次の二つの班の名簿と評価の用紙をと思って足を向けた先に見慣れた金色を見つけた瞬間、フェルは髪を丁寧に撫でつけて背中に垂れた部分を首の後ろで二つに分け、肩から前へと垂らして撫でつけてから、やおら砂色のフードを目深に被った。
 クロウィルがああ、と、察した顔で視線をどこか遠くに投げ飛ばすのと黒服が大きく足を踏み出すのは同時で、青翠と同じように悟ったらしい色違いの眼は、僅かばかり遠くを見やるような表情を見せても顔を逸らすような事はしなかった。大きく開かれていた距離はすぐになくなって、三歩の距離まで接近した途端に黒服の拳が強く握られるのがコートの下に垣間見えて。
 突き出されたと見えた次の瞬間には、相対する彼女の喉に向かった拳は小気味良い音を立ててその人の掌に捕らえられていた。
「……その、鋭さ増してきたね、フェル……」
「そんな事よりも最初になんか言うことありませんかラシエナ・シュオリス」
「ごめん、ほんとごめん」
「色々差っ引いても相方に一言も言われずに置いてかれた黒服の気持ち考えてくれませんかねラシエナ・シュオリス」
「……ごめん」
 フードの下から聞こえてくる怨嗟に、それ以外が浮かばずにフィレンスは大人しくそれだけを声にした。捕らえられても尚押し込んでくる拳は、この紫銀なりの表現方法だ。魔法ではなく物理的な、それも自分自身にも反動がある方法を選ぶのは、『怒っている』と、そう示す為のもの。
「……私だって行きたかったですよ」
「……ごめん、動転してた。色々足りないまま飛び出してたから、それは、謝る。でもフェルを連れてくつもりは無かったから、それは言っておくね」
「なんで」
「仮葬だから。……時間とか、折見て改めてお願いに行くから、ちょっと待ってて」
「……アイラーンの帯なんて織りたくありませんから」
「それでも、お願い。母様も父様も、兄さん達も、参ってるから、無理言えるのフェルしか居ない」
 無音が落ちる。その中で動いたのはクロウィルで、手を伸ばしてフェルの腕を横からやんわりと掴んだ。
「ひとまず、続きは後でな。俺も大体はフェルに同意するけど」
「う……ごめん、なんか色々押し付けた気がする……」
「お前がそういうのに弱いのは知ってるからそっちは気にしない。仮でも行きたいってのは無視か、って方」
「……ごめん……」
「……まあお前に言っても仕方ないけどさ……」
 クロウィルが言う間にフェルは拳を降ろしていて、やんわりと押さえる手も振り払っていた。気付いても、クロウィルもフィレンスも何も言わないまま。この一連がどういう意味なのかもわかりきっているから、それには触れないままで、それで、と声を上げたのはクロウィルの方だった。
「どうしたんだ? 学院来るとは思わなかった」
「ああ、いや、なんか帰って来たらセオラスもエクサも居ないし、長官は逃げてるしおかげでクラリスは怖いし閑散としてたしで、なんかやる事もないし追っかけてきたら相方盗まれてたんだけどそんなに私の精神殺すの楽しい?」
「それまで単独でしか動かないって言い続けてたのにフェルが来た途端掌返したのを見た時の俺の気持ちと差し引きすればゼロだろ。ちょうど良く相方が唐突に消えて一人で居残ってて時間ありそうだから独断で貰った」
「……えーと、ちょっとお前ら発言危ないから落ち着け? なんか粘度高いぞ?」
 どう、と両手で示しながらセオラスが割って入る。ひとまずは割り切ったらしいフェルがフードを背中に落としながら疑問符を浮かべてセオラスを見上げる。
「……発言に粘度ってあるんです?」
「場合によってはな」
 フェルがふぅん、とわかっているようないないような声を落としている間に青翠も緑紅も揃って何処かへと視線を投げていた。溜め息を吐き出したフィレンスが、訓練場の方へと眼を向けた。
「まあ、何してるのかは大体聞いたから良いんだけどさ。……あとクロウィル、ちょっとアレなんだけど」
「なんだよ?」
「そろそろ肩の骨が崩壊しそう」
 言われたそれにクロウィルが疑問符を浮かべて、次いですぐに気付いてああ、と声を上げて手を伸ばす。フィレンスがずっと背に負っていた大きな包みを握って持ち上げて、太い紐の結び目を解いて手元に引き寄せるように抱えた。
「使わないかと思って置いてきたんだけど、有難うな、なんか結局使いそうでどうするかって思ってた」
「なら良かった。……こう言うとなんだけど、やっぱり重いねその御仁……」
「ちょうど良いんだけどなぁ俺には。でも良く抱えようって思ったな……」
「蒼樹の敷地出たあたりでやめときゃ良かったって思った。……時間良いの? それなりに経ってるけど」
「ん、平気。副学長が外してるしな、監視の眼がないと危険だし、それに流石に半時間ずつでも一息入れないと気力の方が保たない」
 学生の方は暇だろうがとフィレンがそちらを見やれば、様子を伺っていたのだろう何対もの眼がそれとなく外されていく。それだけでどういう空気の場なのかを大方把握して、それから眼を向けた先の紫銀は、紅に変えた瞳でセオラスと何かを小声で言い交わしているようだった。どうしたのだろうと思っている間に、包みを覆っていた布とそれを押さえる織紐を解いた白服が、現れた巨大な白刃の柄を握って、軽く地面に突き立てていた。
 無言の沈黙、そして唐突に両肩を落として大きく息を吐き出して、嘆息する声が聞こえた。
「すげえ落ち着く……」
「やっぱりいつものじゃないと変に疲れるし気持ち的にも嫌だよねぇ」
「ほんとな……」
 落胆しているようにも見えるのは、実際にこの大剣を使っての訓練が出来ないというところに理由があるのだろう。
 フェルはなんとなくその二人の様子を伺いながら、大丈夫そうだろうか、と胸中に一つ呟く。やはりまだ何か、引っかかっているようなところがあるようにも思えるけれどと、向き直れば、セオラスの蒼い瞳とぶつかった。
「……で、何言ってたかは大体予想つくけどさ」
 抑えた小声で言われれば、言葉に詰まる。視線を落として、同じように小声で返した。
「……やっぱり、余計、です……?」
「って訳じゃないけどな。でも言ったところで、たぶんこっちが意図してるようには伝わんないからなあ」
 オルディユールというらしい。何を言ったと明確に伝えることはしなくても、セオラスはフェルが彼らに何を言ったかの予想はついているらしかった。息を吐く。
「……だって、結局どこに行くかはわからなくても、今は学院の学生ですよ……?」
「そういう風に正直に思える奴はとっくに卒業してとっくに白黒になってるんだよ、レッセとかそうだろ。今のあの群れの中にも何人かそれっぽいのはいるし」
 言われて目を向ければ、ざわざわと何かを会話しているざわめきが遠く、そして離れたところでしゃがみこんで何かをしているらしい一団が目に入る。セオラスは一度視線を向けた紅がそのままうつむくのを見て、その銀色をぽん、と撫でた。
「まあ気持ちはわかるけどさ。あいつら守るとか守られるとか意味わかってないから、そういうもんだと思って割り切ってくれ、今はな」
「……なんか……すっごい、むかつくんですよ……」
「まあなあ。俺らからしたら馬鹿にされてる感じはあるよな、白も黒も」
 言われれば、フェルは黙ってそれに頷いた。命を預けているのは双方が共にであるのが常だから、だからなおさら癇に障る。自分が直接侮られているのは、そうだとわかっても別にどうとも思わない、王宮でのことの方がよっぽどだった。今どうしようもなく歎息するしかないのは、あのオルディユールのように、自分の役目も仲間の役目も把握しないまま、ただ自分の技量だけがあればいいと思い上がっている学生に対してだ。だがセオラスの言う通りに、言葉で伝えても何にもならないのは目に見えている。どうしたものかと息を大きく吐き出した。
「……さして優秀でもないのに……」
「黒服が言うと嫌味にも皮肉にもならないからそれは言わないでおこうな。お前とかかなり飛び級で進化してきた方だろ?」
「それ攻撃魔法扱えるまで年単位でかかったことに対する皮肉です?」
「普通そこまで時間かかる奴は黒服にはなれないから言ってるの」
 む、と唇を引き結んだフェルは、今度はどこか気まずそうに視線を逸らす。逸らした先にさらに視線を感じて目を上げれば、緑紅と青翠とが揃ってこちらを見ているのがわかった。フィレンスが軽く首を傾げてみせる。
「……どうした?」
「……いえ……」
 そのまま逃げるように目を逸らす。頭に乗ったままのセオラスの手がもう一度叩くのと撫でるのとの合間のように動いて、そうしながら軽く笑う。
「ちょっと黒服の矜持に触れた奴らがな」
「……平気?」
「俺はな。あいつらの事気にしてやるほど善人じゃないし」
「……ひとを勝手に善人みたいにする……」
「なっとけなっとけ。なんだ、別に嫌じゃないだろ?」
 フェルは無言で答えた。手を離したセオラスも肩をすくめるだけで、すぐにその視線はフィレンスへと向けられる。
「んで、そっちはどうする?」
「私は棄権。私服だし、今『短剣』しか持ってないし」
 それを聞いたフェルが、言われてみれば、と目を向ければ、外套の下は簡素な騎士服ではあっても白い衣装のそれではない。腰には何も見えない、となれば言葉の通りの短剣にその宝珠を移してどこかに潜ませているのだろう。思っている間にクロウィルが無表情のまま自分の腰から長剣を持ち上げたが、それには彼女は思いっきり眉根を寄せた。
「……一応の控えの武器だからって他人に貸すのに抵抗とか無いのお前」
「下ろしたばっかだからあんまり」
「前のはどうしたの」
「折った」
 溜息を吐き出したのはフィレンスで、力なく笑ったのはセオラスだった。コウハの剛腕に耐えられる剣はそれほど多くはない、道理とも言えるのだが。
「……ああ、待たせてしまったか」
「お。帰って来た」
 声がかかって振り返れば、オルエが大股に距離を詰めるところだった。セオラスが言ったのには彼は苦笑して応える。
「済まない、急な客があってな、出ないわけにはいかなかった。そちらも、すまない、名乗りも問わずに失礼した、名を訊いても?」
「白のフィレンス・シュオリナ、こちらこそ学の長に対し印も無くに失礼する」 「いや、特に規定もあるでもなし、気にするな。……そうか、今日は噂によく立ち会う日だな」
「噂?」
「及んでいないとでも?」
 フィレンスは苦笑するだけで返した。蒼樹の禁忌破りでの名なら広まっているだろう。学院はただでさえ協会と繋がりが強いのだから、教員だけでなく学生にまで伝わっていてもおかしくはない。
「さて、待たせてしまったな。騎士の交代は、するのかね」
「流石に勝手がわからないし制服じゃないから見学に回らせてもらう。……傷一つでもつけたら殺すからな十階梯」
「お前俺の本業なんなのかって理解してるんだよなフィレンス……?」
 肩をすくめるだけで何も言わないフィレンスには肩を落として、クロウィルは大剣はその場に突き立てて踵を返した。オルエが学生達の方へと足を向けて何かを伝達するのを横目にしながらフェルはすぐにその白い背を追って、横に並んでクロウィルを見上げる。
「やっぱり大剣の方が良いです?」
「軽いんだよな長剣……木の枝振ってる感じ、っていうか、それならいっそ槍とか棍の方が気が楽で……」
「……クロウィルって色々使えますよね……」
「長柄は好きでやってたからなあ。弓は、あんまり出番ないけど必須だし、槍ならフィレンスも相当だぞ?」
「……そうなんです?」
「紫旗も、見習いの時期は槍持ちが仕事だしな。騎士でも剣が持てるのって正式配備のあとだし、俺らはそれで色々使えるけど」
 そうなのか、と歩きながら思う。足元についてきていたコウが疑念を浮かべて口を開く。
『騎士は剣、ではないのか?』
「色々、そこが軍なのか協会なのか紫旗なのかで変わる。紫旗は色々やらせるところだな」
『……魔導師は?』
「事務とかやらされてた」
 なるほど、とは黒と鋼が揃って呟いた。見習いは下働も同義なのだろう。思いながら振り返って園児の方に眼を向ければ、大勢の学生達に対して競う風情もないsにオルエが何かを言い伝えているようだった。
「……オルエさん、何かあったんでしょうか……?」
「あったみたい、だよな。大変なことでなければ良いけど、……と、来た」
 言いかけたところで、その副学長に促されて五人が駆けてくる。だがその班員のうちの三人に見たことのある顔を見つけたフェルがあれ、と小さく声をあげて、その横のクロウィルが怪訝に思うように小さくこぼしながら眉根を寄せた。先頭、剣士がすぐに気づいて口を開く。
「副学長の指示で、もう一回行って来いって言われたんですけど、大丈夫でしょうか」
「時間的には、余裕はある方だから問題はないけど……」
 言いながら緑がオルエを見やっても、離れた場所に立つその人からは何の反応も返されない。ただ疑問符を浮かべただけのフェルには、ついでその彼が手に持っていた薄い冊子が差し出された。
「あと、これをと」
「……なんです?」
「なんか、少しわかりやすくなる仕組み?」
 差し出してくれた彼が首を傾げながら言うのにはフェルも同じように首を傾けながら冊子を受け取る。開いたその一番に書いてある一文を見て、そして見た紅が静かに細められる。黒服がゆっくりと一歩下がって背を向ける、その合間に声。
「クロウィル、三十秒」
「はいはい」
 端的なそのやりとりだけで意思の疎通を済ませてしまって、それで黒服は完全にしろにも臙脂にも背を向ける。見上げた鋼が足元に腰を下ろして尾を揺らす。それを一瞥してから、そうだな、と学生に向き直った騎士は呟いた。
「……十班には特別に何か言うことも無いんだけどな……あとは個人の技量と相互理解だけだし……」
「あ、はい、じゃあ始まる前に質問」
「なんだ?」
「剣士目線で、魔法使いに頼らず魔法をなんとか避けるなり壊すなりする方法ってあります?」
 三人いる剣士のうちの一人、クライアのそれにクロウィルは眼を瞬かせて、それから結界の外へと顔を向けた。先にあるのは大剣と、そしてそのすぐ近くに立つもう一人の白服。
「……まあ、あるって言えばあるんだけど、一朝一夕ではないからな……」
「難しいですか」
「かなり。幾つか方法はあるけど、そのうちの一つは俺は今まで掛けてもできてないしな。同僚達はどうしてたか、」
「割と皆避けてますよね」
 顔を上げた黒服が言って、振り返る。尋ねるような白服の視線には頷いて返して、そしてフェルは手に持った数枚の紙の冊子は手元も見ずに二つに引き裂いた。
「騎士がどうにかできないところは魔導師がどうにかするところなので、そこは役割分担として割り切ってしまってください。それで死んだら恨んで恨まれても道理ですから」
「お、おう……」
 どこか呻くようなクライアの返答。返答の内容と、言った黒服の唐突な行動のその両方に向けられたのだろうそれには苦笑しながら、フェルは炎を喚んでその紙片を灰にしてしまう。
「すみません、機密なのでどうしても」
「おおう……」
 びっくりした、とは、応えるような声をこぼしたクライアの背でサシェルが言う。それでも疑念をそこに浮かべれば、フェルは左手に杖を喚んでその杖先を地面に宛てる。
「結界内の声を、あちらまで届けるための魔法だそうです。確かにちょっとわかりやすくなりますね」
「……ああ、なるほどそういう……」
 七人で揃って副学長に顔を向ければ、どこか笑うような仕草が遠くに見える。黒服の足元に広がった陣が強く光を発して、大きく広がるにつれてその光も薄れて消えていく。
「詠唱も会話も伝わるはずです。ということで喋りましょうねクロウィル」
「動きながらって疲れるんだけどなあ……」
 白服は渋い顔で腰の剣を押さえながら息を吐き出す。そうしてから少しの間考えるように視線を落として、とりあえず、と学生達を見やる。
「詳しいことは後でだ。今はひとまず練度を見る」
 はい、と応える声は五人揃ってのはっきりとしたものだった。




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