「色には順列があるんだ。色格、って言われてる」
 茶色い紙で中程だけを包まれた長い枝はまだ濃い色の葉を茂らせていて、その枝も葉も地面に擦ってしまわないように肩に抱えながら言う。紫青は今は地面に立っていて、紫と青の造花の花束を両腕に抱えている。紙袋の中からまだ湯気を漂わせている小さな丸いパン菓子を口元に持っていけば、素直に噛み付いて半分ほど持っていった。
「その色格の高い、幾つか……有名なのは四色かな。その四色は自由に使っちゃいけないんだ」
 懸命に口を動かしている――これは一口が大きすぎるのだろう、噎せたりしなければ良いが――フェルリナードは、聞いて動きを止めた。眼を瞬かせて、首が傾ぐ。
「格が高い……大事にされてる、かな。その順番。上から、紫と銀、金と藍の四色と、これに近い色が、禁色。自由な使用が禁じられてる」
 言う終わりぎわに空いている小指で頬をつつけば、思い出したようにもくもくと口を動かし始める。少し待って、何度か飲み込む仕草があってから見上げられるのにはもう半分を示した。大丈夫なら良いんだけどと二口めで残りを持っていくのを見送りつつ説明のための言葉を継ぐ。
「禁止されてる理由は、色の力が強いから。力が強い色を勝手に使うと良くないことが起こるから、だな。紫を勝手に使って悪くすると毒に当てられたり、銀だと最悪死んじゃったりする。そうならないために、宝石職人とか銀細工職人が色の力を落としちゃうんだけど、そういうのができる人は少ないから、持っても大丈夫な四色のが少ないんだよな」
 言う間に、聞いているフェルリナードの口がまた止まる。一区切りごとに頬をつついてやればまた動き出すのだが、これはなんなのだろう、と思うと同時に、なんかじわじわくる、とも思ってしまうのも止められない。
「元々命色として持ってる人は使って良いんだけど、それでも使う人は少ないと思う。……大丈夫か?」
 また止まった。見つつ訊けば、ハッとしてまた懸命に口を動かし始めて、しばらくそうした後に呑み込んであえぐようにはふ、と息継ぎするのが見えた。
「だいじょうぶ。クロは、つかえない?」
「うん、使えない。フェルは紫なら使っても大丈夫。でも使えない人の中には、人間が禁色を使うってのをよく思わない人がいるから、許されてる、ってわかる人以外はやめといたほうがいいな」
「……しっと?」
「うん」
 本当にどういう語彙から教えたんだヴァルディアさん。あるいはフィエリアル様かも知れないが、出てくるまで若干の時間がかかったから、教えられた言葉、であることは間違いない。フェルリナードは紫を瞬かせてから口を開いた。
「銀はだめ、で、せいかい?」
「正解。『エフェレツィス』が持ってるのは紫だけだから」
「銀のおさら、は、いい? スィナさま、つかってた」
「お皿とかは、皆が使える銀を使ってる。でも貴族様じゃないと駄目だな。使える銀とか金は偽銀偽金とも呼ばれてて、色の力を持ってないんだ。力を持ってないから、全員が安全に使える」
「力があるのは、つかえる人じゃないとあぶないから、だめ」
「そう」
「……むずかしい」
「フェルなら大丈夫。言葉だってすぐ話せるようになったし、今もたくさん勉強できてるし」
「……フィエルさまが、こぼれてる、って言う。たくさんべんきょうしてるから、て。わすれものしてる、……だいじょうぶ?」
「一回で全部できる人なんてほとんどいない。忘れながら思い出しながら覚えていくものだから、思い出せるように頑張れば十分」
「……おもいだす……がんばる」
「うん」
 頭を撫でるには指が油で汚れてしまっていたので、代わりにパン菓子をもうひとつ、最後のを差し出せばまた一口で半分を持って行き、もくもくと口を動かす作業に戻っていく。
 食欲も出てきたようだと療師は言っていた。療師の前になると途端に勢いが減じて同時に食いつかん勢いで話に聞き入る紫旗の面々、主に父を除く魔導師たちも何かと手伝いに奔走しているようで、見たこともない器具と見たことのない方法でありとあらゆる病の調査と検査が進んでいるらしい。まだ終了したではない理由は、このあまり欲を見せずわがままも言わない妹が、検査二日目、二回目の広間でない夕食がと見て、普段は少し遠巻きにしている精霊が距離はそのままにあきらかにおろおろと狼狽した所為であって、その後の食事を含む三時間ほどをずっとトーリャに抱き着いて過ごしそのまま寝落ちていたのを見ている。どうやら自分が何かおかしなことをしてしまった所為で隔離されていると思い込んでいるらしいと知ったフィエリアルも、食事の時には自由にさせ、勉強の合間の休憩も回数を多くしてくれている。どうやらかなり、妹にとっては悲しい出来事だったようだ。感情発露の確認は取れましたがと呟いていた療師の顔もどことなく暗かった。やっぱり幼児に甘い大人たちである。――俺とかラシエナも幼児ではないながらも子供なんだけどどうして抑止側に回っているのだろう、という疑問は、療師の前では抑え込んだ。言い包められたら困る。
 精霊も次第に打ち解けている様子、だと魔導師たちは言っている。恐らくは良いことなのだろうと口は挟まずにいるが、フェルリナードが傷を負ったりということは今のところ無いので安全は保たれているのだと思うようにしている。なんだかんだ流血沙汰からこっち、妹はたまに心に負傷する他には平和に生きている。
「ん、……これ、おいしい」
「気に入った?」
「きに……うん。すき」
 キレナシシャスでは最も知られた菓子だ。甘さは付けず、長期保存が可能なようにと乾燥させてある果物を刻んで生地に練り込み、一口大に小さく丸めて揚げたもの。これはたしかカーシュの、と空になった袋を小さく畳んで、手巾で手の油を拭ってしまう。また今度来た時にな、と声を向ければフェルリナードは素直に頷いて、それから通りの方へと揃って顔を向けた。
「……団長遅いな……」
 雑貨屋での用が済んだ後はすぐのところにあったパン屋で揚げたての菓子を買ってくれ、それからちょっと待ってろ、と言われて通りの端、何かの建物の壁を背にしながらの禁色の説明に時間を費やし、時計を見れば十六時近く。そんなに経っていたかと眼を向け直した先は、銀行の、この国で五つしかない窓口のひとつ。物々しい衛士が一定間隔で何人も並んでいて、建物の中に入って行く人も出て行く人もごく僅か。紫旗の団長ともなれば銀行で管理しなければならないくらいの資産を持つものか、と思いながら眺めて見送ったのだが、そういえば自分も母に作らされていたような。
「……クォルク、かえってこない」
「な。何してんだろ……」
 記憶を遡りながら応える。陽はもう傾いて街を覆う長大な壁にかかろうかという空をしている。片手が伸びてきてコートを握られる感触。寒くないかなと頭を撫でながら思って、それでもなんとなく声が出ない。そのまま紫青の頭を撫でて二十三回目で銀行の扉が内側に折れていった。出てきたのが紫藍と見て、肩に担いだ枝の据わりを直して足元に置いていた他の買い物袋を腕に抱える。その間にクォルクが足早にこちらに戻ってきた。
「悪い、異様にかかった」
「おかえり」
「おかえり。何してたの?」
「ちょっとな」
 言いながらほんの一瞬、指先が口元に当てられる。銀行は金の宝庫、出入りする人間は狙われる、とは、実際にありとあらゆる反社会的組織から諸々の思惑で命を狙われている当人が言っていたことだが、この人でも気にするものなのか。
「暮れるな、帰るか。咳大丈夫かエフェレツィス」
「すこし、……かさかさ? する」
「あちょっとヤバいな。乾燥してるからな、今度外歩くときは水筒か何か持ってくるか」
「フィメルのこうちゃ、すき」
「今フィメルいないからなあ……本部戻ったって?」
「本部っていうか、村だけどね。兄さんと姉さんがこっち来たいって言ってるみたいで、祭りに合わせて連れてくるって」
「お。来るのか、兄さんたちはもう成年してるのか?」
「二人とももう職人上がりしてるから、そう、かな。……フェルは会えるかな」
 クォルクがフェルリナードを抱えあげるのを見つつ、なんとなく気になって呟けば聞こえたのだろう紫青の眼がこちらに向いた。気付いて見れば問い。
「クロの、おにいさん?」
「うん。あ、言ってなかったっけ。俺の上に二人いるんだ。兄さんと姉さん」
「ねえさん。おねえさん」
「そう。フィヴクト兄さんが一番上で十六歳、銀細工職人。その下がエルメア姉さんで、十四歳で宝石職人。二人とももう仕事してるけど、暇な時とかは塾とか行ってるみたい」
 西陽に変わる前に陽の光は黄昏に変わる。沈んでいく中を歩き出して少しもしないうちに、言いながらの目があるものを捉えて止まった。意識せず足もつられて緩んでいたようで、『それ』をみているうちに少し遠のいた所から声が掛かる。
「どうした?」
「あ、ごめん」
 団長の声には目を戻して駆け足で追いかける。その短い間にも団長が視線を追ってそちらに向いて、立ち止まったそこで紫青にも同じ方向を指し示していた。そうしているところに追いついて改めて目を向ければ、視線の先では、濃い灰色のローブを頭からすっぽりと被った何者かが、カンテラが下がった長い杖を肩に担いでひょこひょこと通りを下っていく背中が見える。薄暗い中で唐突に道端にしゃがんで、どうやら地面に何かをしているようだ。
「灯樹の管理人だな」
「トウジュ? 地下の?」
「地下のとは別物だな。まだ……少しなら時間あるな、少し見てるか」
 訊いたそれにそう返されて、なら見ていれば解ることなのかと目を戻す。都会には変な人がいるもんだな、という感想はどうやら間違っているようだ。思いつつも言われた通りにその灰色のローブがもそもそと動いているのを見ていれば不意にその動きが止まって、そしてしゃがんだままのそれがこちらに振り向いたのと同時に思わず身構えた。顔があるべき場所に異様な単眼――いや、単眼の模様が縫い取られた布の面。すれ違った時にはフードに隠れて見えなかった。
「……おう? あれ、見るの初めて?」
 杖を手に立ち上がったそこから、妙に気さくに声を張って話しかけて来たのはどうやらその仮面の人のようだった。周りには人の話し声もなく、街の中を放射状に伸びる大通りとは違う、小道を挟んだ程度の距離ではよく通る女の声。クォルクが小さく笑うのがわかった。
「この二人はな。お疲れさん」
「どうもー。あ、これ制服だから気にしないでね」
 言いつつ杖を肩にし直しながらこちらに距離を詰めて歩み寄ってくる。これ、とは左手で布面を小さく持ち上げながら。見たこともない模様は、単眼の目のような意匠だ。丸いだけの目の上に眉のような線が二本、その先端はくるりと巻いて円を描いている。線は目の輪郭を示しているのだろうか、すぐ下にも一本曲線があって、さらにその下に雫の形が三つ。
 朗らかな声とは真反対な布の面に気圧されて、応えられずに横の団長を見上げる。紫がそれに笑って、灰と目のそれに声を向けてくれた。
「しばらく前から来てたんだが、夕歩きはさせてなくてな」
「なーるほど? じゃあ灯樹自体見たことないか、ちょっと待っててーすぐ時間だし点けるから」
「……点ける?」
 灰色は音を立ててローブを翻し来た距離を駆け戻っていく。カンテラを揺らしてしゃがんで何かをしていたその場所で杖を肩から下ろして、杖の先端に掛けられ揺れるカンテラを、無造作に中空に振るうのが見えて。
 次の瞬間には辺り一面、地面から金色の光の珠が浮かび上がるのが視界いっぱいに広がった。からんと乾いた鈴の音が何重も重なって鳴るたびに地面から噴き上げるように光を姿を見せて宙に泳ぐ。鈴はカンテラを掛けた杖から何本も垂れた織紐の先に揺られて響いているようだった。灰色の人は周囲がまるで洪水のように光に満たされるまでカンテラを振るい鈴を鳴らして、そして最後には杖の石突が硬い高い音を立てて地面に突き立てられて、呼応するように光の海がざわめいた。
 粒の形をした光が一斉に動き出す。一様に灰色にめがけて集まって凝る。凝って密度を増し頭上に広がり形を成していく。思わず声が漏れた時には、目の前に光でできた金色の巨樹が枝葉を大きく伸ばしていた。
「……うわ……」
「これが灯樹。宵歩き、警備隊の手伝いで私みたいなののことだけど、宵歩きの中でも数人で管理してる夜中の灯りだよ。日中地面で蓄えた光氣を集めて灯りにする。名前のままだねえ」
 そんなことができるのか。今までこの街で暮らす夜は殆どが屋内で、あるという事すら知らなかった、大通りには家々の軒先に灯りがあるから。こんなものは他国のどこにもなかった、黄金の光の巨樹など物語の中ですら稀少だろう。灰色のその人は肩に杖を担ぎ直してから再びこちらへと足を進めた。
「光氣を使う樹だから『異種』避けでもある、いくら王都と言っても警備も限りがあるからねぇ。灯樹の根は王都の外まで広がって天然の陽の光氣を溜め込むから周辺からして近付かれないように。まあ曇りとか雪とか雨が続くと使えないんだけどね、使い切っちゃったら起動できないし」
 面の下で言う彼女の声を聞きながら、眼は光の樹から話せなかった。葉は鼻先を緩やかに撫でる微風にもそよいで今にも葉擦れの音すら立てそうで、太い幹も、見るからにしっかりとした根も、先ほどまでは無かった。光でなっているとは思えないほどに本物のそれと同じように見えた。根元に立つ灰色の彼女はその光に照らされて、まるで真昼のようなはっきりとした陰影を刻んでいる。その手が持ち上がって、二度目布の面が示される。
「この模様は時神空神の八ツ眼の紋。略されて八ツ眼紋とも言うね。時間という絶対の法則の下に世界は動き続けている、っていう創世記にある記述を引いて、この首都から国土全体の時間を管理する、そういう職である宵歩きに特別に許された職業紋でもある。でもまあ、初めてだとびっくりするよね、単眼でバケモノっぽいし!」
「お、おう……」
 言葉を聞けばおそらく国家公務員だろう、と思い始めていたそれがあっけからんとした声に眼に思考も引っ張られて思考の方は消えていった。そうして眼を向け直せば、顔を覆う布の面が僅かに揺れて、どうしてか、笑ったように見えた。
「……ま、祭り以外に露店が禁止されてる理由だね。長時間影を作っちゃいけないよ、この国の蛇と色無鳥は人の影が好きだから」
 ――全身が総毛立つ心地がするのはなんとか抑え込んだ。声が出せない間に、ここまで口を挟まなかったクォルクの声。
「色無鳥?」
「色喰みとも言うけどね。記憶を食べる、怖いやつ」
 彼女が応えたそれには、しかし怖気の中で強い違和感を覚えた。視線の先、灰色のローブの下で腰に手を当てる、まさにその手元、腰に、■■■■■■■。声音は、どこか楽しげに聞こえた。団長の声よりもそれを制するように素早く次の台詞。
「早く帰らないと御局様が怖いんじゃない? 灯樹なら、晴れた日の夜にならいつでも見れるんだから、冷える前に早く帰りなよー?」
「……名前訊いてもいいか」
「こんな職に就いて無手に名を明かす輩なんて居ないよ。なんのために顔隠してると思う?」
「……」
「『そう遠くない』でしょ。その子も寝ちゃってるし」
「……虹の者、か?」
「残念、そういう括りじゃないんだなー。ほら帰った帰った、私が通りかかったのは偶然だよクォルシェイズ。話し合いなら明日以降。君も仕事あるでしょ。私もまだしばらくこの仕事してたいしさ」
 笑ったままの声音で、空いた右手で追い払うように振るう。名を呼ばれたクォルクを見上げれば硬い表情には警戒が見える、それに目を見張った。顔に出す人ではない、こうも、こんなにも明らかにする人ではないはずなのに。沈黙の中でさらに女の台詞が続いた。
「用があって来たんなら長話はしないで済ませてる。それに、流石に君の相手はしたくないな、狙って行くわけないよ。しかもこんな街中で、子供もいるのに」
「その子供に何もしないならこっちも用は無ぇがな」
「うーん? けっこう味方寄りだと思うんだけどなあ個人的には。その子たちに敵意を持つ人間を精霊が見逃すと思う? 冬雪の直前なのに?」
「お前は人間じゃねぇだろうが」
「なら君もだよ禁忌騎士」
 ――頭が追いつかなくなっていた。クォルクは何を知ってこの人を詰問しているのか。何故彼女は禁忌のことを知っているのか。どうして、彼女の声は深くなっていく。まるで諭すように。
「素直に退いて、何もせずに忘れるのが正着だよ。知りたいなら地位を投げ出す必要がある、その子の囚われにできるかどうかは見ものだけど」
「用がないならどうして口を出した。何もしないがお前の本分だろ」
「そのはずなんだけどねぇ。ちょっとイレギュラー起こりすぎだわこれは。しかもバグでもイフでもないでこの状況はねぇ……でも君みたいのが監視程度を邪魔には思わないでしょ?」
 応える言葉はなかった。灰色が揺れる。■■■が見えなくなる。無防備に背を晒して、灰色が歩いていく。背越しの声。
「じゃあね、早く帰りなよ」




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本文中に隠しリンク有。




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