案内します、と言ったクライアの背を追って棟の別の入口を抜けて、敷地の中では北側だという訓練場に向かう。コウが未だに立ち直れないまま外套のフードに潜り込んでしまうのには苦笑しながらそれについて歩いていくうちに、オルエがそういえば、とフェルに横目を向けて口を開いた。
「慣れた様子ではない上、そのような噂も耳にしてはいないから訊くが、どの師についていたのかね?」
「あ、と……知り合いの魔法使い達に、総当たり……と、いうか」
 思わず口ごもる。思った通りに意外そうな表情で見下ろされるのがわかって思わずクロウィルを仰げば、青翠の苦笑。
「確かに学校じゃないですね。俺の伝手で、俺の親とか、その知り合いとか」
「ああ……なるほど。なんの前触れも、予兆も無く、若年で、しかもエジャルエーレの後援と聞いて、少し不思議に思っていたものでな」
 言われればフェルは曖昧に笑うしかできない。『サーザジェイル』は、そうなのだ。どの学院にも学校にもその足跡を辿ることは出来ず、二年前に唐突にエジャルエーレ家の当主が後援を宣言し、幾つかの論文が学会に発表された。ただそれだけで、サーザジェイル本人が魔導師達の集会に顔を見せた事はなく、衆目にその姿を晒した事も無い。魔導師の集まりや学会ではその論文を取り沙汰して、いずれかの魔法使いの筆名ではないか、と囁く声もあるらしい。エジャルエーレの当主がそれを否定もせず隠して面白がっている風だから、一時は王宮の中ですらその話題が神殿にまで聞こえてくるほどだった。
 そうなった原因は、その『サーザジェイル』が一番に発表した論文が、所謂『問題作』だったから、なのだが。オルエはどこか面白げに笑ってみせた。
「まさか師にはヴァルディアがとも思っていたのだがな、あいつも弟子を育てても良い頃合いだとは、常々」
「長官が弟子を育てる暇があるかは、疑問ですけれど……でも、ヴァルディア様にも教えて頂いた事はあります」
「やはりな。あれを読めば判る」
 フェルは口を噤んだ。そのままセオラスを見上げれば、どこか面白がるような眼をくれる。
「俺もあの論文読んだけど、普通あのテーマって、思いついたとしてもやんねえぞ? 相当捻くれてる魔導師なんだろうなーってのが大体の蒼樹の黒服の総意だったわけで」
「……でも、不可能性の証明だったし、それならまだ良いじゃないですか」
「いやあのね? まだ、だからね? しかもその不可能性の証明するために法律すれすれ通らないとだろ? 危なすぎるっての」
「頑張ったんですよ、一つも法を犯さずに犯罪行為するの」
「そういうところで頑張っちゃうのがあいつと似てるわけよ」
「……あいつ」
「ヴァルディアだな、だからもしや、と思ったのだよ」
 一歩先を歩くオルエが挟み込んだそれに声に詰まる。道案内で前を歩いていたクライアが、流石に気になったのだろう、肩から振り返った。
「……学長はともかく、フェルさん何したんだ……?」
 フェルは眼を逸らして答える。セオラスがその様子を見て肩を落とすような仕草をしてみせた。
「……騎士課程だとやんないんだっけ、生体構築学」
「あー……やりました、ね。過去に」
「クライア……」
「いやだってそのあと使う事も無いですし俺ら。人の門とか氣の流れとかは覚えてますけど、……うん?」
「……フェル、お前の悪行を晒すことになるんだけど」
「悪行じゃ、私が書いて発表した時は禁忌指定じゃなかったですよ……!?」
「今は禁忌なの!?」
「えっあっ、……」
 クライアの声にしまったと声を濁したそれに、お前なあ、とクロウィルが口元を押さえてくつくつと笑うのは視線を向けて睨み付けるだけしか出来ずに、横から伸びてきたセオラスの手に頭を撫でられれば目を逸らしながらも片手で追い払った。気にもしていない様子で、セオラスはクライアへと眼を向けた。肩をすくめる。
「ホムンクルスってあるだろ、大昔からの錬金術のひとつにさ」
「ああ、試験管の中の人、ですか。なんか維持が面倒とかなんとかは聞きますけど」
「それの製造したのこいつ。しかも実物大の自分の複製を」
 視線が向けられるのにはフェルは沈黙を押し通した。雪の気配の消えない土を踏む数人の足音、少ししてその上に声が被さる。
「……実在の人間の複製って確か駄目なんじゃ」
「複製じゃないんですよ正しくは。ホムンクルスを自分と同じ外見性格思考回路になるように育てる方法を確立しただけで」
「……えっ」
「しかもかなり簡単な理論使ってな。いやもう図書館の上から下まで大騒ぎで、国中の十二法師やら北の長官まで引っ張り出されての検証とか、あれ大変だったんだかんな?」
「あーなんか検査員の名簿がすごいことなってましたねあの論文……だいたい百人巻き込んだかなって思って満足して確認してなかったんですけど、セオラスさんも居たんです?」
「……あのね、他人巻き込んで満足するのもちょっと違うからね」
「でも『ちょっと』なんですね」
「先例いるから」
「……まさかそれもヴァルディア様とか言いませんよね」
「ご明察、あいつの最初に出した論文も同じ道通って禁忌指定されてるんだなこれが」
 嘘だぁ、と顔を覆った紅銀を見やり、クライアが副学長を見れば、オルエは軽やかに笑っていた。
「いや、いや。しかもその方法を確立した上で、故に実在の人間の完璧な『複製』を製造することは不可能だと言ってくれたのだから面白かった」
「……うんっ?」
「いやね、元々仮説があったのよ。ホムンクルスで完璧な複製が作れるんじゃないかってな仮説がな。んで、その不可能性を証明する為に、作っちゃったと」
「……『同じ外見、性格、思考性』までは出来たんですけど、魔力回路までは何をやっても駄目だったんですよね、再現できなくて。だから複製ではなく模造であって、寿命も十日と持ちませんでしたし」
「まあ、普通はやらないな、そういういかにも綱渡りな論証なんて」
 言うクロウィルを見上げれば、背中しか見えないのに笑っているのが判る。クライアが髪をかき混ぜるように頭を掻いた。
「……魔導師ってよく分かんないなー……」
「魔導師にもわかんない魔導師っているしなー」
「……それセオラスさんに言われたくはないです……」
「ええー? 俺割と標準的だろ?」
「誰が」
 言ったのはクロウィルだった。相方に言われれば流石に言い返せないのかセオラスは緩く視線を外していくだけにとどまって、やっぱり仲が良いのか悪いのか分からないと青を見上げたフェルが、その先に何かが見えて眼を瞬く。覗き込むようにクライアとクロウィルの背の隙間から見やれば、飾り柱のような石柱。
「……?」
 疑念を浮かべたフェルが前を行く二人と距離を詰め、クロウィルの右の袖を軽く握りながらその先を見やれば、広い空間。石柱は何もないただ広い空間を囲うように幾つかが立っていた。立ち止まったクライアを、同じく足を止めてから見上げる。
「訓練場、です?」
「六角形の囲いの中が、自由戦闘が出来る場所。でもフェルさん講師だから外でも使えるんだけど」
「学生の剣と宝珠には、特例時以外には抜けないよう、使えないよう封印が施されるからな、ここの他では中々無い」
 加えて説明してくれるオルエには有難いと思いながら、示されたそこに再び眼を向ける。思ったよりも広い、と思ううちに、横から肩を突かれた。
「今日はお前のが使うから、結界の調整しちゃってくれ。ここいつもは効果グラスィアの上限が決まってるから、こういう訓練だとやり難いんだよな」
「あ、はい。でも私に合わせちゃって大丈夫ですか……?」
「んーまあ感覚で合わせるから平気。ちなみに通常時の上限は五〇〇〇です」
 フェルはオルエを見上げて、彼が肩をすくめるのを見て視線を遠くへ追いやった。セオラスに向き直る。
「……了解です。ん、と、ちょっと久々なので、少し様子見しつつ動いても大丈夫ですか?」
「構わない。学生が集合するまでも、もう少し掛かるだろうからな」
 副学長のそれに頷いて、それで握っていた袖を離して石柱が囲うその中へと小走りに向かう。それを見送って、セオラスはそれとなく横へと並んでクロウィルに声を向けた。
「……やっぱ全然予想もしてないと思うぞーあの様子だと……」
「んー、まあ、だろうなとは思うけど」
「いいのそれ?」
「一回経験しとかないとだしな。どう足掻いたってあと何年か……五年くらいは付きまとうだろ、こういうの」
「そうだけどさー……」
 クライアとオルエが何かを話し合っているのを横目で確認してから、クロウィルは右隣を見やった。どことなく不満げな表情に、眉を上げる。
「……気にしてるんだな、案外」
「そりゃもー後輩ですから。ここで心折れちゃうのとか、そこまでいかなくても嫌な思いされんのは嫌じゃんこっちも」
「……ふぅん……」
 間が開く。ただの相槌にしては重いクロウィルのそれに、無言の後にセオラスは大きく息をついて肩を落とした。
「……ああ、うん、確かにね? 本人来る前は色々と思ったしお前にも言ったけどね?」
「覚えてたじゃねぇか」
「忘れねえよ。……いや、だってさ。色を度外視すれば完全魔導師じゃん」
 『紫銀』が拝樹の第一を通過した。白黒に聞こえてきた最初はそれで、それ止まりだった。何が出来るのかもわからない、『異種』と戦う事がどういう意義を持つのか、それを理解しているかも分からないと、最前線に在る所属者たち、特に黒服はそう強く懸念していた。
 危険に過ぎると紫旗に言った者もいたが、それよりも多かったのは懐疑だろう。声にはならずとも、だが空気には現れていた。その空気も、実際に所属者の眼に触れる拝樹の最終試験を境に薄れて、立ち消えていったが。
「だから最初っから『魔導師だ』って言ってただろ」
「だーってさーぁー……『サーザジェイル』だってのも入ってきてからしばらくしてから知ったし俺。それで大分、黒の中でもほぐれたけども」
「お前ら紫銀何だと思ってんだよ」
「よく分かんねぇんだって。『紫銀』だっつってもそれだって色の名前だろ」  小声で言い交わすうちにセオラスが言えば、それでクロウィルは口を噤んだ。視線を向けた先、銀色は地面にしゃがみこんでいる。結界の調整をしているのだろう、そう見て取ってセオラスはそのまま口を開いた。
「……まあ、所謂典型的な深窓のお嬢様かなぁとは思ってたんだけど」
「全ッ然、違う……」
「うん……全然違う……」
 力無い全力の否定が横から暗く聞こえれば肯定しかできなかった。心労は並大抵ではなかっただろう、所属者から見てもなにかしらズレているようなとは思うのだから。
 思いながら見ているうちに不意にその銀色がこちらを振り返る。何かと疑念になる前に声が聞こえた。
「セオラスさん、セオラスさんの平均って幾つですかー?」
 声を張った問い掛け。セオラスは苦笑しながら口の横に手を当てた。
「気にせんで良いってのー!」
「気になるので! 好奇心です!」
「あーじゃあお前の十倍くらい!」
 遠目に笑っている様子が見えて、それにつられて二人も苦笑する。すぐに一瞬全ての風が凪いだような感覚だけが走り抜けて、そして間を置かずに空中に硝子の壁のようなものが一瞬見え、すぐに消える。
 すぐに六角形の中央に陣が開いた。ゆっくりと大きく広がり、炎が舞い上がって結界の中に吹き荒れる。覆われたその外にもその熱量が迫るのがわかって、結界に背を向けていたクライアが小さく声を上げて振り返り、そしてうわあと漏らすのが聞こえた。
「……前からちょっと気になってたんですが」
「うん?」
「魔法使いって熱かったり寒かったりってしないんですか」  問い掛けられたセオラスはああ、と結界を見やる。砂色のコートが翻るのを押さえながら、小さい黒が次にと広げていたのは風のそれ。
「魔法の構築の段階で、行使者は魔法の影響下から外す、って決めてるのがほとんどだからなぁ……でも間違えると服が燃えたりはするぞ」
「うわ怖い」
「そんなもんそんなもん。……フェル、大丈夫そうか?」
「大丈夫です!」
 駆け戻ってきたフェルはセオラスのそれにはすぐに返して、そして距離を詰めればすぐにクロウィルの右袖を軽く握る。そのまま視線が訓練場の反対側に向いたのを見てクロウィルがその眼の向く先を追いかければ、臙脂色の何人かがこちらに歩いてくるのが見えた。懐中時計を取り出せば、もう五分もない。
「そろそろだな……フェル、一回合わせとくか?」
「ん、と……たぶん、平気だとは思うんですけど。どっち使います?」
「ひとまず必要回数は長剣。補助とかはいつも通りで大丈夫だけど」
「なら、いつも通りで」
「了解」
 言い合ううちに、臙脂色の何人かは顔のわかる距離にまで来ている。クライアが迎えるようにそちらに足を向けるのを何となく見ているうちに、オルエが数歩距離を詰めてフェルへと声を向けた。
「基本、細々とした事は学生の自治に任せていてな。出欠もそうだ、今日は這ってでも皆揃うだろうな」
「そう、です……?」
「意欲は有り余っているさ」
 言ううちに背の方で少し揺れるような感覚があって、少しもしないうちに肩に鋼色が這い出てくる。ぎゅ、と潰れた声で鳴いたそれにはフェルは苦笑した。
「ちゃんと一緒ですよ、大丈夫です」
 言いながら頭を撫でれば頬に擦り寄るようにしてすぐにまたフードの中に収まっていく。皆、というところに引っかかったのだろうとなんとなく暖かな気持ちでいるうちに、オルエの視線に気付いてフェルは首を傾げた。
「……え、っと……?」
「……ふむ。いや、使い魔にしては主従には見えないな、と」
「そう、です……?」
「見てきた主従が、主従らしいものばかりだったからな」
 言うそれを聞いているうちに、少し離れた場所からの視線が刺さるのを感じる。オルエも気づいているのかちらとそちらを伺うのにつられて顔を向ければ、途端に散っていく。臙脂色の集団はすでに膨れ上がっていて、そのほとんどが見上げる大人達に見える。見える、というよりも、形容するには大人、で正しいのだが。
 学院への入学試験の受験資格は十二歳から与えられる。だがそこに上限はない、二十三十の学生も、魔導師を養成する面もある学院には珍しくはない。制服だけでは課程の見分けが難しいと思っているうちに、握った袖の先が揺れて見上げれば、クロウィルがセオラスへと視線を向けていた。
「歯止めよろしく」
「そういうところばっかり年長者の役割回すのもらしいよなお前……」
「できないことはやらない主義」
「はいはい素直なこって……副学長もなんか言ってやってくれよー……」
「出来ぬことをやると言わないだけマシのように思われるが?」
「魔法使いのそういうとこだけはほんと俺嫌い……ッ!!」
 セオラスが顔を覆うのを聞いて、はたと思い至ってフェルがオルエを見上げれば、どこか面白がるような視線で返ってくる。思わず紅を瞬かせた。
「……騎士だと思ってた……」
「よく言われるな。前線には立てない身だが、それ以外には問題なく魔導師だ」
 やはり見た目で判断するべきではないのかもしれない、とそれを聞いて思案するうちに、出欠を終えたクライアがオルエに皮表紙の冊子を差し出す。受け取ったオルエが確認して頷いたところでこちらにそれを渡してくれるのを受け取って、首を傾げたところでセオラスの手が横からそれを開いていく。名前が並んだ名簿。冊子はそれなりに分厚いが、おそらく評価の用紙も挟み込まれているからだろう。
「こっちの、右側の欄が回数のやつな。左は出欠だけどバツ付いてない限り気にしないでいい。この、八から十班までを一通りやるから、その後のこの空いてる部分は任せる」
「……結構ありますね……?」
 まるまる手付かずが数班見え、ざっと見て十五回分は欄が空いているのを見て、呟く。見上げればセオラスは遠い目をしていた。
「さすがにきついのよ諸々。見てわからんことあったら訊いてくれ」
 了解です、と答える間に指示を受けたらしい臙脂色が結界へと動いていく。その間に何人かの塊になっていくのを見て、ではそれが班だろうかと思っているうちにやはり幾つも視線を感じるのにはなんとも言えない気分になる。そうしているうちに遠くから鐘の音が聞こえて、それでオルエがさて、と声を上げた。
「時間だ。監督は何事もなければ見ているだけ、が通例でな。後は任せよう」




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