「良いモノ使ってるよなあ……」
 エクサの呟きに、フェルは両手で抱えていたマグカップから顔を上げた。今日は夕方を前にしての菓子の試作会が終わってからも厨房で団欒する顔が多く、それを見てディナが気を利かせて暖かいものを用意してくれたのだ。談話室と違って暖炉のような暖かさを保つものもないから、竃の火が消えてしまえば途端にここは寒くなる。火を入れて、それを見てくれているのも、こうしてミルクティーを淹れてくれるのも有難かった。
 首を傾げたフェルがエクサの視線の先を追えば、長テーブルの半分程度を占拠して何事かについて侃侃諤諤としている黒服と、取り残されたような白が一人。ただ一人のクロウィルは、文字通り周りを固められて逃げるに逃げられず話を聞いているだけのようだった。それを見やって少し考え、そうしてから眼を向ける。
「……フィレンスです?」
「だな。『短剣』を譲られた経緯、何となく気になって訊いてみたんだが。分からないと返ってきてな」
「ああ……」
 眼を向け直せば、彼はどうやら構築陣の描生についての話に巻き込まれているらしい。腕を伸ばして構築の一点を指し示して何かを言っている黒服を、それでも興味はありそうな姿勢で見上げている。最近ではあの位置に、もう一人の白がいる事も珍しくはなくなってきた。今は単独の任務に向かわされてしまったせいで、この場にはいないけれど。
「……結構、謎だらけというか。私もよくは知らないんですけど、紫旗の団員達の中でも知ってる人は居ないと思います」
「クロウィルもか?」
「クロウィルは、禁忌に関しては無関心だから、だそうです。当時からして不干渉を貫いてますねぇ」
 エクサはただ、へぇ、と意外そうに呟いただけだった。フェルはもう一度彼の方を見やって、それで元のように視線を外してしまう。自分が腰かけているのは丁度そこに背を向ける位置だったから、無理に身体を捻ろうとしなければ自然とその風景は眼には入らなくなった。代わりに、変わらず目を向けたままの黒服が目の前の視界に映る。
「……気にしてますね、あの人の事」
「まあ、なぁ……元々俺やらセオラスは中立派だったんだよ、騎士の禁忌の事情にさして興味ないって理由で」
「それって攻撃しない代わりに周りの抑止もしない一番『いい』位置ですよね」
「嫌味か」
「分りませんでした?」
「知らなかったんだから仕方ないだろ、色々……ともあれ事情は聞いたし、そうなるとな。興味なかったものも流石に、というところだな」
「元々が誤解から始まってますし、それを思うと妥当というよりも遠回りな気もしますけどね」
「お前反対派なんだよな一応?」
「禁忌には反対してますけどだからって人ひとりを好き勝手に殴り続けるのに賛成なわけないじゃないですか? 話違いますよ?」
 周りの何人かが呻くような音が聞こえたがフェルはその一切を無視した。代わりに素直な大人の多い場所だと胸中で呟く。議論に熱中している黒服達はこちらの会話など聞こえていないだろう。
 マグカップの中のミルクティーを一口含んでゆっくりと飲み下し、その温かさと濃厚な風味を楽しみながら眼を向ければ、エクサも視線をどこか遠くの方へと投げているところだった。フェルは息をついて、小さく笑みを浮かべる。
「まあ私も、人の罪悪感を真正面から逆撫でた時の相手の表情と反応見て楽しめるほど人間を極めてはいないので、特に何も言いませんけどね」
「左様で……本当お前十六なんだよな?」
「魔導師に年齢なんて関係ないじゃないです?」
 言えば頬杖の彼はそうだけどと苦笑する。フェルの横で静かにホットミルクを楽しんでいたコウがそこで初めて顔を上げて、それで首を傾げた。
「……フェルは、十六歳、なのか?」
「そうですよ。丁度十年前の、紫銀帰還が知らされたのが私が六歳の時でしたから」
「そんなに前の事か? 結構最近なように思うんだがな……」
「私にしては長い方ですけどね、十年って」
「……十六……」
 コウが小さく呟く。何かと視線を向けて疑問符を浮かべたフェルとエクサがその続きを待つ間に、コウは何度か首を捻って、それから少しして漸くそうか、と声を零した。
「そうか……俺は五十くらい、に、なるのか……」
「……えっ?」
「俺が作られた年は、六二三四年、だったはずだ。創り手の記憶が、そうだったから。色々な人間や生き物の記憶が、混在しているから、確実とは言い切れないが……」
 『妖精』というものは、個々成り立ちが違うらしい。コウが構築の不完全さ、無名であったことから『異種』と変わった時には、元の魔法の性質を継いだままに街を覆い、覆った人や動物や植物や建物すら飲み込んで、そしてそれらの記憶を知識として吸収したらしい。これは当のコウが暇を見つけてエーフェの『妖精』との会話の中で見つけた特異点、だそうだ。
 折り合いが付いているのかは判らない。だから深く触れはしないままでも、胸の内に予期しない感情が訪れることはない。だから何も言わないままだ。言っても、この『妖精」の思いが糸を伝ってくることなどほとんど無いに等しいが。時折に驚愕や軽い危機が伝わる、その程度。
「そうなると結構古風なのかもな、構成の中でも。……」
「……なんとなく何考えてるのかわかるので言いますけど、エクサさん、コウをバラそうとかしたら全力で怒りますからね?」
「他人の使い魔に手出せるかよ、安心してくれ」
「本当ですかね……」
「変に疑り深いな」
「ちょっと昨日あたりから色々警戒してて……」
 言いながらちらと目を向けたのは竃の方。何をしているのか、薪が燃えているそのまじかで何かをいじっているらしい黒服の一人、その背中だ。青い髪は今は背中でくくられて尾のようになっていた。わずかの無音の後、マグカップを両手にしっかりと持った少年姿が無防備に距離を詰めてくるのにはしなおに膝の上に抱き上げて抱える。エクサは溜め息と共にテーブルに体重をかけるように頬杖をつく。
「また何かやったのかセオラス」
「……されかけた……?」
「……昨日学院に行って、最後は時間切れだったんですけど、学生の相手するのが想像以上に長引いちゃって。その隙にっていうか……未遂なのでちょっとこのあとしばらく怖くて」
「何やりかけたんだあいつ。まさか強制解除やろうとしたとかではないよな?」
 口を閉ざした魔道師と疑問符を浮かべた竜を一目見やったエクサは即座に立ち上がって竃までの短い距離を素晴らしい速度で詰めセオラスの後ろ襟を遠慮なく掴み上げて容赦なく扉の外に引きずっていく。聞こえた悲鳴には何事だと一度あちこちから視線が暑かったが、だが上げているのがセオラスだと見るや否や外れていく。悲鳴はそのまま扉の外へと出て行って、音と声が途絶える。
 フェルは自分の膝の上の少年に抱きつくようにして小さく息を吐いた。セオラスは、悪い人、ではないのだが。
「……勉強にはなるんですけどね……」
「昨日の、か?」
「ですね。他人に結びを切られる可能性があるのかどうかを全然考えてなかったので、そこは判明して良かったとは思います。気をつけてないとですね……」
「……魔法使い同士の争いは怖いな……使い魔や宝珠も対象になるとは知らなかった」
「言葉の通りの争奪戦ですからね。基本、奪ったものとか、宝珠と使い魔は特に反発が大きいことが多いので、手を出すのって本当に実力のある一握りだけなんですけど」
「……セオラスは、ここの中で二番手、だから、辛いな」
「……うん……」
 とられかねない、と判断した直後に起こした行動は物理的な制止だった。つまり杖で殴った。そうしたら次に彼が言ったのは「そんな雑な扱いするならその宝珠『貰う』ぞ」という宣言ともとれるもので。
 さすがにちょっとそのツラ貸せの科白を使うべきなのか迷ったのが本心だ。迷っている間にクロウィルがやってくれたので実際に口にせずには済んだのだが。それでも、悪人で無いのはわかるから、嫌うにも至らないのだが。フィレンス曰く彼は「親切を考えない押し付け型の世話好き」らしい。偏屈具合については沈黙だけだった。
 思い出しながらどう対処しておけばいいだろうかと眉根を指先で揉んでいるうちに、片腕で抱えていたコウが上体を捻るようにして振り返る。気付いて見れば、その手が左の袖の中に入ってくる。ああ、と思ってほんの少し意識を凝らせば、腕を軽く握るようにしていたコウの手が離れた時には、その手の中には薄紅色の丸い玉があった。マグカップをテーブルに戻して両手で包むようにするのには、フェルはそこを覗き込みながら問いかける。
「『音曲』とは、話しました?」
「少しだけ、だが。……フェルの宝珠達、は、男性性が多い、な」
「そうなんですよね、どうしてか」
 コウの手の中に抵抗なく現れた薄紅色を指先で突けば、淡く光を纏うがそれ以上は応えない。さすがに使役者以外の人間がこの部屋には多いから、姿を現すようなことは無いだろう。思って、鋼の蒼い瞳を見やる。
「部屋にいきましょうか」
「……大丈夫、か?」
「大丈夫ですよ。フィレンスもそろそろ帰ってくると思いますし」
 窓を見やれば外はもう薄く暮れの空気に染まり始めている。おやつの試食会があると聞きつけてここに押しかけたのだが、思ったよりも時間も経っているらしい。朝に受け取った任務は昼過ぎには完了して、そのあとは相方だけが近辺で目撃された注意の捜索に向かわされてしまった。フェルはまだ情報が集まってからの討伐任務にしか出向けない、ただ『異種』が出た、という状況から標的を探し出して、場合によってはその場で討伐、というのは、任される人員も吟味されるようだとは、長官の口振りから判ったが。
 なら、と頷いたコウにフェルも頷き返して、一旦手に返してくれた宝珠を袖の中に戻している間に鋼は黒服の膝から降りて立ち上がり、周囲を見渡していた。追うように腰を上げれば蒼の瞳がこちらを向く。
「エクサ達は、随分遠くに行った、んだな……」
「……です?」
「北棟、の方、だから、訓練場の方、だ。……そうだ、テティと、少し話してきても構わない、か?」
「ん、大丈夫ですよ。行きましょうか?」
「確認したいことがあるだけ、だから、すぐに戻る。フェルは、部屋に」
「はぁい」
 苦笑しながら、答える。この竜も早くも『紫銀』の扱いには慣れて来たらしい、部屋には常に誰かしら護衛がいるか、皆が居ると思っているから何か起こるとしても安全だろう、という竜の判断のようだった。少しでも渋る様子をフェルが見せれば手を握って連行するところまでしようとするのは魔法らしい律儀さに思える。
 静かな談笑の空気の中から扉をくぐって一歩外に出れば冷えた空気が襟や袖口から入ってきて肌に触れる。風があるわけでは無いから、まだいいが。
 じゃあ、と青い炎を纏って獣に変じた竜が欠けていくのを見送ってから、それとは違う方向に足を向ける。流亡を出れば部屋に向かう階段はすぐだ。部屋の中ならまだ暖かいだろうと早足で自室に向かって、幾つも似た扉が並んでいる中から目当ての一つの前で立ち止まる。上着の中から鍵を取り出して手早く開いて中に滑り込む。
 思った通り部屋に入れば中の空気は暖められていた。扉には内側から鍵をかけ直して、すぐ脇の壁に手を伸ばす。小さな木の戸を開けば中に魔石を据える台座が見えて、そこに何も入っていないのを確認してから、ソファに囲まれたテーブルの上から木箱を持ち上げる。
 蝶番の蓋を開けば、硝子容器の中に行儀良く収められた魔石が何個も並んでいるのが見えた。その一つの硝子の中から取り出して木戸の中の台座に据えれば、途端に部屋の中に光が灯る。よしと一人頷いて、木箱は閉じて元の場所に据え直した。
 時間としてはまだ早めだが、すぐにくれるだろうからどちらにしても同じだろう。ソファに腰掛けて、それからもう一度袖の中に手を入れる。意識を向ければすぐに手の中には丸い珠が姿を現した。
 魔法使いが使う宝珠は、様々な形に変化する。その多くは指輪や腕輪といった装身具だが、そうした固定の形を持たない宝珠は、多くの場合は魔法使いの身体の中に氣と魔力の形で留め置いて、必要な時にだけ杖や珠として現出させることがほとんどだ。
 だからフェルが取り出した宝珠も常には体の中に溶け込むような形で存在している。それを奪うというのは、魔力そのものを奪う事とほとんど変わらない、同義と言っても過言ではないのだが。
「……どこまで本気なのかわからないんですよね……」
 呟く。なんとなく、このところのセオラスの行動には違和を覚えるような場面が多い。息をついたところで、両手で包んでもまだ余るほどの大きさの宝珠が淡く光を纏って、そして転がり落ちたでも無いのにその感触が手のひらから消え去った。
『思うなら、問えば良いだけと思うが』
 声に目を挙げれば、向かい合うようにテーブルに腰掛けた一人。人間とは違う、常に燐光を纏った中で、ローブのいでたちに紗と巾を重ね合わせて組紐と宝石のベルトで押さえた姿の男には、フェルは苦笑してみせた。
「それが楽とは思うんですけどねぇ……」
『主は慎重がすぎるからな』
 一瞬背が冷えるような、何かが抜けていくような感触に立て続いて聞こえたもう一つの声に振り返れば、腰掛けたソファの背には炎を身に纏った尾の長い大きな鳥。
「『栄光』……貴方まで」
『音曲ばかりがお主人の眷属と触れ合えるでは多少も不満に思う。私はまだ姿を得ているから良いが、凱歌などは憤懣遣る方無かろうな』
『同意しないでもないな。試行回数が多いのも良いが、凡例が多いのもあの鋼には良いのでは? 精霊やら妖精のことは解らぬが』
「順を追ってと思ったんですよ。それにまさか宝珠が『妖精』に魔法を教えるって手があるとは思ってなかったので……」
『言い出す気もはじめは無かったが。主人の教え下手を鑑みた』
『然り』
「…………」
 言い返せない。コウ相手なら、魔法を教えるだけなら構築を示せば終わるかもしれないが、それで終わらなかった時が怖いのは事実だ。姿と言葉を得た宝珠の方が、己の中に収められた魔法については言語として表しやすいだろう。その宝珠――『音曲』は、人がするように組んだ足の上に頬杖を突いてみせた。
『伝うは確かに私の呼号の通りだが。我らは精霊や魔法ほど人に近くはないからな、本来であれば主が行うが正着だが』
「そう、ですかねぇ……?」
『情のないものより情を持つ人に触れた方が良かろうな』
 宝珠がそういう判断を下すものなのか、それが気になって無言になって、だが考える間も無くすぐに扉を叩く音がして慌てて立ち上がった。扉へと体を向ける間に掌に戻ってきた硬い感触を左の市での中、自分自身の肉体の中に溶け込ませることで潜ませて、それで扉を開ければ鳶色。
「とりあえず説教役に渡してきた」
「えっ、あ、はい、有難うございます」
 素直に頭を下げた。説教役とは、と思っている間にエクサは呆れたような、それでもさほど疲れたふうもなく言葉を続ける。
「まあ、警戒してろ、って言いたかったみたいだけどな、本人は」
「それは、まあ、もう」
 気を抜きたくなくなった、が本心に近いのかもしれない。強制解除の類は、言葉そのままの意味で気を付けていれば防げるものだ。それだけで守れてしまうほど使い魔と、『妖精』と使役者のつながりは深い。姿を得るまでに至った宝珠もまた然りであって、つまりはそういうことなのだ。
「……でもできれば口で言って欲しかった……」
「セオラスは経験重視というか、ある意味では偏重しているからな。仕方がないと思って諦めてくれ。……と、あと、この前に行った店覚えてるか?」
「魔法具のです?」
「ああ。少し用があるんだが、軽いんだが大きな荷物があるから少し手が欲しくてな」
「……良いんです?」
「構わない。協会の用だから黒服のままで良いぞ、コウはどうした?」
「ちょっと離れてるだけです。髪と眼と変えちゃうので、少し時間もらって大丈夫です?」
「なら、準備ができたら一回の大扉に来てくれ。先に荷物の確認をしてしおくから」
「はい」
 手伝いなら、と頷いたところで、肩を軽く叩く手の感触があるのには内心で安堵を浮かべる。二回は了解の意味で、三回になると制止になる。護衛が許す限り、色を隠しさえすれば自由に街を出歩いても良い約束だ。だからなおさら早く支度をしてしまおうと、軽く手を上げてエクサが背を向けるのを少しの間見送って、それから扉を閉めて中二階に駆け上がった。




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