白が剣を抜いた事には副学長の手が僅かに動こうとして、寸前に制したのはその隣の黒だった。
「予想通りだなぁ、俺には何も言わねぇのにまあよくも」
 からん、と笑いながらいうセオラスは、その声が臙脂の制服達に聞こえているかもしれないという配慮も何もなく響かせる。あるいはわざと聞かせるつもりなのかと、オルエは杖を喚ぼうとしていた手は引き、代わるように腕を組んだ。
「……若者は中傷されやすいな。その点お前は何事も無さそうだ」
「俺はなー、見るからに長生きしてるだろ?」
「老いては見えないがな」
 この黒は何年も変わらない。外面も、考えも、やる事も。オルエは小さく笑うが、セオラスは不満そうな表情へと変えていた。
「……まぁ、見目だけで侮るような馬鹿がこの場にいる事は謝罪しよう。身体と年齢ばかりが大きくなるだけだな」
「学院に子育てしろとは言えねぇからそこはこっちで丁寧に折ってくつもりだよ」
 視線がいくつか向けられているのにもセオラスは何も返さない。ただ結界の中だけを見つめているのを横目にすれば、オルエもその方へと目を戻す。目立って諍いもないように見えても、言葉までは聞き取れない。ややあって五人の臙脂色がばらばらと戻ってくる。それに眼をやって、オルエは最後尾の一人にだけ声を向けた。
「オルディユール、後で話を聞こう」
「……わかりました」
 予想はついていたのだろう、間が空いたとしても返答自体に濁りは無い。そのまま五人が制服の集団へと戻っていくのはそのままにして、そうしてセオラスが何かを諦めたように息を吐き出すのにはオルエが笑う。あるいは期待していたのかもしれないが、それに今すぐに応えるのは難しい。だから代わりに言葉を向けた。
「身内に対しては甘いな、お前はいつもそうだ」
「ええー……?」
「純然に魔導師ばかりをしていると、後々人間らしさを取り戻すのにも暇がかかるぞ」
「どっちだよそれ」
「解り切っている事の確認に何の意味もなかろうな」
 オルエのその言葉にはセオラスが足元へと視線を落として青い髪をがしがしと掻き乱す。次の五人が呼ばれる声で眼を上げれば、今度はすんなりとそのまま配置へと向かっていた。白黒は短く声を交わして、それで白が剣を手に臙脂に向き直ると同時に剣の二人が動いてた。
 セオラスはそれを眺めながら、不意にあれ、と声をこぼした。魔法使い二人を見て、剣士三人へと視線を動かしながら、小さく疑問符を浮かべてみせる。
「……これ八班だっけ」
「三班だ。二回も相手にしたというのに、欠片も覚えてはいないのか?」
「十班は覚えてんだけどさ。この班分け一班が一番に見せかけて十が一位だろ?」
「十班は他に振り分ける事の難しい五人を集めたらああなった、の例だな。あの班は優秀だろう、中々面白い学生が集まった」
「逆に他がって事だけど」
 意図的にか、先の言葉とは違って抑えられた会話の最後にはセオラスが肩を寄せるようにしながら言う。示し合わせたように強い風が吹き抜けて、黒いローブがばたばたと音を立てて翻っていくのを軽く押さえて、そうしながら溜息を風の中に流し込んだ。
「……昨日は覚えてたんだけどなぁ名前……」
「案外人の名前と顔覚えるの苦手だよね、セオラスって」
 全く別の方向から投げ込まれた声に蒼い瞳を瞬かせて、そうして振り返ったセオラスは、あれ、と意外そうな声を上げる。向けられた緑紅は結界の中を見やって、背負った大きな包みを押さえながら肩で大きく息をついてみせた。編み込んだ髪を押さえた髪紐を肩から背に追い払う。
「……で、なんで私の相方盗られてんの?」



 どうだ、と一旦後退した白の声に、黒は一度口を噤んだ。
「……さっきが悪かったんですかね」
「まあな、さっきのは昨日一回やった時の感触もすこぶる悪かったしな」
「それ先に言ってくださいよー……」
 言っている間に剣士が二人こちらへと向かって来ている。一人は後ろにと見て魔法使いへと眼を動かしたフェルが杖先を下へと向けた。
「十五番に」
「お前もしかして全部覚えてないか?」
「あれだけ長く耳元で言い合ってるの聞いてれば覚えますって」
 優秀なんだか、とは呟くだけで白は地面を蹴った。剣を持つ一人の胴に打ち込むように無理矢理進路を阻んでそのまま後衛、魔法使いへと距離を詰める為に駆けるのを追って一人が白へと身体を向けて、もう一人はそのまま黒へと足を向ける。それを見て、黒が小さく声を落とした。
「コウ」
『分かった、やってみよう』
 精霊と人間との契約、使い魔であれば以心伝心は確実に起こる。そして今使い魔に準ずるような契約がある以上以心伝心は変わらない。従者は主人を理解する必要がない、全て伝わる。それに任せて鋼色の姿が蒼い炎とともに消え失せるのも見送らずにフェルは杖を握り直した。
「『追憶の瀬に在るは歌う、蜃気楼に揺蕩う水の稚児にして空へ寿ぐ贄児』」
 轟音、そうとも聞こえる音が視界の外から響く。それでも見据えた先から眼を逸らす事のない臙脂色には内心で感心を浮かばせて、そうして握った杖を緩やかに振るった。小さな透明な欠片が、地面に降り落ちてからんと乾いた音を立てる。
「『夢請いを成す、異形の晩餐”タティル・エス・ミュフィト”」
 瞬間に、魔導師の足元から伸びる影が揺らめいた。剣を握った臙脂の瞳が見開かれるのとほぼ同時、剣が黒に触れる寸前に、影の中から現れたのは獣の顎に並んだ鋭い刃の歯列だった。
 何かを判断するだけの余裕もなかった。ただあと少しもなかった魔導師との距離を踏みとどまって飛び退る、そこに獣の牙が噛み合わされる鋭い音が響いて全身の血の気が退いていく音。黒服のそれは、意外そうな声を上げた。
「思ったより素早い……初撃で三人避けましたね」
 言うそれにまさかと背後に身体ごと眼を向ければ、剣を取り落とした一人と倒れ込んで動かないままのもう一人、剣士がもう一人と腕輪を押さえたもう一人が、眼前に異形を見据えて身構えているのが見えて。
 次の瞬間には、背中から何かがぶつかって来る衝撃にそのまま地面に押し倒される。顔面を腕でかばって、だが思い切りぶつけられた脇腹の痛みに呻く間も無く背を重い何かに踏みつけられて息が詰まった。
『訓練と思って、気を抜いているからこうなる』
 頭のすぐ後ろから聞こえたのは、ぬるい息と同時の男の声。地面に腕をついて頭だけでなんとか振り仰いで見上げれば、鋼色の羽毛の合間に蒼い瞳の異形が至近で牙を剥いていた。喉が硬直して息の詰まる音が耳に聞こえた。
「――、ッ、!!」
『標的に易々と背を見せるな。『異種』相手であれば死んでいるぞ』
「でも完全な想定外が起こるまではなかなか良かったと思いますよ」
 土を踏む音を立ててすぐ近くまで近付いてきた黒服が良いなからしゃがみ込む。覗き込むようにした紅が笑んで細められた。
「あとはびっくりしないように気をつけてください、ですね。自分が生きてないと他人を助ける事もできませんから、まずは目の前のものに集中するようにしてください」
 それが言い終えられると同時に背の上の重さが失せる。重石がなくなったのを終了とみて、立ち上がろうと腕を突いて見れば、白服の後ろから仲間たちが駆け寄ってくるところだった。手を貸してくれるのには例を言って、強い全身の緊張で一気に固くなった全身をほぐすようにゆっくりと大きく息を吐き出す。
「大丈夫だったか……? なんか食われてそうにも見えたんだけど……」
「いや、そんなじゃないから平気。……怖かったけど……」
 言えば、ああ、と、同意なのか反芻なのか、そのどちらとも取れるような声を彼は零す。その視線の先は黒服に向いていて、銀の子供は一人が腕に受けた傷に手をかざして治癒を施しているところだった。それを見ている間に、白服がこちらへと視線を向けてくるのがわかって見上げれば、軽く問いかけるような翠とぶつかった。
「そっちは大丈夫か?」
「え?」
「傷。脚と腕に軽くだけどもらってるだろ」
 指し示された左腕と右脚を見下ろせば、遭われた通りの場所に僅かに血が滲んでいるのが見えた。上着があったのに、と、気付いてからようやく痛覚が少しずつ反応を返してくるのを押さえ込みながら頷いた。
「大丈夫、です……ちょっとひりひりする程度なんで」
 治療が必要な程ではないと言えば、騎士はそうか、とだけ応えて、それで黒服の方へと眼を戻す。傷の治癒の他にも検査をしていたらしい紅銀は少しの間を置いて、もう平気です、と言いながら仲間の一人から手を離した。背は低く、見上げながら口を開く仕草にはそれでも慣れが見えるような気がした。そうしてその紅が、改めるように班員全員に向けられた。
「全体の評としては、良く纏まっているように思えます。魔法使いから剣士に対する補助が薄い事と、剣士の防衛面に問題はありますが、低位の『異種』であれば死者が出るような事は無いでしょう」
 それには、僅かに安堵が浮かぶ。昨日の時には散々だったものが、その後の打ち合わせと練習とで少しは向上したらしいと、仲間達と眼を見合わせながら思う。それでも、ただ、と続いた声にはすぐに眼を戻した。
「それでも低位には、の話ですから、まだ向上と改善の余地は広い、と認識してください。まずは補助と防衛を強化すること、何を措いても生き残る事が第一ですから」
 はい、と返す声は五人揃ってのものになった。同時に少し拍子抜けするような感覚すらある。自分達の一つ前の班が遠目にも険悪だったから、この黒服の子供が何かあったのかもしれないと思っていたのだが。
 その魔導師が騎士を見上げれば、長剣は既に腰の鞘に納めた彼がそうだな、と小さく呟く。逸れた視線は、黒服の足元で犬のように後ろ脚で首元を掻いている鋼色のそれを見下ろした。
「途中まではかなり整ってたのに、人間以外が出てきた途端に崩れたのは注意事項だな。訓練だ、人間と人間だから必要な手加減はされているはずだ、って先入観は無くしてやれると尚良い。殺す気でやれ、ってのは初回から言ってる通りだ」
「……あの、」
 控えめに割って入った声に、白黒の視線と他の四人の眼が集まる。流石に気まずい、とは思うだけにとどめて、小さく挙げた手はそのままに躊躇いを押さえ込んで口を開いた。
「その……言葉としてなら、理解できるんですけど……」
「……まあ、実際に殺した事が無いと実感の湧かない表現ではありますね、『殺す気で』って」
 黒服、子供が首を傾けて言うのには頷いて同意を示した。仲間達と顔を見合わせれば、魔法使いの一人、レイマーが眉根を寄せて、何処かに視線を落として口元を片手で押さえる。
「全力で、なら、まだ……」
「……うーん、感覚の問題ではあるんだけどな。……そうだな、特に剣士の三人に、同じ剣持ちとして訊くけど」
 そう声を向けられて、白服を見上げる。彼は腕組みに姿勢は変えながら、だが重さも何もなく次の言葉を続けた。
「人間を斬った事ってあるか?」
「……は?」
「人じゃなくても良い、猫でも犬でも、とにかく生きてる動物やら人間やらを剣で斬った事があるかどうか、殺した事があるかどうか。人殺しは罪だから基本無いとは思うけど」
「……白服は、人間を斬る騎士ではない、って……」
「基本的にはそう思ってもらわないといけないんだけどな、でも騎士には必ずついて回る問題でもある。特に魔法使いと一緒に行動する場合には」
 言うそれには、五人でそれぞれ顔を見交わして、だが誰一人として答えに辿り着いた様子も無い。それを見て取ってか、なら、と黒服の子供が笑みを浮かべた。
「次に順番が回ってくるまで、考えてみて下さい。分からなくても構いません、これに関しては私達のお節介なので」
「……はい」
 なんとなく、釈然としない。お疲れさまでしたと黒服が送り返す言葉を口にするのを合図に五人揃って結界の外へと足を向けて身体を向けて、歩き始める。
 そうして数歩進んでから肩越しに振り返れば、何かを言い合っているらしい白黒の二人が纏う空気は和やかなものだった。だから余計に不思議に思う、この国で最前線と言われる協会の所属者がこんなにも緊張感と程遠く見える事も、そう見える白黒からの問いの内容も。
 首を捻りながら訓練場を覆う結界から一歩出れば、その瞬間に透明な壁を潜り抜けたかのような感覚。同じ臙脂色の制服達が集まっている方へと戻れば、すぐに方々からお疲れと声が飛んで来た。
「なんか長かったなお前んとこ」
「あー、どうだったんだろうな……でもまあ怒られはしなかったよ、うん」
一人が意外そうに言うのには何と言ったら良いのか分からないまま曖昧に笑って返す。初回に、今は結界の外で様子を眺めているだけの黒服に、言葉は穏やかでも淀みなく叱責の意図だろう言葉を延々と向けられて、それで五人揃って妙に落ち込んだのを知っているからだろう、彼は良かったじゃんと明るく笑ってくれた。息をついたところで、別のもう一人がでも、と口を開くのが聞こえた。
「なんか、あの黒服ってそんなに威圧とか無いよな。昨日の人と比べると」
「というか本当に黒服なのか……? 見た目完璧に未成年じゃ……流石に蒼樹でも子供は黒にはしないだろ」
 もう一人が、気にしてなのだろう、声を抑えて疑問を口にするのには、周りの何人もが訓練場の中、評価紙に書き込んでいる黒服の後ろ姿に眼を向ける。自分も同じように視線を向けて、そうすれば、砂色をしたコートに全身を覆われたそこに見えるのはドレスのように広がる白いスカートと、揺れる銀髪だけだ。
「……黒服だとしても、思い上がってるだけだろ」
 それが聞こえた方向を見れば、腕を組んだ彼は黒服の背を睨みつけているようにも見えた。オルディユールは、ずっとそうしていた。昨日に騎士の、白服の階梯と歳を知られてからは、それを侮るような空気の強い場所には彼が居る。何があったのかと半ば諦め気味に思っている間にその横の一人が宥めるように言うのが聞こえた。
「気にすんなよ、難題突きつけといて放置してたのは向こうなんだし」
 それに応えるような声はなく、それには言ったクレイが大きく溜め息を吐いて終わってしまう。なんだかなあと思って視線を泳がせている間に、不意に少し離れたところでしゃがみこんで円を描いている五人を見つけて、疑問符を浮かべてそこに足を向けた。近付いて、首を傾ける。
「……何してんだ?」
「待って、今作戦考えてるから」
 び、と掌が突き付けられると同時の声。臙脂の制服は揃いの、魔法使いの女学生、ハシェラエットは、言ってからはたと顔を上げて、それから地面にしゃがんだままこちらを見上げてきた。
「どんなだった?」
「……どんなって」
「えーと。具体的には、……そうだな、ロカスィナ教官とだとどっちが手強い感じ?」
 ハシェラエットに次いで顔を上げたのはクライアで、その問いには思わず視線を遠くした。手招かれるのには素直に輪の中に入ってしゃがみ込む。五人が囲んでいた地面には何かが書かれては消された痕跡が幾つも残されていた。
「ってかお前らもう終わったんじゃなかったか?」
「自由訓練の時に、残って見てもらえるかもって思って。それで、色んな班の見て、作戦会議中」
「……十班って毎度真面目だよな……」
 一から十まで、五人一班のこの構成は学院ではよくある形で、別の訓練時に振り分けられた人員がそのまま、という班も多いのが現状だ。自分達もそれで、特に知られているのはこの十班の生真面目さと優秀さだろう。学年の最高学年だけではない構成という点と、若年者が多いという部分でも知られてはいるが。
「でも使い魔って難敵だよな。実質三対五、ってか、黒服って二人分くらいにはなるかね」
「黒服までいくと、攻撃しながら白服守りながら罠張って、とかやるんじゃないかな。どうだった?」
「いや、必死だったからよく分からん」
 クライアが言い、意見を述べたハシェラエットに向けられた問いには素直に返す。黒服をなんとかすれば、とは、開始直前に班の仲間達と話していたから、その機会をなんとは掴みたかったのが一番だ。結局はああだったのだが。少し考えて、更に付け足す。
「見た感じだと、詠唱も普段よりも速度は抑えているようではあったからな。その辺りを崩せれば、少しは通用してる事になるんじゃないか」
「なるほど……勝つとかは考えずに、少しでも何かを貰えればな」
 こんな機会滅多に無い、と、そう言いながら剣を押さえながら顔を上げたヤルジェウルが、視線を向けた先に何かを見つけてあれ、と声を上げる。何かと思って彼の見る先に振り返って倣うように見てみれば、昨日の黒服と副学長が居た場所に副学長の姿は見えず、もう一人が加わっていて、そこに白黒も戻っていた。
「……増えてる、ね……?」
「……しかもなんか喧嘩してるくないか……?」
 サシェルと、その横のタヴィアが言う。見てみれば確かに黒服の子供が新しく合流したらしい一人に詰め寄っているのが見えて、なんなのだろうと首を捻った。




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