「まずこの広葉常緑樹の枝の、細く葉の多い小枝を手で折ります」
「こうようじょうりょくじゅ」
「掌をこう、揃えて開いたように葉が大きい、冬の間もずっと休みなく葉をつけている樹のことです。冬の間は葉を全部落としてしまう樹もありますね、そちらの方は落葉樹、といいます。樹木の種類の話は難しいので今度図鑑を探しましょう」
「はい」
「よろしい。フェルリナード、細い、葉の多い枝を選んで、教えてください」
「いっこ? たくさん?
「六本は取れると良いですね」
「……クロ大丈夫?」
「……粉にしそう」
「丁寧にするんですよ」
フィエリアルが言うのにはためらいつつはいと頷いて、細い枝の一つをつまむ。別のところに力がかからないように慎重に細い枝の根元、太い方を抑えて、一息に一気に力を込める。途端、ぱき、でも、ぽき、でもない、ぶつ、という低く重い音が立った。三人分の視線。冷や汗。
「……フィエルさま」
「あれは例外です。気にしないでよろしい」
「はい」
フェルリナードの素直な返答が胸に痛い。次第に丁寧語も使うようになっているのは恐らく使っている相手である療師の影響だろう。思いながら、二つに分断された元は一本の太い枝をテーブルの上に静かに置いた。肺の底から空気が完全に抜けていって、足りずに顔を覆った。
前の腕輪が割れてしまって発覚した一番の問題は、これだ。力加減が分からなくなった。コウハの子供は皆こうだと父は言うが、硝子のコップくらいなら特に頑張らずに割れる程度の力は八にもなれば誰しもが持つようになり、自分は、それをほとんど体感することなく生きてきたのだ。あの腕輪の恩恵によって、並みの子供よりは力持ち、程度でいられた。鉄剣はもう長剣の重さ長さと同じものを探しておく、と、年末年始に休みをもぎ取ることに成功したらしいエディルドがイースを連行しながら伝えてくれた。あの二人が夫婦だというのもその時知った。もしかしたら自分はそういうことにものすごく疎いのかもしれない。全く気づかなかったとこぼした時の幼馴染の「えっ」という声と表情も非常に良く刺さった。
「……く、クロ、大丈夫……?」
「平気……生きるの下手なのがここ二日で判明しまくってるだけだから……」
「八歳児なんですから今から十分修正して上手にしていけますよ」
「否定はしてくれないんですねフィエル様……」
「上達に自覚は必須です」
冷酷。思いながら顔を上げてもう一回息を吐き出す。細い枝が付いている方をもう一度持ち上げて、今度こそと思いながら小枝をもぐ作業に戻る。
昨日買ってきた材料を使って、祭に使うのだという花冠を作っている最中、というよりも作り始めて五分ほどのところだ。力の入れる方向と繊維の方向を見ながらようやく二本が取れて、それでほっと息をついた。というか。
「どうして鋏とか使っちゃいけないんですか? 全部手でって……」
「祭に使う道具は、鉄に触れてはなりません。祭は神への感謝を伝えること、次の祭まで健やかに生きるために精霊の力が阻害されたりしないように進んで空気と環境をと整えること、という二面があります。主旨は冬の誕生祭と越冬気運を高めることですが、同時に神事の面も備えることになりますね」
「神事?」
「神に関わる儀式です。魔導師もあまり馴染み深くはありません、神殿の神官たちがひっそりと行うものですから」
「……神様の儀式なのに、大きくしないんですか?」
慣れた手つきですでに六本の小枝を取り終えていたラシエナが、フェルリナードの様子を見ていた眼と顔を療師に向けて問いかける。ラシエナも知らないのかと同じように目を向け直せば、フィエリアルは目元口元だけで笑みを浮かべた。
「この世界の禁則、全人類の誓約は覚えていますか、二人とも」
どうやら良い質問だったらしい、待ち構えていたと言わんばかりの問いで返された。二人で顔を合わせて眼を見交わす。なんだっけ、とその眼を落として呟く緑紅の様子を少しの間伺って、フィエリアルに手で促されて口を開く。
「えっと……『其の者は天に触れてはならない』、『天が其に触れてはならない』。『其は天を歪めてはならず、優越してはならない』。『魔とされる理を犯してはならない、それを優越してはならない』。『天の理と地の理を混同してはならず、同一にしてはならない』、……えーと、あと三つ……」
「……あ、『天の理をもって地を枯らしてはならない、地の理をもって天を枯らしてはならない』。あと、『天と地をもって樹と泉と扉を保たねばならず、乱してはならない』。で、最後のが有名なの……」
「『これを犯すには地の理の許しがなくてはならない。犯さんとするを禁忌とし、これを禁ずる』」
「だよね、の、七つ、です」
「はい、よく覚えていましたね。今回実際に関係するのは、一と七ですね。一は、神と人間の双方向への交流、介入、干渉の禁止。七は、これらの誓約を破るためには、地の理、と呼ばれるモノか人か、その許可を要することと、許可を得ずに誓約を破り禁忌に触れることを禁止する。さて、先ほど神事とは神に関わる儀式だ、と言いました。これらを組み合わせると?」
会話の間に、フェルリナードの呻く声。小枝を折り取ろうとしながらのそれに療師が手を貸している其の時間で思考をつつき回す。誓約では神と人は双方に触れてはならず、それをするには何らかの存在からの許可が必要となる。神事は神に関わるもの、神殿で行われる儀式。
「……あ、人がやってるから?」
ラシエナが声を上げる。それを聞いて、そうしてようやく合点がいった。だが次には新しい疑問にすぐに変わる。
「あれ、でも人がやるのは駄目なんだから人が出来るわけ……」
顔を見合わせる。あれ、と二人揃って疑問符を疑問符を浮かべれば、テーブルの対岸のフィエリアルが満足そうな表情を浮かべるのが見えた。
「神官の中には、許可を持つ官が居るのです。幼少から特別な勉学と修行を修めた、祭祀、と呼ばれる神官たちは、地の理という、ものあるいは人からの許可を有している」
疑問は晴れなかった。どころか膨れ上がった。ラシエナが身を乗り出す。
「地の理、ってなんですか?」
「明確には判明していません。ですが『許可を受けた』という宣言を行うのは、この国の中にある魔法院です。魔法統制統御院。キレナシシャスが魔導統国の二つ名を持つ由来となった組織です。国内外、少なくともこの大陸内に存在する全ての魔法を蒐集し管理し、禁忌魔法などの禁書指定を行うのもこの魔法院です。他国にも影響力の強大な組織ですね」
「……その魔法院が、地の理、なんですか?」
「それがまだ判っていないのです。ですが、魔法院が許可するとして禁忌を破った者は罰を減じて許されたのに対し、許可しないとした者は同様の禁忌を破ろうとし、代償としてその命で禁を購うこととなりました。故に、魔法院が地の理と呼ばれるものであるか否かの議論は措いて、『魔法院が許可する』という行為が免状に代わるものとされ、そのように扱っています。祭祀の神官は、そのように許可を受けた神官を指し示すのです」
「だから、神官は神事、を、やって良い、わけですか?」
「そうなりますね。さて、二番目の問題に戻りましょう。なぜ神事を大々的に行わないのか、でしたね。全て合わせて考えれば、解りますよ」
首を傾ぐ。そこに繋がるのか。自分にしてみれば神という言葉が縁遠すぎていて、話を聞いていても何やら絵空事だ。現実味のない話として認識してしまっているから、頭の中に入れてもそれをどう組み合わせていけば良いのか、それすらわからない。かといって目の前の作業に戻るのも場違いな気がして、ただなんとなく眼を落として思考する。神官は許可を与えられている。神事は神官が行うもの。神事とは神に関わる儀式。その三つを頭の中で復唱して、あれと思った。
「……あれ、関わるってそういう?」
「え?」
「もう少し具体的にどうぞ」
言われて、えっとと口ごもる。具体的に、わかりやすい言い換えを頭の中で模索する。そうしながら口を開いた。
「えっと、神に関わる儀式って、神にまつわることをする儀式、じゃなくて、神に直接関係する……触れるとか話すとか、そういう意味での関わる、ですか?」
「はい、その通りです。ですから神官は許可を得る。では?」
「……許可を持たない人間が神事に参加することは誓約に反する、禁忌を破ることになる、だから大々的には行えない」
「はい、正解です。私のような魔導師、クォルシェイズのような騎士は特に神々との相互の干渉を制限され、監視されています。特に神に触れてはならないのが剣を扱い習熟にかける剣士や騎士。これが最初の問いへの答えになりますね、神々や精霊を殺すことができるのは、人が振るう、扱う鉄だけなのです。鍛えた鉄は存在するだけで氣を破壊することもある、どんな剣にも鞘があるのはむやみやたらに氣を殺してしまわないように、の意味があります。祭は神事を裏で行いつつ、表では精霊と氣を盛り上げる。ですから祭で使う道具は作る過程に、たとえ道具の一つでも、鉄のものを入れてはなりません。せっかく作っても精霊に忌まれてしまう、そうならないように全て手作業の上、どうしても必要な部分でだけこのような、鉄を使っていないナイフを使う」
言いながらフィエリアルが手を伸ばして持ち上げたのは、テーブルの上に置かれていた革の鞘の短刀。鞘から抜かれたのは、ぼんやりと白みがかった石の刃。
「ラシュトゥリム鉱で作られた短剣、ナイフです。鉄に似た性質を持ちますが、親魔法性質の鉱石ですね。これは神や精霊や氣を害さない。ですから花冠作りの中で切る、削るという作業はこのナイフを使うように」
「はい」
何かと制限が多いのだな、と思う。思いながらの視線の先でフェルリナードが四本目の小枝を取ろうとしているのが見えて慌てて手元の作業に戻った。小枝を探し出し、葉がいくつもついているのを確認して、太い枝からそれを指先でもぎ取っていく。合計で六本がきちんと取れた頃にはその作業での力加減も判ってきて、余裕は思考に割かれていく。
――禁忌。団長の禁忌。昨日の夜のあの会話の意味はわからないままだ。団長は、確認に行くとも行かないとも、どうするとも言わないままで、今日はもう任務に向かったと朝に聞いたきりだ。
贄のことも解決しない間に、悩ましいことが起きてしまったなと思う。団長だけのこと、ではない。あの灰色の人は、フェルリナードのことも知っていたように思う。あるいは自分のことも。あの後フェルリナードは夕食の時間になるまで眠ったままで、どうやら灯樹のことだけは鮮明に覚えているようだった。また見に行きたい、と、珍しく強い調子でフィエリアルに訴えかけていたから。
「取れましたね」
「はい」
フィエリアルの声に答えれば、では、と療師が手を伸ばす。テーブルの上にはいくつかの道具と材料が並べられていて、鍛刀の鞘が戻され麻紐が持ち上げられる。
「次はこれですね。枝を丸く組んで、冠の形にしていきます。形を整えるのは後からもできますから、継ぎ目が解けないようにとだけ気をつけて、一度点で結んでいってしまいましょう」
言いつつ差し出された一巻きを、手を伸ばして受け取る。一巻きといっても数メートル程度だろうか。それを丁寧に、間違っても引きちぎってしまわないように気をつけながら解いていく。
「切るときは先ほどの短刀を。紐の端が葉よりも外に出てしまわないように気をつけてくださいね」
「……ちぎりそう……」
「君は、本気を出したらどこまで折れるのでしょうね」
「制御の腕輪が割れる前は木剣三本と壁に椅子生やしたりしました」
「立ち木一本ならいけそうですねえ」
嫌だなそれ。成年する頃には化け物になってそうで。療師が手を貸した先、フェルリナードが手元から眼を上げるのが見えて手が止まる。疑問符を浮かべてフィエリアルを見上げるのにはこちらも疑問符を浮かべて、その様子を見て気づいたフィエリアルが口を開いた。
「どうかしましたか?」
「……?」
「ん、……どうしたんだろ、何か気になることある?」
「……わからない……――――――」
フェルリナードが訊いたラシエナに答えて、すぐにフィエリアルを見上げて何かを訴えかける。そのまま何度かやり取りをして、その最後に、ああ、と納得したような療師の声。
「種族のことですね。種族の命名は多くが古代語からですが、共通語の発音にしてしまうと通じませんからね」
「しゅぞく、は、わかる。どれ、は、わからない……」
「えっと、俺はコウハだけど……」
「コウハ、という名自体が古代語の語の一つなのですが、古代語は聞けば、たとえそれが初めて聞くものであっても完全な理解が得られる言語ですから、何と言いましょうか……名をてがかりに、現実のどれかを思い起こす、我々が常日頃している、会話での想起、というものが必要ないのです。だからフェルリナードは、まだこちらの会話は難しいですね」
「なまえ、でわからないと、わからない。かんかく? が、ちがうって、ディアせんせいが言ってた。……みんな、むずかしいことしてる」
「私たちはこれで育ちましたから、難しさは感じないのですがね」
聞けば解る。あの感覚か、とピアスに意識を向けつつ思う。あのときは、これは無口になるものだと変に納得したが。一言、名前か、個別に何かを指し示すだけで全てが伝わるあの感覚。自分が理解して口にした意味も現象も状態も全てが伝わっているという確信の下に行われる会話。あのときはフェルリナードがいくつかの言葉を知らなかったから、あるいは忘れてしまっていたから、それで言葉数は増えていたが、伝えたいことは伝わっているのだという理解があった。その理解ありきの会話だった。
「……――――、えと、古代語? のが、らく……」
「君にとってはね。私たちには、まず音を出すのからして難解ですから、聴ける人でも話せないのがほとんどです」
「フィエルさまは?」
「私は樹ですから。木霊の音は得意で、おかげで救われました」
「こだま?」
「樹々の声ですよ。私の種族は樹ですから。ホルス=コドです、「hwessce」の「chiodd」」
「……枝の一つ木?」
「ええ。始祖である大樹から別れた幹の一つが我々一族で、個々はその枝々」
二人が言い合うその最後のそれに、隣の緑紅と顔を見合わせた。互いに何度か譲るような仕草を繰り返して、最後には押し切られるようになった。顔を向かいの二人に戻せば療師の笑み。
「どちらを?」
「クロ先で」
「だ、そうです」
「コウハですね。コウハは、性別と、成年しているかどうかで、本当は名が変わるんです。クロウィルの場合は、コウハ、のみですね。「khhoyuiaa」です」
「紅葉の根の者」
「ええ、成年する前、一人前になる前の子供と、女性は一生そのままで変わりません。ユゼのように、男性が大人になると、名はフィオ=テス=コウハに変わります。「fio en cthies khoeheyaff」ですね」
「紅葉実らす幹葉の者。……エナは?」
「あ、ごめん、トリが平凡になっちゃった……」
「とり?」
「ああいや違う別の意味ね『トリ』は!! 私は普通のヒト……クロ!?」
「ごめ、」
テーブルに顔を突っ伏して腹を抱えて震える。噴き出すのは何とかしてこらえても震えまでは抑えきれなかった。療師の声すら笑いを押し込めているのが明らかだった。
「鳥は知っている通り『phallrmoar』で」
「フィエル様!?」
「鳥」
「フェルも!! 違うからね!?」
だめだこれ早く決着つけないとフェルリナードに悪影響が。思っても不意のツボには勝てなかった。
息が苦しい。
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