正直、この訓練の有無で何が変わるでもない、というのは、二人の共通見解である。
「やっぱ軽すぎて飛ばしそうだな長剣……」
「って言ってこっち飛ばしてきたらさすがに反撃すっからな?」
「長剣一本で死ぬ輩かお前」
 これが信頼なら良かった、と大仰なのか嘆くように言いながらセオラスが手を伸ばし、そこに杖が顕現する。左手でくるくると長剣を宙に泳がせて弄んでいたクロウィルは、結界の中へと揃って入ってきた五人を見てその刀身を肩に担いだ。
 何かが変わることに期待しないでも、それ以前に知らなさすぎる、というのが、二人がこれを買って出た理由でもあった。
「一班五人って最低限だけど最適解だよな……」
「七人だと多いもんなぁ、四人も騎士の動き追うのは流石に経験だわ。おし、ちょっとこっち来いこっち」
 声を上げて手招いたセオラスに臙脂色はすぐにそちらに距離を詰めた。先頭、腰に剣を佩いた一人が腰を折る。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、っと。まあ昨日の続きなんで確認だけなんだけどな。いつもの五項目の中で重視するのは連携だけだ、それはいいな?」
 言ううちに、いつもの人懐こそうな空気はゆっくりと別のものにすり替わっていく。はい、と声を返した学生達も気付いているのだろう、表情には硬いものが浮かんでいる。言っても、昨日の一連があったからかもしれないが。
「どうも魔法使いは剣士を無視しがちに見えるからな。必死になるのはわかるけど、実際は補助なければ魔法なんか使えない。気をつけろよ」
「はい」
「今は平地だし範囲も狭いけど、本番は森だし足場悪いし視界も悪いで悪いづくしだからな。陽が暮れればその分も面倒だから、魔法使い面々はそれも加味して考えるように。方針の策定は魔法使いの仕事だぞ」
 はい、と返すのは五人のうち二人。残り三人とも目を見交わして頷き合うのを見やってから、クロウィルが肩の刀身を下ろして口を開いた。
「今は対人だからさして不都合はないように見えるけど、剣持ちが前に出すぎれば死ぬからな。称号を享けていない分無茶はするな、味方の魔法の届かないところには行くな、くらいだな」
 それには先程よりも歯切れの悪い返事が返される。クロウィルは何も言わないですぐに背を向けて距離を開いて、セオラスがそれじゃ、と息をついた。
「やりますか。……ああ、昨日も言ったけど、殺す気でやれよ? じゃなけりゃやってる意味ないからな」
 言い置いて、セオラスは白服の背を追う。最後のそれに返答が無いのは思った通りで、それには何も言わずに騎士と視線が合えば代わりとばかりに口を開いた。
「もうちょっと愛想良くするとかさ?」
「もうああなってたら無意味だろそれ。いい大人が馬鹿らしい」
「そんなんだから歳上に歳下がって言われんだろ?」
「年功序列がどこで役に立つんだっての」
 そこまで割り切れているのであれば、とは思うだけに留める。少し気になって眼を向ければ、やはり結界のすぐ外に立つもう一人の黒は、遠巻きの視線に囲われているようだった。未だ好奇心で済んではいるだろうが。
 振り返って五人を見れば、剣の柄に手を掛けた三人と腕輪を押さえた二人とが互いに何かを確認し合っている。すぐに距離を開けて刀身が三つ姿を現す。
 その中の一人が地面を蹴るのを合図に、セオラスが眼を細めた。
「後ろ二人落とせば十分だろ」
「了解」
 白が右に持ち替えた剣を握り、足を踏み出す。



 訓練の場数は踏んでいる。そんな風に見えると、フェルは結界の中のそれを見ながら思う。途中でフードから這い出てきたコウが肩に腰を落ち着けて、遠巻きの臙脂色や少し離れた場所で全体を見渡しているらしいオルエに聞こえないように小声を落とした。
『セオラスの魔法は、初めて見る』
「うん……すごい……」
 肯定は感嘆と同時だった。見なければいけないのは全体なのに、どうしても黒の操るそれに眼が取られてしまう。
 構築が緻密に過ぎるわけでも、詠唱が輪をかけて素早いというわけでもない。だが、魔法を扱うと言うには自然体だった。精霊を説き伏せる無理も、魔力を押し出す無茶も感じない。あるいはそう見せているだけなのかもしれなくとも。
 甲高い音が鳴り響いて長剣の一本が宙に舞う。学生の一人、剣士が首に切っ先を突きつけられているその後ろで魔法使いの一人が地面に倒れ込んでいた。一瞬浮かんだ陣は闇のものだったが、その判断は付いているのだろうか。
「……久々ですねぇ、こういうの」
『そう、なのか?』
「前は、よく見てたんですよ。紫旗の訓練とかそういうの」
 協会に入る前はそうだったから、数ヶ月前までのことだ。さほど時間が経っていないのに懐かしいと思う。
『……対人、は、不思議だな』
「そうですか?」
『相手に合わせるのも難しそうだ。……本気、では、ないのだろう、二人とも』
「そうですねぇ……」
 あの二人が本気になったら、恐らく蒼樹の白黒の中ではほぼ筆頭だろう。個人の技量だけではない、今当然のように白服が選択し行っている事も、出来ない騎士の方が多い。黒服を守るだけではない、だが敵方を追うだけでも深追いするでもない。追い込もうとする相手を上手く引き入れて、降す。それだけ。
 功を焦っているのだろうかと深追いを続ける学生を見ているうちにもう一人の魔法使いがくずおれる。残り二人と見たところで、黒服が詠唱の手を止め、白服が片腕を上げて二人を制止する。ここまで、と通る声が響くと同時に剣士二人が振り返って、そこでようやく三人に気付いたらしい。
 あっけない、と声には出さないでいるうちにセオラスが倒れた二人に駆け寄っていく。小さな魔法、覚醒を促すそれを遠目にしながら不意にクロウィルを見れば、剣士達三人に何かを言っているようだった。
 言葉は遠くて聞こえない、だが学生達が何かを言い返すのに辟易としている様子は見て取れた。魔法使いが二人立ち上がったのを合図に五人はこちら、臙脂色の集団の方へと戻ってくる。
 合間に、声。
「騎士が何が……」
 ちらと視線を向けた先、剣を携えた男性は憎々しげな表情を隠しもしない。視線に気付いてなのか偶然なのか、一瞬噛み合った眼の色は憤慨に見えた。
 息を吐く。理由の一つはこれかと一瞬だけのそれを見て思い至って、低く喉を鳴らす音にはその鋼色を両腕に抱き込んで苦笑した。
「歳の事はどうしようもありませんからねぇ」
『だからと言って』
「全員が全員じゃないから良いんです。まだ直接やられたわけじゃないですし」
『……慣れてる、のか? フェルも。クロウィルも」
「私は、わかんないですね。……クロウィルは、どうでしょう。慣れてそうには見えるんですけど」
 あまり年齢がどうこうという眼で見られたことはない。そこには必ず色を見る眼が含まれていたし、今このように実力がどうこうという場所でもなかった。クロウィルは、わからない。学院や紫旗の外からはそう言われていたのかもしれないが、彼はあまりそういうことを言わないから。
「……んー、でも、ちょっと、こう。分かりやすいですし、そうなるとそれはそれで弊害が……」
 鋼が見上げて首を傾げるのとほぼ同時に、濁った語尾に重なるようにして左の肩をつつかれる。何かと思って顔を向ければ、見覚えのある一人。茶蒼、女性の剣士。
「えっと、……覚えてる、かな。塔で……」
「……サシェルさん?」
 記憶にある名を繰り返して言葉にすれば、笑みで返される。馬車の荷台が上がってくるその時に隣にいた一人。そうか、と肩を寄せて苦笑した。
「サシェルさん達も、ですもんね」
「そうなの、私達はもう回数分終わっちゃってるんだけど。……えっと、これ、参加者の名簿。色と名前とが書いてあるから、わかりやすいと思う」
 言いながら差し出してくれたのは先程とは違う別の一冊。礼と共に受け取って開けば、どうやら個人簿のようだった。
「五十人分だから、多いと思うけど……」
「大丈夫です、ありがとうございます、サシェルさん。……回数終わってるって事は、今日はやらずに?」
「出来れば、って皆でお願いはしてるから、もしかしたら」
「なら、宜しくお願いします」
 苦笑で言えば、似たような表情で返される。多少でも見知った間では少しやりにくいかもしれないと、そう思っているうちに次の班が呼び出されていた。白黒二人の手には冊子と用紙、終わってすぐに書き込んでいたのだろう。五人分となればそれなりの量にもなりそうだが。
「……結構、早いんですね」
「最初の、一回目は皆長いんだけどね。あとは繰り返しで、できるようになったり、できなくなったり……」
 色々考え始めるから、と続くそれには、そうだろうと思う反面、それだけではないように思えるがと結界の中の臙脂色の五人組を見て思う。やはり魔法使いよりも剣士の面々の方が、何かしらを抱えて不承不承という様子を崩さない者がほとんどだろう。確かに学生と思っていたにしては、技量はあるようだが。
「……あ、と。そういえば、なんですけど」
「うん?」
「学生のうちって、階梯みたいなのはあるんです? 正式には叙任の時に、とは聞いてるんですけど」
「あ、うん。看做し階梯、っていうか、見込みかな。そういうのはあるよ。ここのは皆、八とか九とか。あと学校の中の順位かな」
「順位……」
 ならやはり、それに固執している面もあるのだろうか。面と向かって侮った態度を見せはしないものの、講師として見て受け取っている空気は薄い。察しがついたのか、サシェルも苦笑を浮かべた。
「結構、学校の中だとね、年功序列っていうか、学年とか順位が上の方が、っていうの強いから……」
「それは、わかるんですけど」
 学院の中に入り込んでいるのはこちらなのだから、とは思う。だが同時に、たった一つの場所での事を拡大して扱おうとする雰囲気にどうなのかと思うのも事実だ。学院を卒業してしまえば、学院の中での事など通用するはずがないのに。
 二組目はもう始まっていた。見ていればわかるとセオラスは言外に言っていたが、分かるも何も、黒服はほとんど何もしていないのと同じようなものだ。強いて言うなら嫌がらせだろうか、剣士達の動きを牽制しながら白服の道を作り、その合間に魔法使いの意識を奪う。魔法使い達もどうして防御を考えないのだろう、剣士が魔法を防げるはずもないのだから彼らの防御も自衛しなければ始まらないのに。思いながら、溜息に変わるのだけは押さえ込んでサシェルをみやった。
「名簿、ありがとうございます。ちゃんと覚えておきますね」
「うん。名前とかは、濁しちゃっても平気だとは思うけど、ね」
 色が分かれば問題ないからだろう、言って彼女は臙脂色の集団の方に戻っていく。どことなく周囲とは間をあけたような一団に入っていくのが見えて、なんとなく納得が浮かんだ。クライアもそこに見えたから、そういう空気の班なのだろう。
 そこまで、と、今度は黒服の声が言うのが聞こえて眼を戻す。いつの間にか剣士一人と魔法使い一人だけになっているのが見えて、あとの三人は揃って地面に倒れ込んでいた。やはり黒服が倒れた三人の場所へと急ぐのが見えて、白服は残った二人を呼び集めている。セオラスが手際よく一人一人を強制的な眠りから覚醒させていくのが見えれば、特段手伝いも必要ないかと思って結界の外に立ったまま眺める。思った通り二人目の黒が呼ばれる事も手招かれる事もなく、白服は剣を示して剣士と剣を合わせながら魔法使いに何かを示していた。その様子を見れば、やはり白黒も相手は選んでいるように見える。先のような、侮るような様子もなく、起き上がった剣士達もすぐに白の元に急いでいた。個人差や班の雰囲気もある、とは、自分の認識に訂正は入れつつも、だが懸念を思えば重苦しくもある。
 自分が魔導師に見えるとは思ってはいないフェルだった。黒い衣装であってもそれは変わらないだろう、よくて従士、といったところだろうか。思う間もどことなく後ろから刺さるような視線は感じている。それが政治的なものであれば、耐性もあるのだが。
 何かしらの助言を受けていた五人が結界の外に戻ってくる。それを何となく視界の端にしていると、不意にそのうちの二人が向かってくるのが見えて疑念と共に眼を向けた。遠目では分からなかったが、剣士と魔法使い、共に男性の二人。
「すみません、講師の先生に言われて」
「どうしました?」
「こっちのが、怪我……というか」
 剣士が魔法使いを見やれば、示された魔法使いは自身の袖を捲ってみせる。そこに暗灰色の模様が浮かんでいるのを見つけて、フェルは眼を瞬かせた。
「封紋まで使ったんですかセオラスさん。……喋れます?」
 問いかけるために見上げれば、彼はどこかたじろぐような様子を見せながら無言のまま首を振った。なら五感のいくつかも封じられてしまっているだろうと、手を伸ばしてその魔法使いの腕に触れる。
 まるで逃げるように揺れるのには気づかないふりをして、左手で支えるようにしながら右手を伸ばし、指先で紋の中央に触れる。コウが覗き込むようにして首をかしげる仕草を肩に感じながら、フェルは指先から少しずつ魔力を紋に流し込んでいく。
「……あの、これってどういう……?
「魔力回路はそのまま、四肢の神経や五感を鈍くしていって、最終的には全身の筋肉が麻痺を起こして死に至る呪いです」
 腕がびくりと震えて、剣士は絶句したようだった。魔力を流し込んだ先、暗い灰色の模様が光を帯びて白く輝き始めたのを見て、それでフェルは指先を話して代わりに紋に重なるように空中に陣を描き始めた。
「本来は人間を呪殺するのに使うんですけどね。魔法使いは詠唱が必要になりますから、喉が動かないようにするのは効果的で、この封紋型の呪いが即効性があって確実なんです」
 言いながら描き終えた陣がすぐさまに動き始める。円形のそれが形を変え、腕に刻まれた模様を吸い上げてさらに大きく曲線を増やしていく最後には、その陣の中央に白い結晶が生まれていた。魔導師がそれを指先で摘み上げれば陣の線と文字は消えて、魔法使いの腕からも模様は消えていた。すぐに手を離したフェルが結晶を手のひらに転がして軽く握るようにしながら、はい、と声をあげれば、それで二人も腕を見やった。
「もう大丈夫ですよ。残滓がありますから、完全に消去するには難しいですが、時間経過で消えますから」
「――あ、……あ、喋れる」
「大丈夫そうですね」
 何かを言いかけたのか、その途中で喉に手をやって魔法使いが呟くのには紅銀が笑いかける。やはりまたたじろぐような様子を見せるのにフェルが小さく疑念を浮かべている間に、彼は何かに気づいたようにそそくさと袖を戻していた。
「その、有難うございます」
「頑張ってくださいね」
 言えば魔法使いの剣士の二人は軽く頭をさげるようにして足早に駆け戻っていく。見送る途中で眼を戻せば、三つ目の組はすでに始まって、剣が一振り宙を舞ったところだった。




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