すぐに何かが動くのが解った。王と母が腰を浮かせる、それを見るまでもなく声を上げた。
「『誰も動くな』」
 息を飲む音、幼馴染のそれだとわかっても今は目を向けることも声を向けることもできない。
「『座って』話しましょう。話し終えた時に紫銀が死んでいるともわかりませんが」
 言えば、動いた二人も元のように腰を落ち着ける。ちらと見やった母の眼には何も浮かびはしていない、だから余計に気は楽だった。『打ち消されたら』たまらない。
「……どういうつもりだ」
「今確認した通りです」
 王の声にはテーブルの上を示す。三種類の『証』。
「まず一つ。紫銀の存在はディアネル商会と『グランツァ・フィメル』、及び『グランツァ・フィーヴァ』に致命的な害を与える。これは公布がなされた時点で確定します。王の提示した条件はディアネル商会に御用達の紋章を与えることですが、王家と商会の間に繋がりがあることは損害にしかなり得ません。理由は先ほど話されていた通り、キレナシシャスの国民から王家への信用が低すぎるため。信用の低い王家と癒着しているとでも思われれば大事です、加えてこの先百年続くかもわからない王家に『商いする我々』が力を貸す意味もない」
 目をやった先、王はきつく眉根を寄せている。これはあからさますぎる煽り、挑発。団長の方は――流石に怖くて、眼を見ることはできなかった。だから素通りして、総長に目を向ける。
「二点目。グラヴィエントの内情を鑑みるに国が多少でも揺らぐのは致命的です、紫銀帰還の公布の内容によっては内部分裂もあり得る。そうなれば地下は荒れ、地上の治安も危うくなります。三点目、逆にグラヴィエントが今以上の安定を得てしまった場合。これは先ほど話しましたね、良くて暴動、最悪国が滅ぶ。四点目、王家にとっては紫銀の存在が王家そのものを断絶させかねない。この理由も一点目と同様、国民が王ではなく紫銀を担ぎ出す可能性が高いため」
「紫銀とはいえそこまでの力があるとでも」
「二千年、待ちました」
 ――あの時の言葉の意味。二千年待たされた、という呟き。待ったのだ。待っていたのだ。百年に一人の才を持つと言わしめる紫旗の団長でさえ、紫銀が現れることを待っていたのだ。誰もが常に心のどこかでそれを願っていた。そして今も、誰もが願い、待っている。
「キレナシシャスだけではなく、少なく見積もってもこの大陸の全ての人間が二千年待ちました。それだけで十分紫銀の存在は『神話』足り得ます。王家や国くらいはひっくり返されるでしょうね」
 総長の息をつく仕草が視界の端に見えた。そういうことか、と、呟いたのは団長の声だった。だから袖で隠れた右手を強く握って、紫藍を見上げた。
「そういうことです。五点目、これで最後。キレナシシャスが紫銀帰還を公布するのは二千年ぶりのこと、当然国民の紫銀に対する期待も高いでしょう。その時王家が王家足り得ない行いをすれば人心は自然と紫銀に向くでしょう。自然と紫銀に縋り、助けを求めることになる。少なくとも一国すべての人間のそれを負うことになりかねない、……そんな重いもの、背負わせる方が間違ってる」
 噛み合った紫の視線が凪いでいく。最後には伏せられて、それを見届けてから、王へと眼を移した。深紅、この国の掲げる色。
「玉命に従い、紫銀の兄として、『妹』にそんなもの背負わせるつもりはありません。だから、殺します」
 刃を押し付ける。『小さいの』は上向いてこちらを見ているのだろうか。鉄を通して脈動が手に伝わる。或いは既に赤が流れているかもしれない。そのことの意味を、この『小さいの』は知っているのだろうか。
 許可を求めるもので無いことは明白だ。これは『宣言』だ。国と紫旗、ディアネルとグラヴィエントの揃ったこの場、その全てに関与し且つ中枢とも言える位置に立つ人間として、これが最良の判断であることは免れなかった。全て紫銀が現れなければ起こり得なかったこと、ならば紫銀など現れなかったことにしてしまえば片がつく。――だから誰か、早く。
「異論ありませんね」
 確認の声を向ける。グラヴィエントは反対しないだろう、母は予期していただろう。だからか、やはり一番に口を開いたのは母だった。
「紫銀の殺害に対する罰は極刑。死後の尊厳もなく色を奪われ身体は山頂か谷底に遺棄されるだけ。それも解ってのことならば、わたくしは異論ございません」
「解った上で言っています」
「……では尚の事。わたくしはわたくしとディアネル商会を守ることが最優先の身です」
「倅死ぬのも黙認かフィメル」
「ならば反論なさい。わたくしには異を挟む必要の無いこと、あとはグラヴィエントと王家、紫旗で決定なされませ」
「……文句ねェよ、お前の倅にはな。だが餓鬼がこうまでしてんのに王が動かねえのはどういうつもりだ、手前ェは何の為にそこに居んだよ。国王ってのはそんな軽い役か、ただ聞いてりゃ丸く収まるってか?」
「……考えている」
「考え無しに動いてやがったってことだな。今のはそう受け取るぞ。倅、その剣こっちに寄越せ。餓鬼に殺らせるかよ、殺るんなら俺がやる」
「断る。グラヴィエントの総長が紫銀殺しで極刑になればグラヴィエントが抑えてた奴らが暴れまわる理由になる。ディアネルの場合も同様、紫旗は以ての外。俺がディアネル商会ともグラヴィエントとも縁を切って殺すのが最も合理的だと判断した、幸い殺す理由の玉命もある」
「……私は紫銀を殺した愚王の列に並ぶ気は無いと、そう言ったはずだ」
「並ぶことにはなりません。紫銀なんていなかったんですから」
「――いいえ、紫銀は居ます。殺させません」
 声がして、目を向ける。子供を抱えたまま全身を硬直させてしまった幼馴染の、その向こう側、隣。未だに毅然と面を上げたまま、真正面に座る王を見つめたままの王女。
「この国の民から王家に対する信が薄いのは事実。政も決して上手ばかりではないでしょう、下手も打っているでしょう。ですがこの国がこのままだといつ王が言いましたか」
「変える、と確約がなければ同じことです。その言葉も出ていない。そしてあなたの言葉は王の言葉ではありません、王女殿下」
「王は王ひとりで王足り得るわけではありません、王に足らぬ才があれば臣民でそれを支えてこそ、まずそれを為さねばならぬのが王侯です。その義務を負う者として、わたくしが王族の者として宣言致します。王家を指しこの国家を指しあなた方に『このまま』とは言わせませんわ」
「具体的には?」
「まずは動いて良いと言ってくださる? 一回父に平手打ちをしに参りますから」
「えっ、殿下、えっ、」
 小声、幼馴染の声。それには一度目線だけを向けて、そうしてから蒼が、紅を向いて。
「まっ、たく、……犯罪組織の総長やら八の子供に言われて何一つも言い返せないで何が国王ですか!!」
 予想もしなかった言葉が予期しなかった口から飛び出るのに、思わず目を見開いた。ついさっきまではなんの感情も見せずただ毅然としていただけの王女の表情は、完全に、怒りのそれに変わっていた。
「あったま来たわ!! いい加減あたしも家族のゴタゴタに嫌々付き合わされて望んでもないのにあっちこっちに良い顔振りまいての毎日に苛々苛々してんのに兄が馬鹿なら父も馬鹿なの!? 女子供がいなければ話の一つも纏まらないなんて平凡も凡才も通り越して無能です!! 半端に口出すくらいならいっそ玉座には銅像でも置いとけばいいのです!! いいえ像の形に作られてしまった銅の方に同情しますわ、紙に『王』とでも書いて置いておけばよろしいのです!! むしろなんでその生身でこの年月治世を敷いていると思い上がっていたのかと思うと怖気まで覚えますわ!!」
「スィナ、」
 王女の横の幼馴染の呼びかけは視線で即座に制される。凛としている、どころではない。もうこれは、今までのものも含めて爆発した、と言ってもいいやつだろう。
「もういいですスィナルが宰相に話を付けに行きます!! 紙はそこで流されるままぺらぺらしてなさいませ!! 『グランツァ・フィーヴァ』、良いですね!?」
 最後には、ぎっ、と音を立ててぎらぎらとした眼がこちらを捉えた。蒼とは思えないほどに炎のような目、だがまだ剣はそのまま。
「宰相に何を?」
「何当然のこと聞いているんですか、あなたが言ったのでしょう『今の王家は臣民の信用に値しない』と! 是正しに参るのです、方法なんかは大臣たち拳で吹っ飛ばしてでも見つけます、あんな老人の集団でも知識だけは豊富ですからね!! だからもう立って行っても良いかと訊いているのです!!」
 ――やっぱりこの国、女の方が強いんだな。思って、剣を持つ手を引いた。そのまま、深紅に目を移す。
「……と、御子が仰っておりますが、一国の主が無言では、なんとも?」
「……行かせてやってくれないか。我々も一歩、ひとつの指も動けないでは、苦痛も覚える」
「では、『紫旗以外はもう良い』ですよ」
 即座に王女が立ち上がる。憤然と踵を返して扉に数歩距離を詰めて一瞬止まる。そのまま引き返してテーブルとソファも通り過ぎて父王のすぐそばまで早足に駆け寄って、頬を張る、との宣言とは変わってその耳を掴んで思いっきり引っ張った。
「ぃっ、」
「あの馬鹿王子たちの持っていた権限の全てを私に移譲なさいまし、書状は後からで構いませんわ! よろしいですね!」
「――わかった、手配しよう……」
「ついでに十日なんて生ぬるいことしないで半年も軍で小間使いされてれば良いのですあの馬鹿共は!! 馬鹿は死んでも治りませんわ、よくよく熟慮なされませ!!」
「……わかった……」
 されるがままの王に、側から見ては言いたい放題を、発言の中身を見れば的確な言葉を王から引き出して、それで今度こそ王女は憤然と部屋を飛び出していく。廊下の方からレティシャの驚愕しつつ呼びかける声が聞こえるがそれが最後。
 間。それを割ったのは総長の呟きと団長の声だった。
「すっげ……」
「……ほんとふっきれると怖いですね王女殿下。陛下、お怪我は?」
「いや、無い。……いや、無いわけではないが気にするな」
 はあ、と溜息を吐き出した母がカップに手を伸ばす。ひとくちこくりと上品に味わってから、王と紫旗の方にちらと視線を遣るのが見えた
「政に少しでも関与する者には当然の憤怒でしょう、加えてああも家も国も煽られればあの歳の王家の子女には刺さるもの。そう驚くものでもありません。虎の子を一気に成長させた気はございますが。それより、クロウィル」
「すみません、母さんまで巻き込んだのはわざとです、打ち消されるとちょっと面倒だったので」
「そうではありません。折角の紅茶が冷め切ってしまったではありませんか」
「あ、それは普通に、すいません、意識してなかったので」
 一気に崩れた空気の中で、わざと崩した口調に変える。やっと幼馴染が深く息をつけたかと思って横目で様子を確認して、同時に『小さいの』の首に痕も傷もないことには安堵が浮かぶ。左手の短剣を右手に逆手に持ち替えて一度銀色を撫でてから、改めて視線を上げた。
「……紫旗は俺の安全が確保されるまでそのままでいてもらいます。今のところ紫銀に対して殺人未遂までは確定なので、陛下の言が無い限りは」
「……捕らえる意味もない。この部屋では『何もなかった』のだからな」
「では、『全員良い』です」
 それを口にしてようやく、背中まで迫っていた気配がまた動き始める。今度は離れていく気配。あと一秒でも遅かったら殺されてたな、と呑気に思う。袖を引く感触に何かと思って目を向ければ、『小さいの』を抱えたラシエナの手。
「今のなに……?」
「王女殿下がすっごいかっこよかったって話だけど」
「いやその前の……」
「それで、陛下」
 母の声が割って入る。さすがに口を噤んでいれば、王はばつの悪そうな表情を浮かべていた。無理もない、王が言う前に王女がああも言ってしまえば、威厳も何も主張できないだろうから。
「……わかっている。……いや、分からされた、と言うべきだな」
「適当な言い換えでしょう。では今度こそ取引を。ディアネル商会が見せる札は『言葉』と『品』と『手助け』です」
「やっと本題かよ、長ェな。グラヴィエントの札は『人脈』と『暗黙の了解』だ。これに対して『王』は何を返してくれる?」
「一つしかあるまいな。クォルク、構わんな」
「御意のままに」
「……ディアネルから受け取るものに対する返礼はこれまで同様の交易権限。グラヴィエントから受け取るものに対する返礼は水面下での活動の許可、特に市井を利用した王家の弾劾を許す」
 母が扇を開いて口元を覆う。総長が良しと笑う。王は最後に大きく息をついて、そしてはっきりと宣言した。
「今日ここでは何も起こらなかった。ただ我が娘が雑談の最中に吹っ切れてしまっただけで、貴殿らは私の招いた客であり、城下の情勢を知る為に召集された。良いな」
「ええ、上出来です。ディアネルの幹部にはそのように報せましょう」
「こっちもそうしとくか。登城を命じられれば善良な市民としては逆らえないしなァー」
「今後とも宜しく頼む。子の世代に変わろうともな」
 最後に向けられた視線には、わざと軽く肩をすくめてみせるだけ。あの王女相手なら、面白いかもしれないが。



「貴方様、いらっしゃるのでしょう」
 母が虚空に声を向ける。ややあってからその視線の先に藍色が現れて、それから視線はすぐにこちらを向いた。
「肝が冷えたぞ、全く」
「ごめん、でもどう考えてもあれが最善だったし……」
「大きく動きすぎた盤面を巻き戻すことは駆け引きの中では定石の一つです。ですが本当に抜いて当てるまでするとは、流石に母ももしやと思いましたよ」
「なんかあの王様追い詰められないと動けないみたいだし、発破かけとかないとって思ったんだけど」
「導火線の繋がっている先を読み違えましたね。結果論では近道でしたが」
「……あ、あのー……」
「あ、ごめん」
 後ろから掛かった声には慌てて振り返る。応接室にそのまま残ったのは、自分と母、父と団長、レティシャと『小さいの』とラシエナだ。
「……その、本気、だったんじゃなかったんだよね……?」
「本気で殺そうって思ってたらこの部屋に紫旗を入れないって条件も付け足してたから。でもラシエナには怖い思いさせちゃってごめん、びっくりさせちゃったし」
「びっくりで済まないよ……っていうか、その、殺す、以外にはこう、なんかなかったの? 隠しておく、とか」
「紫銀の存在を秘匿するのは不可能でしょうね」
 子供同士の会話に母の声が混ざり込む。話の一切が分かっていなかったであろう『小さいの』は、今は母がソファに腰掛けて抱きかかえていた。三児の母とあって手馴れている、紫銀は既に母の胸元に寄りかかって全身を預けているようだった。安堵しているのか、疲れ切ってしまったからなのかは判然としないけれど。
「まず王国としてキレナシシャスは永世中立を宣言しています。そのため軍備による国庫負担が大きい」
「う、うん……?」
「国を守る為に大金が要るのです。国同士の同盟であれば他国の支援も期待できます。ですが我が国にはそれがない。故に徴兵制を採る領主もおりますね、アイラーン公爵もその方向に舵を切っていらっしゃる」
「……十五歳以上の子供は、半年は必ず訓練、って決まってます。その中で軍人になるのは、三割くらい、って言ってたような……」
「ええ、その通り。アイラーン公爵の場合は、訓練の中で適性を見極めて、軍人にと思う子供だけを特別に支援して学ばせ、訓練させ、軍へ、という流れですね。アイラーンであれば一族の資産でそれが可能です、あの公爵家には循環資産が多い。ですがそうすることが不可能な領主たちも多い、その支援のために国庫、つまり国民の納める税を振り分ける。するとどうなると思いますか?」
「……他の使い道が減る……?」
「半分正解です」
 うう、と幼馴染が顔をうつむける。苦笑して続けたのは団長だった。
「軍の質が落ちるんだ。キレナシシャスはずっと軍国主義を貫いてた、つまり軍人になれば人生花道ってんで志願兵も多かった。それが永世中立の宣言、防衛以外の戦争の放棄によって全部崩れた。軍人は功績を稼いでなんぼだからな、功績ってのは戦争でどれだけ殺したか、どれだけ勝ちに貢献したか、だ。戦争が無くなったら功績なんて稼げない。つまりは生きていけなくなる」
「故に、志願兵は激減しました。また軍人の中には早々に見切りをつけて退役を選んだ若者も多かった、若者にはまだ別の道も残されていた状況でしたから。それまでは望んで戦っていた、それが崩れたのです」
「……徴兵だと、無理矢理戦わされるから、士気が落ちる、ですか?」
「ええ、それで満点です」
 言い当てた幼馴染には母は微笑んでみせる。それでも釈然としない顔をしているのには、母がおとなしく抱えられている紫銀の頭を優しく撫でながら口を開いた。
「だから、キレナシシャスには紫銀が必要です。この国は、永世中立、防衛のみを宣言するには当時からしても大きすぎました。侵攻すれば多くのものが勝取れる、人材、知識、資産、豊かな土地に豊富な魔法資源。特に西には玉泉が多く点在しますから、隣国だけでなく西方の周辺国は息巻きました。それを退けて国境線を守ったのは軍国主義の名残が強かった故ですが、現在、それから既に三十年以上経っています」
「……守りが薄い……?」
「ええ。ですから王家の信用が重要なのです。もし今にでも隣国が攻めてきた場合、国の為王家の為にと戦おうとする者がどれだけ居るのか?」
 ラシエナは難しい顔で、それでも口元を覆うように片手が持ち上がる。沈黙の音がしばらく鳴って、それから呟きが漏れた。
「……内部分裂……」
「その通り。領主達は自分の統治する土地のみを守ることに専念するでしょう。領民は自分たちの暮らしを守るために戦います。故に、王都を守る紅軍はいない。紅軍は各々の領主に忠を捧げて仕える軍であるために。王都が頼れるのは紫旗だけです。『国が一丸に』などとはありえません」
「いくら紫旗でも全員合わせて二万だ、王都防衛には最低でも五万を常に維持しなきゃいけない。到底無理な訳なんだが、ところがそこに紫銀が入ってくるところっと事情が変わる」
 団長が柱に背を預けながら肩をすくめて言ってみせる。それから腕を組み、続けた。
「正確には、王都に紫銀がいる限り、事情が変わる」
「……領民であり、そして国民である人間がどう動くか。王家の信用が薄い今どうなるか。簡単だな、王家ではなく紫銀を守るために各地の領主が手を組んで何が何でも『国』を守る。だからキレナシシャスは紫銀の存在を秘匿するなんて綱渡りできねえんだ」
 父のそれを聞いて、目は自然と『小さいの』を向いていた。推測でも五、六歳。その上、男ならまだしも、別な使い道さえ見えてしまう女の紫銀。――だからこそ殺すとまで言えた。言わなければならないとは、状況を考えれば当然だった。国も組織も殺させるわけにはいかないと考えるだろうから、それを引き出すためにも、未遂まで。
「このような稚い娘を国の盾にするのには、少々心も痛みますが。国を守る為には何に代えても、と王侯たちは考えるはず。ですから、商人としても紫銀の存在が公表される時期には気を遣うのです。紫銀が居ることを、初めにはどの国が声を上げるのか、次にはその時その国とどのような関係にあるのか」
「まぁ正直なところ、キレナシシャスの紫銀は早死にが多い、ってか、多すぎるって批判もあるにはあるけどな。あとはクロウィルの言ってた通りだ、『紫銀』は既に『神話』になりつつある。なってる、ってのがより正確かもしれんがな。もっと言うと、そんな神話生物を信用の低い王家に取り込む、あるいは王家が後ろ盾に立つ、つった時の国民達の反応のが怖いんだよな」
「王家は紫銀を利用している、これはいつどんな時にでも言われると思う。これが、王家は紫銀を盾にしている、人質にしている、って取られたら暴動になる。紫銀は本来国のものでもなんでもないから。集会禁止令とか共謀罪とかと考え方は一緒、国民を抑えるために紫銀の名を出した、紫銀を王家で囲い込んでいる、国民が不平不満を言えないように、って取られかねないんだよな」
「そのあたりは王侯貴族たちが考えるべきところ。こちらが言うまで宣言せず、言えば考えているとだけ。信用の低さはこれだけで目に見えていましょう」
「厳しい、ん、ですね……」
「厳しくあらねばなりません。王が道を踏み外したところで神は何もしてくれない。人が正さねばなりません。それも他人ではなく自分でと考える者がどれだけあるのか、それが国の力にもなります。ですからラシエナ嬢にはご勉学をと推奨させていただきますわ、お母上も仰っておりましたが、貴女も学びの早い利発な子。十年後が楽しみです」
「あ、ありがとうございます……!」
 応える声は、嬉しそうだった。同時に力の入った身構えるような声だった。あと何年後かにしたかったなこの母に会わせるのは、と思っている間に、その母の眼がこちらを向いた。
「……さて、それで、クロウィル」
「はい」
「わかっていますね」
「……わかってやったので、はい」
「貴方様」
 母が言った瞬間に後ろから手が伸びてきて頭を掴まれた。力の入る感触、ぎりぎりと骨が歪曲に耐える音、そして頭を握られる激痛。
「――――――ッ!!!!」
「やるだろうとは思っていましたがやりすぎです。もしこの子が少しでも動けていれば未遂の不問では済みませんでした」
「――――通じるってわかってたから……ッ!!」
「まぐれだったらどうするのです。お前はまだそういった下調べが甘いのです。精進なさい」
「つーかそういうのは先に言っとけっつたよな俺な? 忘れてたとか言わせねえぞ?」
「だって先に言ったら絶対反対され」
「反対するに決まってんだろうがこんな小さいのに剣向ける馬鹿がどこに居る!!」
「やんなきゃ誰もなんも言わないじゃん父さんだって言わないしってかなら俺にそういうの任せんなよ大人!!」
「やれんのがテメエだけだったんだよ悲しいことに!!」
 言い終えると同時に頭から手が離れる。痛みも同時に去ってくれればいいのにと頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。涙目になって視界が潤んでいる。歯を食いしばって耐えている間に母の声。
「確かにお前以外にできる人間がいなかったのは事実ですが、だからと言って一人で抱え込むものではありませんでした。父様にでも相談すればもっと安全な道もあったでしょう、紫旗に全責任を押し付けることもできたはずです」
「ちょっと待ったフィメルそれは俺的には無茶苦茶すぎて無」
「できますわね?」
 顔を上げてみやったところで上向けられた紅玉の瞳が赤眼とかちあっていて、少しもしない間に赤眼が負けて泳いでいく。母の右手が動いて檜扇が軸を先頭に、宙を真っ直ぐそれなりの速度で額に向かって射出されたのは父が宙で捕らえて嘆息した。二十年以上こうなのかこの人たち。
「……できるけどよ。俺今副長だしそういうのあそこにいる団長に言ってくれねえ?」
「クォルク殿は妙に変な方向にだけ頭が回るのでお相手したくございません。むしろ相手したいと望む商人がどこに居りますか」
「…………なあユゼ、これ俺褒められてんの? 貶されてんの?」
「両方。二対八で両方」
「むしろその妙に変な方向にだけ回る頭を総動員して頂けなかったことでわたくしの中で結論は出ています。お伝えする気にもなりませんが」
「……面目無い」
 袖を引かれる。立ち上がって引かれるままラシエナの側に立てば、口元を手で覆って耳元で囁かれる。
「お母様いつもああなの……?」
「……ごめん、残念ながら……」
「あ、いや、本当にうちの母様と気が合うんだな、って思って……」
「…………」
「…………うん、私も気をつけるね……」
「…………うん、頼んだな……?」
 こそこそと話して居るうちに大人達はひと段落付いていたらしい。さあ、と促す母の声に振り返れば、母は膝の上に抱えた紫銀を見遣っていた。
「首を見せてごらんなさい。かすり傷でも付いていたら大事ですから」
 言いながら指先で顎を持ち上げさせて、ふわふわとした襟元の布地をそっと除ける。指先で触れてから頷いて、後ろ頭を持ち上げるようにして元の姿勢に戻してやる仕草まで丁寧だった。
「怖い思いをさせたでしょう。明日からは昨日までと同じようになりますよ。怖い人間も来ませんから、安心して過ごしなさい」
 髪を整えてやり、薬指で横一文字を描くように額を撫でる。そうしてから膝の上から床へと降ろしてやって、父から扇を受け取った母が立ち上がった。
「わたくしは支部に戻りグラヴィエントとの件をより詳細に詰めます。お前は今までのようになさい、急務以外に支部にとお前を呼びつけることも無いでしょう」
「はい」
「ですがお前も一度支部には戻りなさい。服装がそのままでは商会の人間と宣傳するようなもの、『妹』を巻き込む気は無いのでしょう?」
 いつのまにか足元には『小さいの』が寄って来ていて、長衣の端を軽く握ってこちらを見上げていた。苦笑してその銀色を撫でる。
「そうします」




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