小気味良い音と同時に両手両腕に震えが走る。切っ先が、刀身がその震えに侵されてしまわないように瞬時に握りを調整して、拮抗しかけていた剣を振り払った。重く擦れる音が消える直前、素早く翻った長剣が軽々と押し出されるのに、身を引くのが一歩、間に合わない。
 切っ先が喉に据えられる。長剣を握る手、エディルドはうん、と頷いた。
「だいぶ崩れずに立ち回れるようになってるな。上々だ」
「……真剣相手、怖い」
「ははは、よし、もういいぞ」
 笑った彼がそれでようやく剣を引いてくれて、それでやっと硬直させていた全身から力を抜いた。刀身と鞘の擦れ合う、擦れる範囲が最小限の涼しい音。
「どうだ、力任せじゃなくても型守ってればなんとかなるもんだろ?」
「うん、まだちょっと抜け切らないけど……勢い余って……」
「三、四回あったな。でもまあ、二日で良い具合に力は抜けてる。下手な歳上の子弟よりも上達は早い、そこは誇って良いぞ」
「そうかな、なら良いんだけど。……でも俺で早いなら、ラシエナは……」
「あー……うん、いや、アレはなんかもう、才能だわ。指摘一回手合わせ一回で修正して来るやつなんかそうそう居ないからな……」
 思わず揃って遠い目になる。そしてほぼ同時に溜息した。
 ヴァルディアが北に向かって発って、一夜明けた翌日からは、ようやく全ての引き継ぎを終えたというエディルドが剣技の訓練の再開を宣言し、自分とラシエナと二人揃って中庭で教官に絞られている。その間紫青はフィエリアルに色々を教えられているようで、昨夜遅くには紫青の周囲の人物の名前を一通り書き出し、それを渡したものをずっとじっと見つめていたが。少し疲れていたのか、父の膝の上でじっとしたままで、時折古代語で何かを父と話していた。
 目を見張るべきは幼馴染の成長速度だった。たった一日と半日で訓練の段階は横並びに並んでしまい、ともに刃を潰した練習用の鉄剣での初の打ち合い訓練を今朝経験し、辛勝を収めながらも内心で絶句した。
 あの幼馴染、ものすごく速いのだ。一つひとつの剣の振りから身のこなしから、とにかく自分が見て取れるものの全てで、自分よりもはるかに速い。エディルドが驚いていたくらいだったからきっと同年代、あるいは十代の子弟に比較しても相当なはずだ。思わず出た、何をしたらこんな速くなるんだ、という問いには、毎朝毎夜型練習をして、ただの繰り返しだと味気ないからできる限り型が崩れないようにしつつ、できる限り速度をあげる一人練習をしていたのだという。教官と並んでそれを見せてもらったら超高速だった。エディルド曰く型としても完璧に近いらしい。なんで勝てたんだろう俺、ラシエナの息切れが早かったからだなたぶん。
 そのラシエナは今はもう中庭に姿はない。訓練の順が自分に回ってきて、そこで幼馴染は今日の訓練は終了と言い渡されていた。速度の分疲弊が早いのが欠点として顕著になっている、と教官は言い、ラシエナもそれは自覚していたらしい。それでも見学にと言ってしばらくは中庭の庇の下でこちらの訓練の様子を見ていたのだが、少し前にトーリャにて招かれてどこかにか連れて行かれたのを見送った。それが一時間ほど前だろうか、訓練を続けていると時間の感覚が失せていく。
「とりあえず、あれだ。お前やっぱり重騎士向きだな」
「あ、やっぱり?」
「おう。基礎的な力もあるが、攻めるよりも守るときのが安定してるように感じる、今の所はな。実際打ち込まれた時の受け止め方と流し方に無理がない。まあちょっと速度に身体が追いついてないところはあるけど、訓練で身につく要素だからなそれは」
「頑張る。というかこれからラシエナと打ち合いの訓練することになるだろうし、そうなると出来るようにならざるを得ない気がする」
「まぁ……そうな……」
 少なくとも自分が才能のある類だとは思わない。ラシエナが一人練習をしているのは今朝初めて知ったので明日から声をかけてもらえるように頼んで快諾を取り付けてある。あの物言いから察するに一人で練習を続けていた理由は、巻き込むような形になってしまうと悪い、といったところか。何かと律儀だから。思考のそれとは関係なく、口に出たのは一つの疑問。
「……重騎士って紫旗に居るのか……?」
「少数だがな」
 零せば、すぐに肯定が返ってくる。見上げ直せば教官は腕組みした。
「警邏に何人か、第一隊にも要衝として配置されてることもある。重騎士は一人いるだけで対人戦闘も対『異種』戦闘も格段に楽になるんだ、重要な役だな」
「そんなに?」
「そりゃもう、な。大体の剣持ちは『殺られる前に殺れ』にしかなれない。重騎士は敵の攻撃を受けて自分も仲間も守る。仲間が攻勢に集中できるように戦線を維持する、そうやって立ち回ることができる。そういう、最前線で敵の攻撃を無効化しつつ味方の戦線を押し上げつつってのは重騎士だけの戦い方だ。嫌か?」
「全然。俺の騎士像ってそっち寄りだから。種族特性も活かせるだろうし」
「コウハの楯なあ。敵に回したくない第一位だぞ俺の中だと」
 相手にするとこっちが自滅するしかないからな、とエディルドは苦い表情を作って言う。すぐにその表情も切り替わって、教官の顔に戻ったのを見れば自然と背が伸びた。
「さて、だ。明日からは型を見つつ打ち合いを主として進める。準備校の入学試験は五月の半ばか末頃だ、座学の試験もあるが、その勉強は自学でやっておけ。お前らだから不安はないけどな」
「はい」
「実技の試験は無いが、訓練での目標は決める。新年明けて二月入る前には通達するが、馬もやるからな。心構えだけはしておくように。今日は以上だ」
「ありがとうございました」
 直立の姿勢から深く腰を折る。何の任も役も持たない一般人の礼はこれしかないから少し申し訳なくも思う。肩を叩かれてから顔を上げて、それからエディルドが指し示す方、中庭から屋根の中に戻る戸の方に振り向いて目を向ければ、青銀の髪と紫の眼の片方だけが覗いていた。あ、と声が溢れる。
「フェル。どうした?」
 声をかけても応えがない。どうしたのだろうと思ってそちらに足を向ければ、フェルリナードは逃げるように身体を揺らして半身以上が戸の陰に隠れてしまう。思わず足を止めた。表情に変わりはないが、何となく不機嫌なような、とその様子を見て思って、そして脳裏に適合するものがあった。
「……フェル、別にエディルドは取ったとか、そういうのじゃないから、な?」
「……どうして?」
 この場合の「どうして」はどのどうしてだろうか。ここで聞き違えたらまずい気がする。思いながらええとと口ごもった。
「えと、勉強だから。エディルドが先生で」
「……エディ、なんのせんせい?」
「剣の先生。こういうの」
 言いながら腰の剣帯とそこに揺れる鞘を少し持ち上げて示す。フェルリナードは、ほんの少し眉根を寄せていた。
「……べんきょう……」
 以前もそうだったらしい、そして昨日も言われた。訓練が始まってもちゃんと構ってやれよ、と。そして今日は朝からこの時間、陽が落ちかけの夕方まで、昼食とその後一時間の休憩以外には二人で交互に訓練を付けてもらい、つまりはほとんど紫青のそばにはいなかったわけで。
 この反応はわかる。流石に分かる。拗ねている。だがどうすればいいのかは全く分からなかった。エディルドを見れば諦観が見えた。即座に目を逸らす。そうしながら考えて、それからそうだと思いついてもう一度教官を見る。
「午前と午後で入れ替わり、とか、フェルが見てたければ見てていいとか、駄目?」
「うーん……たまーに剣が飛ぶからちょいと危ないんだがなあ……。それに、フェルリナードも陽が出てるうちと、夕食の後は勉強だろ?」
「……うん、フィエルさまと、字のべんきょう……」
「そしたら、フェルリナードは一人でも大丈夫なように訓練、だな。クロウィルもラシエナも勉強中で訓練中だ、休憩とか休みの日とか、夜は一緒だろ。しばらくそれで試してみないか」
「……くんれん?」
「そ。訓練」
「……できたら?」
「クロウィルがちゃんと訓練やってれば、終わる時間が早くなるから早くフェルリナードのところにいける。でもフェルリナードが勉強中じゃ一緒にいられないだろ、だからラシエナも巻き込んで訓練だ。三人で早く終わらせて三人で遊ぶ、って」
 紫がこちらを見る。頷いて見せてから口を開いた。
「今日はもう終わりだし、明日は神殿行くだろ? こういう訓練ちゃんとやってないと、そういうのもなくなっちゃうから」
「……ちゃんとまってたら、いっしょ?」
「そういうこと」
 肯定すれば、難しい表情を浮かべた紫の視線が落ちる。ややあって青銀が揺れて小さな頷き。
「がんばる」
「うん。じゃあご飯の準備行こう、フェル。ラシエナは?」
「エナ、トーリャと、おはなし、って、いっちゃった」
 答えてくれるときには戸から離れて全身を晒してくれる。納得してくれたか、と、そこに足を進めて右手を差し出せばすぐに握り返してくれる。そのままとをくぐって広間に向かえば、暖かいその中には藍色が二人と白が一人。カルドとディストとフィエリアルが一冊の本を挟んで何かを言い交わしているところで、一番に気づいたのはディストだった。
「おや、お疲れ様ですエディルド、クロウィルも。フェルリナード、中庭はわかりましたか」
「ぐるぐるした……」
「廊下も入り組んでいますからね、じき慣れるでしょう。こちらに。二人とも、少しの間預かっていますから、着替えてきては如何です」
「そうすっか、結構汚れたしな」
「うん。フェル、このまま手伝い行ってくるから待っててな」
「うん」
 食事の前にはいつも必ず外していたから、これには抵抗はないらしい。思いながら青銀の頭を撫でて背を押してやれば素直にディストの元に駆け寄って行く。振り返りざまに見えたエディルドの顔が何とも言い難い、ものすごく今にも何か言いたいが言い出せないという微妙な表情になっているのには何かあったのかと驚きつつ、聞く気にならないまま自室に駆ける。鍵のない扉を開いてタオルと私服を取り出し、訓練着を脱いで汗の流れた身体を丁寧に拭う。それから私服の揃いを身につけて、鉄剣だけを手に取って厨房に向かった。
 扉を開いて中に入れば、どうやらちょうど火を強め始めたところだった。厨房の竃の火は、朝に入れた後は火の番をつけて一日ずっと小さな火種を残しておいて、昼と夜にその火を強めて調理に使うのがどうやら伝統らしかった。夜越えの火は料理に使ってはならないとされているから深夜前には消してしまうが、それも『隣人』避けなのだろうか。コウハの村では常に焚いていたが。剣は邪魔にならない場所に立てかけて、そうしながら調理台の陰に声を向けた。
「手伝い来たよ、ファリマ」
「あら。今日は特別早いのねクロウィル。訓練の上がりが早かったのかしら?」
「少しね。今夜は何?」
「フォルムエットよ。魚の崩し身と卵と、野菜を細かくしたのと炊いた米を混ぜて塩胡椒で炒めた焼き飯。あと鶏のスープにサラダね、フェルリナードは、薬草茶はどうだったかしら。朝嫌がってなかった?」
「大丈夫そうだったけど、不思議そうにはしてたかな……苦くはないんだっけ?」 「ええ、果物も入れているから、そんなに妙な味にはなってないわ。療師は小児が専門でいらっしゃるから、色々な工夫がしてあって。勉強になるわね」
 そうだったのか。小児科医は珍しい、大体がただの医師で大人も子供も診るものだ、だからか子供の投薬治療で副作用が強く出過ぎたり中毒が出てしまったり、というのはディアネルでもたまに聞こえていた。子供用の薬の開発を、という話も出ていたはずだが、療師がディアネルに薬のことを伝えてくれるのなら幾らかは解消するだろうか。
 手を洗いながら思考はそう浮かべていて、しかしと疑問に思うのはフェルリナードの昨日の反応だ。一口ごとに首をひねって考え込んでいて、コップ一杯ぶんの薬草茶にえらく時間がかかっていたのだが。味覚の、特に苦いとか辛いについては療師が少しずつ教えているようで、昨日の夕食と今日の朝食、昼食ではフィエリアルと団長とフェルリナードで味を言い合いながらの風景だった。微笑ましいものである、大の大人と大人にとっての大人が、小さい子供の味の種類について質問責めに遭い口頭での回答に頭を抱える食卓というものは。
「よし、と。さて、じゃあ今夜は野菜をお願い。フォルムエットに入れる野菜だから、根菜は小指の爪の半分くらいの大きさ、馬鈴薯は親指と人指し指の輪くらいの大きさで、包丁の二倍くらいの厚さで揃えてね。薄すぎないように、炒めているうちに崩れてしまうから」
「了解」
 先に根菜からやってしまおうかと、包丁を手に取って人参をまな板の上に転がす。泥は綺麗に取ってあるからと要らないひげを取り皮を取りしているところに扉が開いて、長い金と紅と緑が飛び込んで来た。珍しくきちんと整ったドレスに、髪は上品に結い上げられていて、そしてその表情は切迫していた。
「ファリマ、クロも、ごめん今日ちょっとお屋敷戻らないとだから手伝いできない!! って伝えに来た!!」
「お、おう!?」
 よく通る声の大きなそれに思わず肩が跳ねて、返す声にも驚愕がありありと出てしまった。ファリマは動じることなく、まあ、と声を上げる。
「今夜なの?」
「お医者様がそろそろだって、だから帰るね!! 団長には許可もらって一回戻ってたんだけど今さっきエディルドの許可も貰ったからそれだけ伝えに来たの、ごめん戻って来たらこの分頑張るから!!」
「いいのよ、ちゃんと見届けて迎えてあげないとだもの。名前は? 決まってるの?」
「決まってないのーー!! とりあえず帰るね、王都の別邸だからすぐ戻れると思う!!」
「気をつけるのよー」
「はーーい!!」
 送り出す声に応えるときには幼馴染はもう身体を翻していた。本当に速いなラシエナ。思いながらも何がなんだかとファリマを見れば、彼女の方も首を傾げた。
「あら、聞いてない? アイラーンの夫人……ラシエナのお母上が、ご出産がそろそろだって。祭りの直前なんてとてもいい日だわ、冬の祭りだから雪は辛いかもしれないけれど」
 え、と声が落ちた。アイラーンの当主夫妻には、この前顔を合わせたはずだ。夫人とはその日一回と、翌日食事を届けた時の一回とで、合計二回は会っていることになる。特に一回目はそれなりに長い時間同じ空間にいたはずで、しかし、それらしい様子は、全く、見て取れず。
「……臨月!?」
「あら。そうよ、兄妹で六人目の御子。ご出産は四回目だったかしら。ラシエナが名付け親になるから、って、随分前から悩んでたのよね」
「え、全然見えな……」
「目立たない方なんですって。前にいらしたときに仰ってたわ。それにしてもアイラーンはどの代も子宝に恵まれていて、それで争いも起こらないのだからすごいわねえ。ラシエナが叙任なり成年式を終えるなりしたら、あの子も継承爵位を名乗るのかしら」
「……え、いや、臨月の人のお腹が目立たないとかあるの」
「あるわよ。それに、確かに控えめだったけれど、ちゃんとお腹に子供のいる女性の格好だったでしょう、楽な服装で、重ね着してて」
「え……」
「あら。案外鈍感ねクロウィル」
 意外だわと言ってファリマが笑う。手元に気をつけてね、と言われるのには、反応は返せたかどうかもわからない。とにかく、驚愕していた。
 っていうかラシエナが名付け親ってどういうことなんだ? 弟か妹だよな? 父親か母親か、そうでなければ祖父母とか叔父とか色々いるだろアイラーンなら。どういう状況なんだ。というか本当なのか? アイラーン公爵その人も何も言ってなかったぞ。――そこまで思考がゆるゆると流れて、不意に脳裏に浮かんだ光景にはっとした。当主夫妻がこの本部に現れたその日の食事の席。夫人の指差す通りにいそいそとテーブルを運ぶ公爵の姿。
「……ファリマ、とりあえず先に母さんに伝えるだけ伝えて来ていい?」
「ええ。仲が良くていらっしゃるものね、お二人は」
 だからもう知っているとは思うけれどと可能性は頭に浮かんで、だがそれも全部その可能性に任せるには根拠が乏しく、結局包丁を置いて廊下に駆け出る。仕立ては陽のあるうちだけの仕事だからきっともう支部に戻ったか、まだ王宮かこの本部に居るかのどれかだ。とにかく確認をと、副団長である父の部屋を目指した。




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