「……そういう事ねぇ……」
 フィレンスが呟いたのには、セオラスはただ肩を竦めた。その上に視線を向けられてようやく、息を吐き出す。
「まあお節介しときたいじゃん?」
「ただ連れて行って怪我させるだけさせて連れて帰ってくる、ってのは確かに反対だけど。お人好しだねぇ」
「それお前が言う?」
「最終的に選択肢って存在自体を投げ捨ててる騎士がお人好しって冗談でしょ」
「皮肉かって……禁忌自体がもうお人好し御誂え向きじゃないの?」
「騎士は総じて自己中心的な生き物だからねえ」
「だからお前さあ……ってかお前それ絶対フェルの前だと猫被ってるだろ、最近」
「にゃー?」
「おまえどうしたの……」
「まあ吹っ切れたっていうか」
 自覚はしてたのか、と呆れたような声が落ちるのにはフィレンスの方が視線をどこか遠くへと流してしまう。セオラスは大きく息を吐き出してから一通りの流れを終えた七人に視線を向け直した。最後の最後、臙脂の一人が零した一言を境に結界の中の言葉は聞こえなくなってしまっている。どうやら元々そう作ってあったらしい、とは予想がついていたがと横目を向けた先の副学長は、呼び寄せた学生達に向かって何かを伝えるためか口を動かしている。距離をとってしまったから明瞭には聞こえないが、大方小言の類だろう。
「……そいやさ」
「ん、何?」
「学校の方って俺全然知らないんだけど、そっちの訓練ってどんなのやるんだ?」
「最初は木刀持って犬相手」
 ん、と固い声を漏らしたセオラスの顔が向いて、その表情に訝しむような、不思議がるようなものを見つけて、フィレンスは苦笑した。
「犬って言っても、訓練された大型犬だけどね。油断しまくってる初学級はそれこそ腕とか脚の肉が無くなるくらいの」
「うっわ……」
 それだけでトラウマだろ、と肩を寄せて身震いしてみせる魔導師の呟きには、フィレンスはただ首を傾げるだけに留めた。たまに意味のわからない言葉が出てくるのは、彼相手ならいつもの事だ。
「まあ、私とかクロウィルは予備学級行ってたから良かったけど、入学試験だけ受けて来た貴族出の騎士見習いとかは、千切られる度に即座に治癒魔法で治されていくら怪我しても訓練場の外に出してくれないとかって地獄絵図に」
「うわぁぁ……治癒魔法ってそんなエグいものの為にあるんじゃないのに……」
「治療担当の先生達の顔も死んでたからもうこれはそういう通過儀礼なんだなって思う事にしたよ私は。だから較べるにしても学校の訓練内容はやめといた方がいいよ」
「そうね……そうするわ……」
 暗い声にはやはりそうかと苦笑する。学校は、そういうところだった。完璧主義の叩き上げに加えて身分や親の社会的地位もが評価に反映され、七光りが事実として力になる場所だった。だから貴族出身の騎士見習い達は、自分の肉が噛み千切られていく感触も、結局は一度か二度しか経験しない。あとは平民出身の学友達が幾度となく流す血と絶叫をただひたすら逃げる事も出来ないまま見続け、聞き続ける。
 渦中では不合理なと思っても、終えてみれば納得も出来る事だった。貴族の子弟に剣の腕は必要無い。平民の子が必要とするものは身を立てる力だけ。だから、全ての学生に等しく力を求める学院とは、在り方が違う。比較対象にはなり得ない。
「……私は学院の方の訓練も講義も知らないから、一方的には言えないけど。どんななの?」
「あー……まあ、典型的な教育機関っていうか。やる気のある学生には教師も幾らでも投資して、そうじゃない輩にはそれなりにで終わらせる。やる気があるのは大概少人数で成績の上下にも関係ないし、それなりで終わらせてる奴らは卒業できてもそのあとどこにも行けない奴ら」
「ああ……一番苦しくなるやつ」
「そうそう」
「学院卒の白黒見てると、そんなにおかしな事もしてないし、良い教え方してるとは思うんだけどさ。学生達も構えも型もしっかりしてるし、学校だと逆にそこは投げっぱなしだから羨ましいんだけど」
「基礎固めの時間が相当長いのはそうだな、それは魔法使いも同じ。相対的に基礎以外が弱くてなぁ、それで協会にもあんまり人が回ってこないんだよなぁ……」
「協会に人が来ないのは試験が難しすぎるからだと思うんだけど」
「まあでも試験は試験で、合格点少しでも下げると殉死率すげえ上がるんだわ……」
「でも、だってほぼ満点じゃないと通らないでしょ拝樹、おかしいって。しかも満点なんてどんなに頑張っても取れないし」
「そうなんだけどもさ、仕方ないのよ」
 言いながら、話が逸れ続けている事に気付いてもセオラスはそれについては何も言わなかった。ちらと見やった緑紅はずっと訓練場の中を見詰めている。何かに集中していないと保たないのだろうから、そこを突くような事はしなかった。代わりに言葉を途切れさせないように息を吐き出す。
「……まー一番のお人好しはあの若者ですわ」
「クロウィル?」
「そ。元は単に練度見るだけって予定だったんだけどな。流石になってなさすぎたし、急いでこれやっても何にもならないのは目に見えてるけどってな」
「……へえ……やっぱり学院のが色々融通きいて親切だなあ……」
「そうかねぇ?」
 放任具合はあまり変わらないように思えると、思うのはそのままセオラスが視線を向けた先では剣士三人に長剣を示して何かを教えているらしい白服。その横で黒服が魔法使いの相手をしているのが見えて、それの様子を確認してから視線を横へとずらしていく。見えた臙脂の中から向けられる視線には少しばかり笑って返せばすぐに剥がれて逃げていった。反対の横合いから魔導師の呟き。
「……慣れてやがる」
「貴族なめんな。一回り以上数字だけは大きい輩とやりあってるんだから」
「喧嘩の英才教育」
「上品な物の言い方の英才教育」
「同じだろってそれ。そういうところまだあの若者のがかわいい部類だぞ」
「一応幼馴染なんだけどなぁ」
「育ち一緒って……じゃあ生まれ持っての気性じゃね?」
「なら諦めるしかないね?」
 ああ言えばこう言う、とセオラスが深く溜息をついたところで苦笑して、それでフィレンスは結界の中へと視線を戻した。白黒が何かを言い合っての少し後に揃っての二色の視線を向けられて、それで首を傾げた。すぐさま黒服が臙脂に向かって何かを言って、それで五人組がこちらへ向かって歩いてくるのを見て、セオラスが簡易といえども騎士の装いを崩さなかった彼女の肩に手を置いた。
「まあ、一蓮托生な?」
「ええー……運び屋するだけのつもりで来たから剣も置いてきたのに……」
「何なら備品だろうけど借りれるし。嫌だろうけど」
「解ってるんならさ?」
「おう。だがしかし逃がすと思うか?」
 言ったその手に杖が現れる。さすがに無理かと諦めたところで、結界から足を踏み出した五人の学生と眼が合った。



「はい、大丈夫ですよ」
 五人目に向けていた治癒の構築陣が消え失せて、それで地面に座り込んだ剣士は仲間の手を借りて立ち上がった。傷が残っていないことを確認してよしと頷いてからフェルがクロウィルを見上げれば、白がじゃあと声をあげて、そこに臙脂たちの視線が集まった。
「総評というか、俺が何か言うより自分達でわかってると思うから大部分は省くけど。魔法を使ってくる相手の場合の動きだな」
「魔法の間合いってどうすれば……」
 遠い目でつぶやいたのはクライアで、そっと視線を外したのはもう一人の剣士だった。ヤルジェウル、と名簿にあった名を脳裏に浮かべながら、フェルは軽く首を傾げる。
「魔法の、というよりは魔法使いの、ですね。基本魔法使いの使う魔法の効果範囲には入らない、が鉄則です」
「え」
「だから騎士と魔導師が組まないと話にならないんだ」
 クロウィルが臙脂色の呻きに返す。腰に佩いた剣、その柄に手をかける。鞘に収まったそのままの長さは大人の腕よりも少し長い程度。片手剣と呼ばれるよりは長いそれは、騎士が扱うために特化した形。
「何も魔法使ってくるのは人間だけじゃないし、『異種』は大概が魔法使いみたいなもんだしな。そうなるとどこに逃げてもどう近づいても間合いになる上に騎士が魔法を避けるのも無効化するのも難しい。ってなると?」
「……魔法使いが何とかする?」
 ヤルジェウルが言って、言ったその視線は仲間のうちの二人に向く。向けられた魔法使い二人は顔を見合わせて目を瞬かせて、そして男性の方、タヴィアが眉根を寄せてヤルジェウルを見返した。
「……毎回やってるけど気付いてない?」
「……え」
「まあ剣士も騎士も魔法には疎いですからねえ」
「含みを感じる」
「誰も白の事とは言ってないですよクロウィル」
「お前な……というかそういう括りだとあいつも入るぞ。良いのか」
 言う白服が指し示した方角にフェルが眼を向ければ、見えたのは軽装の彼女だった。顔はそちらに向けたまま、視線だけ彼方に投げ捨ててフェルは眼を瞬かせる。思考の間の数秒。
「……まあ魔法について詳しかったらああいう選択には至りませんよね」
 クロウィルが素直に沈黙に任せたのを背中で感じ取ってから、そういえば、と思考に浮かぶ。剣士三人の方に向き直って、手だけは先ほどのクロウィルのように自身の相方を指し示した。
「そう、剣を使う人間が魔法を何とかする方法なんですけど、あそこのに訊いてみてください。さすがに一朝一夕じゃ無理ですけど、知っていて損はないと思います」 「はあ……」
「それ以外は、他の班が終わってからにしましょうか。種明かしもその時に。お疲れさまでした」
 半ば無理やり断ち切って送り出す言葉を口にすれば、五人がそれぞれに礼を残して、揃って結界の外へと足を向ける。次は順通りに戻るのだろうかと浅い記憶を掘り返しているうちに、臙脂が遠のいたのを見て取ったクロウィルがフェルを見下ろした。
「で、何がどうなってたんださっきの」
「コウに代わってもらってたんです、炎を使ってきたので、その火で相手の視界が塞がったのを見計らって」
 すぐに返したフェルが地面を見下ろせば、黒服の足元から伸びる影が揺らぐ。這い出てきたのは鋼色のそれで、クロウィルが驚いたように眼を瞬いているのを横目に全身の毛を膨らませて身震いをした。騎士の呟き。
「気付かなかったぞ……?」
「クロウィルを騙せるなら上々ですね」
『フェルが、クロウィルと、レゼリス? だけは、何をどうしても騙せないと言っていたから、気をつけた』
 鋼色が地面を蹴って黒服の肩によじ登る。丁度の大きさでそこに収まって獣の頬を魔導師の頭に嬉しそうに擦り付けるのを見ながら、クロウィルは一度完全に口を噤んで、それから何かにわずかに頷くような仕草を見せて、それから紅に変じたその瞳に視線を合わせた。
「……フェル、次やったら怒るからな?」
「や、やりませんよ……! 必要があったらやるって言いますし……!」
『そもそも使い魔……使い魔であれ『妖精』であれ、あるじと実体の権限を入れ替えればあるじが影の世界に入る。だから詠唱も、言葉も、影を通して俺から発せられたんだが、俺が実体を解かないとフェルは影から出られない』
「……えーと?」
『使い魔がこうして人間の目に触れるには、あるじに実体させられなければできない。……という法則を使って、フェルが俺を常に実体させている、と、思わせる』
「昨日時間があったので、色々試してたんですよね。使い魔と何が違うのか、って。結果ほとんど変わらないってなったので、じゃあ、できるかな、っていう即興です」
「即興って……大丈夫なのか?」
「異常ありませんよ、大丈夫です。……次ですね」
 言うその視線の先には臙脂色の別の五人。そういえばと思って見てみれば副学長は学生達の近くに立ったままで、では何かあったのかもしれないと思いながら次の五人を出迎えた。



「無理を言いましたが、叶えてくださって感謝しておりますよ」
「無理と解っているのなら、少しは自重なさいな。調整をするこちらの身にもなってほしいものだわ?」
 署名の書かれた書類を宰相から受け取って、その人は尚婉然と笑んで行ってみせる。相対する一人――髪も瞳もその表情自体をも隠し通すフードとローブ、暗い色の紗の奥からの視線はそれでも男のものだと判る。それ以外を全て覆ったまま。
 苦笑、その気配。
「私が今の役を承けるにあたっての交換条件です。ですから陛下には、無理を通してくださった事に、心より感謝を」
「嫌味のような言葉の選び方ね? そんなじゃ、あの子に知れた途端に嫌われてしまってよ?」
「ご心配なく。知られる予定もありません」
「隠して通せるのかしら。これだけ長い間、すぐ近くに控えていて」
「だからこそでしょう。だからこそ、気付かれない」
「侮りと受け取るわね」
「従兄弟にすら手酷いお方だ」
「あら。私が兄二人を殺して玉座を得た事も知らないのかしら」
「いいえ? お変わりなく安心致しました。……貴女は前王の約束を違える事のできない方だ」
 ローブを揺らした男が立ち上がる。真っ白な布地が揺れる合間に、袖の中、品の良い袖口と手袋に紛れるようにして手錠の鎖が揺れる音。
 顔を隠した藍色の紗の向こう側の瞳は蒼い。布地で隠し通された髪は金、それをスィナルは知っていた。眼に晒さないようにしているのは立場が故でしかない。手錠ももはや意味を成さなくなる。
 だからスィナルは国王として、それを選んだ。押し付けて譲らない事を。
「それが最良と判断しての事よ。国として、国の為に」
「そうでしょうね。利害は一致しているでしょう?」
「……ユゼ、護送を。『間違っても殺さないように』」
 御意と返す声が硬い事には何も言わなかった。藍色の衣装の一人が拘束を解かれないままの男を促して、ローブ姿は四方を紫旗に囲まれたまま、背を見せて立ち去っていく。扉が開かれ、潜り抜けた姿を視界から排除するように閉じられる。
 しばらく無音だった。次に立った音は女王が書類を持ち上げる乾いた紙の音で、宰相は無感動にそれを受け取って、そして眼鏡の据わりを正す仕草に吐息が混じる。
「役者はあちらが一枚上手ですね」
「そのようね」
「……血縁に対しては化けの皮が剥がれるのが早い」
「いけない事かしら? 隠し事は少ない方が良くってよ」
「兄殺しを告白するほどではないでしょう。……伝令は如何致しましょうか」
 今度の沈黙は、迷うような空気の中にあった。立ち上がった女王が視線だけを向ける。
「蒼樹の通達に至急に届けなさい。残念だけれど私にも子を大事に思う心は残っているようだから。――大公は返してもらうわ。次の新年、来年の冬雪祭での立太子と同時に、『紫銀』はその妃に取らせます」




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