に戦えるとでも思ってんのか?」
 団長の声も硬い、言い返す総長の声には苛立ちが浮かんでいる。――あまりこの場には居たくない、だがこの部屋から出ることは出来ない。だから総長の呆れたような返答も自動的に耳に入ってきていた。何よりも、一番この流れを聞いていなくてはならないのは自分だと、それは認識していた。
「紫旗が俺を殺したところで、グラヴィエントは即座にそうだって判る。そうなりゃそれこそ国内紛争だ、隣国がどう思うだろうな、防御しか出来ないボロッボロの国を見て?」
 隣国、そこまでに影響する。東のオルセンドはまだいい、この国に対しても友好的な姿勢を崩しはしていない。西の国は沸き立つだろう。容易に想像がついて、そして声が絶える。頃合いかな、と思う。だから『小さいの』を抱えたまま立ち上がって、ラシエナの方へと足を向けた。
「エナ、ちょっと『小さいの』預けるから、抱えてて」
「え、ちょ、クロウィル、」
「そろそろやんないとな」
 言いながら半ば押し付ける。『小さいの』が幼馴染に背を預けてしっかりと据わったのを見届けてから、上着の中に手を入れた。取り出したのは木簡。それをまずテーブルの上に音を立てて置いた。全員に見えるように。
「俺がディアネル商会の人間だ、って証をまず最初に見せます。ディアネル商会は国家に属するものではないことはご理解いただけているかと思いますが、グラヴィエントも王家も異論ありませんね」
「ねえな。ディアネルはディアネルっつー一つの国家みたいなモンだ、とっくに治外法権だろ」
「……異論無い」
「『グランツァ・フィメル』、グラヴィエント総長、双方同盟証書代わりの双つ飾りをお持ちかと思います。証としてご提示願いたい」
 言うことも、やることも決まっていたから迷いもなかった。二人は無言のまま、一つの宝石から作った対の帯飾りをテーブルに置く。それを認めて、背に手を回す。帯に差していた銀の鞘の短剣を、鞘ごと引き抜いてそれを藍色に向けて突き出すようにして示す。
「紫旗師団団長、これは俺が貴方から紫旗の子弟の証として受け取ったものと相違ないことの確認を願います」
「……間違いない。鞘には燕に五弁花を、柄には違い格子、確かに紫旗の子弟にその証として与えられるものだ」
「では俺がこれからすることに、誰も文句は言えないはずです」
 短剣の柄を握る。鞘をテーブルへと投げ捨てて現れた細長い刃を、迷わず、振り返りもせず、『紫銀』の喉首に当てた。
「紫銀を殺します」




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