無防備に金の髪を長く垂らして、ゆるりとした三つ編みに編んだ青年が、雪原を踏みしめていた足を止めた。
「……うん、大きいねぇ」
 感嘆したように、呟く。川が流れていると見て、地上の水は健気だと微笑ましくなった。やはり時折は、こちらの空気に触れたくなる。
「前に見たよりも、大きくなっている気がするな。広がったというか、高さが増したというか」
 言って、また歩き始める。軽いローブに外套を羽織って、そこに一つきりの鞄を肩から身体に這わせて、ずれ落ちてしまわないように押さえながら、雪に足跡も残さずに悠々と進み続ける。まだ遠目の街に向かって。
「……この調子だと日が暮れるかな。大丈夫かな?」
 不意に思った事をそのまま口にして、一度足を止めた。振り返る。来た道、ただ真っ白な雪原のどこかに焦点を当てて、何度も塗り重ねたように透き通った金色が、瞬く。
「……少し急いだ方が良いかなぁ。夜明けにと思ってきたのに、そろそろお昼時なのだし」
 言いながらも、身体の向きを直したあとは変わらない調子で雪を踏みしめる。一瞬前までは遠くに全景が見えていた街の、その入り口が目前にまで迫っているのにも何も言わずに、ただ門番が雪の上の小屋の窓から顔を出すのに眼を向ける。初老、人好きのする顔つきの。
「旅の人かね?」
「そう、知人に会いにね。届け物をしたくてね」
「直接渡しにくるなんて酔狂だねぇ。『異種』には出会さなかったのか、運が良い、この時期は結界の近くにも出るもんだから」
「へえ、じゃあ幸運だったかな」
 純粋に偶然を喜ぶような青年のそれに、門番は明るく笑う。そうしてからそうだと声を上げて一度小屋の中に顔を引っ込めて、次に出てきた時には、片手に持った紙包みを差し出してくれていた。
「そろそろ昼だしな、幸運な人へ、だ。食べると良い、ここの店のは美味いぞ」
「良いの?」
「構わんとも、街の自慢の味だからな、旅人さんにはいっつも渡してるんだ」
「へぇ……じゃあ、有難く」
 手を伸ばして受け取った青年に、門番は楽しんでな、と手を振ってくれる。それに同じように振り返してから、紙包みを眺めながら街へと足を踏み入れる。
 雪で出来た階段、梯子を斜めに立てかけるようしてそれを印に踏み固めたそれの一段目に差し掛かったところで、一瞬のその感覚に足を止めた。空を見上げる。『何もない』空。
「……少しは自制するんだよ、って、言ったのになぁ。こんなのがいつもじゃ、すぐに崩れてしまうのに」
 呟きながら、階段を降りる。堆く降り積もった雪は結界の中に入るなり目減りして、大通りは綺麗に白が拭い去られていた。まっすぐの広い道をゆったりと進みながら、先ほど受け取った包みを丁寧に開いた。パンに野菜と軽く炙られた燻製肉、見るからに美味しそうに思えて、行儀の悪さは自覚しながらもゆっくりと歩きながらそれに噛み付く。
 咀嚼して、飲み込む頃には青年は満面の笑みを浮かべていた。紙包みに描かれた店の印をじっと見つめて形を覚えてしまう。今度の土産はこれにしようと決めて、続きを食べながら視線を上げる。長い道の先に、そこだけ蒼い屋根。
「……蒼なら、クィオラが良かったかもしれないけど」
 ふ、と脳裏に浮かんだ言葉は、すぐに声になって溢れる。道を進むごとに人気が増えて、それでも賑やかしさが無いのには首をひねる。空にしてしまった紙包みのそれは畳んで鞄に入れてしまって、それから周囲を見渡した。
 幾つかの店が開いている。その一つの扉の前で何人かが輪になっているのを見つけて、そこに足を向けた。一人の視線が向くのを待ってから、青年が柔和に口を開く。
「こんにちは。少しお聞きしたい事があるのですが」
「ああ……ええ、なんでしょう?」
 女性、若いその人が応えてくれるのには、青年はほっと安堵する気持ちを押し隠して、通りを見渡すように視線を動かす。そうしながら問いかけた。
「今日は、何かあったのですか? どこもあまり元気が無いように見えて」
「あぁ、それは……ああ、旅の方なんですね。今日は、この街は鐘の日なんです」
「東の方に『異種』の波が起こったらしくて、色んな都市で鐘を鳴らしてるみたいで、それで」
「ああ……斎日なのですね。それで」
 随分と呼ぶ声が多いと思っていたらと、続けて説明を加えてくれた男性のそれでようやく合点がいった。地上にいると知れる事も知り得なくなってしまう。それは少し歯痒い心地になって、それでも表情には浮かばせないまま軽く会釈する。
「大事な時に失礼しました。では」
「旅のご無事を祈念致します、旅の方」
「はい、有難う御座います」
 言ってくれる決まり文句には、素直に嬉しい心地が戻ってきた。『異種』の多いこの地上では、旅をするのも一筋縄ではいかないから、それを可能にする人は幸運の人と呼び習わされる。その人自体が幸運を持ち合わせているとも、その人が幸運を運んでいくのだとも。理屈で解せない真理を継いでいてくれるのは純に喜ばしいと、自然青年の足取りも軽くなっていた。
 大通りを西に進むごとに、目当ての門の形が目に見えてくる。東の方角から歩き始めた時に背後よりも下にあった太陽は、今は真上よりも少し外れた場所にいる。そろそろもう少し強い方がいいのかな、と思いながら視線を戻せば、鉄の門扉と、その両脇の護衛官達が見えた。二人のうちの一人に向かって歩を進めて、そうしてから声をかける。
「すみません、少し良いでしょうか」
「はい、なんでしょう?」
 槍を持った男性は、堅苦しくない声音で問い返してくれる。いきなり鉄の穂先を向けられるような事が無くて良かったと内心に思いながら、答えて言った。
「長官殿にお会いしたくて。届け物があるのですが、どうしても直接渡したいのです」
「……ご約束などは?」
 やはりこの背格好で無手で会えたりなんてしないよなあ、と思いながら、問いには鞄を開く。その中から一通の封書を取り出して、青年はそれを彼に差し出した。
「これで解るはずです。長官殿に許可を頂けないかだけでも、駄目でしょうか」
 言えば彼は迷いながらもそれを受け取る。護衛官の二人の間で目配せがあって、それから改まって視線がこちらを向いた。
「少々お時間を頂くかと。ご多忙な方ですから」
「わかりました、では、もしお会いできるようでしたら、私は樹のあたりに居ますので」
「わかりました。誰かしらを伝えに遣らせますので、お待ちください」
「はい」
 笑んで頷いて、それからさてと大通りの方に身体を向け直す。後ろで鉄の門が開いて閉じる音がするのも気にせずに、何歩も進んでから、はてとその足を止めた。
「……地下ってどこから行けるのだっけ……?」



 扉を開いて眼が合った瞬間にぎょっとした表情を隠しもしなかった彼には、思いっきり眉根を寄せて見せた。
「刺すぞ」
「……何でドレス着てんのお前」
 朝から疲れてしまってもう着替えなくても良いかと談話室に直行した、その扉を開いて開口一番がそれだった。フィレンスはフードを背に落としながら嘆息した。
「一応貴族の娘なんだけど私」
「いやだってお前……白服の間はみたいな事言ってたじゃんか……」
「そんなの忘れてるから無効です」
 クロウィルの何故か動揺した物言いには言って返して、ソファの方へと足を進める。確かに足に絡みつく柔らかい布地の感触は久々だが幼馴染に言われると釈然としないのが本当のところで、言い合いが気になってか振り返ったディナが、あら、と声を上げた。
「珍しい、貴女私服も制服みたいなものばかりだと思ったら」
「それは正解。昨日ちょっと泊まらせて貰ったら、白の制服無くてこれ置いてあったから」
 空席を眼で探しながら言って、空いていた一人掛けに向かう。外套を心持ち丁寧に脱いで畳んで、その柔らかい椅子の背に掛けてから腰を下ろした。手早く用意をしたディナが差し出してくれた紅茶は有難く受け取って、子猫が足元に寄って来たのは膝に抱え上げてやる。クロウィルの声。
「どこか行ってたのか?」
「ん、ちょっとね。兄さんと話してた」
「ああ……リアファイドさんは、もう行ったのか」
「うん。あ、そう、ディナ、帯の事伝えてみたけど、大丈夫そう、その方が樹にも良いだろうから、って」
「そう、……良かったわ。対岸の事だからって、何も出来ないのは嫌だもの。……出来れば織るところからやりたいのだけれど、流石に欲張りすぎかしらね」
「どうだろう、樹に近付けるまでかかると思うから、時間はありそうだけど……」  刺繍の多い生活だと、当然の事を思いながら紅茶を一口口に含んで、飲み下せば暖かさに気分が和らぐ心地がする。ディナは果物の香りの紅茶が好きらしい、今度戸棚に加えておこうかと思っていると談話室の奥の本棚の間から深紅が覗いたのが見えた。眼をやればベルエンディがじっと見つめているのに気付いて、それでフィレンスは首をかしげる。色違いが問いを発する前に、大皿に切り分けられた果物を盛って、それを手にしながらの不思議そうな声。
「フィレンス、なんかあったのか?」
「……なんで?」
「いや、なんか精霊達がべったりしてる」
 眼を瞬かせた。思わず自分の身体を見下ろすが膝の上で茶子猫が転がっているだけだ。テーブルに皿を置いて、一つに刺してあった細い串の一つを指先でつまみ上げながらベルエンディは尚も訝しむような声音で声を連ねた。
「お前の周りに精霊多いのはいつもの事だけど、なんか今日は凄いぞ」
「……ごめん全っ然わかんない」
「騎士でも気付くと思うけどなぁそんなに群がられてれば」
 ベルエンディが持ち上げた串の先の果物を口元に差し出されるのには、フィレンスは素直に口を開いて一口で迎え入れる。甘い果物、食んでいるうちにファロックの実と気付いて、それでも精霊の様子など欠片も判らない。飲み込んでいる間にディナが少し考える風に口元を押さえて、そうしてからはたと顔を上げる。視線が向いた先には二つ目の果物を与えられている騎士。
「そういえば貴女、魔法に対する抵抗力って高い方かしら」
「ん、……っと、どうだろう? でも呪いとかそういうのの後遺症からの立ち直りは早い方、かな」
「ベラ、ちょっと薬貰うわね」
「倍返しなー」
 言いながら三つ目を口元に差し出してくれるベルエンディに眼もくれずに立ち上がったディナが駆け足に扉を外へと抜けてどこかに向かう。なんだろうと思いながら果物には食いついて、瞬間に僅かに眼を張った。口元を押さえて慌てて口の中を空にして、それから深紅に問いかける。
「梨?」
「そうそう、珍しいよなこの季節に梨って。昨日街ふらふら散歩してたら見つけたんだよ、割高だったけど折角だしって沢山買った。好きなのか?」
「ん、梨は大好き。林檎も蜜が多いの好きだよ」
「お。じゃあ今度あったらまた買ってくるか」
「いいの?」
「いっつもなんか作ってくれてるお礼。発案者はユーリィな」
 思わず眼を瞬いた。確かに暇なときに何かしら作っているのはそうなのだが。
「……あれ私の発散の結果っていうか……」
「蜂蜜自費で買って果物漬けて云々って一人にやらすことじゃねーだろってのが加担者の総意な。ほら食え」
 ぐい、と押し付けるようなそれには結局気圧されて素直に食いつく。瑞々しくすっきりとした甘さには尚更肩の力が抜けていく感覚。なんとなく餌付けされているようなと思っているうちに、何かの本を閉じたクロウィルが動いていた。
「ベラ、何か必要なのあるか?」
「んー。ちょっと資源管理室から黒い布と金糸の刺繍糸と針持ってきてくれると嬉しい。布こんなでいいから」
 こんな、と言いながら手のひら大の大きさの四角を指先で空中に描くのを見て、それでクロウィルはすぐに扉に向かい、ディナと同じように姿を消してしまう。なんだろうと疑問符を浮かべているうちに入れ替わるように先んじて姿を消した黒服が戻ってきて、その手には小さな薬入れがあった。軟膏を入れるようなそれを開きながら真っ直ぐに向かってくるそれにフィレンスが疑問を呈するより先に、指先にほんの少しをすくい取った彼女がすぐの場所に立って少し腰を屈めるようにする。
「ちょっと眼を閉じて頂戴な」
「……うん?」
「大丈夫、変な薬じゃないから。瞼に少し付けるだけよ」
「なんの薬……?」
 問いかけても笑みが返ってくるだけ。疑問に思いながらも言われた通りに眼を閉じれば、指先が柔らかく瞼を目尻までなぞって、もう片方も同じようにする感触が伝わってくる。そういえば怖さは無くなったな、と、何の脈絡もなく思っているうちに何かの呟きが小さく聞こえて、それが途切れてから軽く肩を叩かれる。
「もう良いわ、開けてご覧なさいな」
 言われるそれにも、疑問は覚えても大人しく言われた通りにそうして。
 そして見えた景色が変貌している事に、思わず眼を見張って身構えた。視界が白い、その中にぼんやりとした影ばかり。
「、っえ、なに」
「大丈夫、何度か瞬きしてみて、そうすれば分かるから」
 宥めるように肩を何度も撫でられる感触。思わず手を伸ばしてその手を掴むのには苦笑が気配で伝わってきて、別の方向からの手の感触が頭に乗る。
「だーいじょうぶだって、見えなくなってるわけじゃない」
 声と撫でられる感触、その両方にまるで子供のように安堵を覚えて、それでようやく言われたようにゆっくりと瞼を動かすことができた。恐々と二回三回と繰り返すうちに、白から色が戻ってきて、それから見えたものにフィレンスは再び瞠目した。
 視線は自然と下を向いていた。膝の上に子猫が居るのは変わらずに、だがそこに子猫以外のものが居た。蛇のようにくねる柔らかそうな体躯に翅を持つ、不思議と気持ち悪さも何も感じない生き物。子猫のすぐ側には小さなうさぎが行儀よく座っていて、肘掛けには大きな金色の鳥。視界に映り込んだ自分の左腕には白い花を咲かせた蔦が緩やかに這っていて、その細い先が中指に絡んでまるで指輪のようだった。
「……え……?」
「それな、猫以外は全部精霊」
「……え!?」
 思わずその言葉の主を見やれば、深紅の彼女の装いすら数秒前とは違っていた。腰元に赤い花を付けた蔓が絡んで硝子細工のように光を反射していて、結い上げられた髪にはいつもの宝石に加えて生花にタッセルまでが垂れて揺らいでいる。足元に暖かい感触を覚えて眼を向ければ白い狼が膝に顎を乗せたところだった。
「……え、……え……?」
「魔法薬よ、一時的にだけれど精霊が見えるようになる薬。私も精霊は見えないから、必要な時はこれを使うわ」
「そのたんびにあたしのところから盗んでくんだよな」
「ちゃんとお返ししてるじゃない? ……っと、そう、精霊にぶつかったり潰してしまわないかとか、そういうのは気にしなくて大丈夫よ、精霊の方が避けてくれるから」
「…………え、っと、……ちょっと待ってなんかすごい、わけわかんない」
 説明してくれる言葉はわかる。その意味するところもわかる。でもどうして急にこんなことになっているのかがわからない。わからないまま掴んだディナの手を離せないで掴んでいれば、急に視界に覗き込む顔が見えて思わず肩が跳ねた。金色の眼に金色の長い髪、紗を重ねたような衣裳を身に纏った少女の顔。
『……あ、見えた?』
「…………え」
『わたしから頼んだの、見えるようにしてあげてって。ベラ、だっけ、有難う』
「光なんかに来られたら協力以外に無いって。それで大丈夫か?」
『うん、ばっちり平気。ディナ、の方も、有難うね、氣で気付いてくれて』
 少女が顔を向けた先に眼を向ければ、ディナは様子を伺うようにこちらを見下ろしている。疑問符と同時にその顔が傾いて、それには少女の方が小さく笑った。
『ちょっと残念だな、折角良い瞳をしているから、話してみたかったけど。伝えてもらえる?』
「ディナ、光のが助かった、ってさ」
 くるりとベルエンディの方を向いて言った少女に、言われた深紅はすぐにもう一人の黒服に向かって言っていた。手をそのまま握らせたままにしたディナは、それにはくすぐったそうに笑う。
「役に立てたなら嬉しいわ。……高位、かしら、あまり大人数で迎えるものじゃないわね」
「ん、だな。フィレンス、お前に用事みたいだから、塗った薬落とすのはそれ終わってからな」
「……ごめん全然わかんない……」
「だから魔法の勉強しとけって言ったろーに……」
 呆れられたような表情がみえればたじろいで、その様子にも少女は笑ったようだった。金色がもう一度覗き込むようにしてきて、そしてにこりと笑う笑顔。
『わたしは案内役なの。ついて来てくれる?』
 言う言葉と共にやんわりと右手が握られる。訳も分からないまま拒否する事も出来ずに曖昧に頷いて、子猫は絨毯に降ろしてやってから立ち上がる。顎を膝に預けていた白狼が優美に立ち上がって、先導を務めようとでも言いたげにゆるりと尾を揺らして扉に向かう。歩き出す前にベルエンディを見れば送り出すように手を振られて送り出されてしまって、あれよと言う間に引く手に従って廊下へと扉を潜ってしまっていた。
「えと、……その、用事、って、何……?」
『わたしのじゃないの、わたしは伝達と、案内役。貴女に会えるように、って、そう望んでおられる方がいらしたから』
「……?」
 よくわからない。細切れの欠片とも言えないくらいの曖昧な精霊に関する知識を総動員する余裕がやっと出てきてから考えても、この精霊は、かなりの高位らしい、という事くらいしかわからない。人と同じ言葉を操り、氣や魔力以外でも意思疎通ができる精霊は限られる、と。ベルエンディが光の、とも言っていたから、光の精霊だということはわかる。
 時間は丁度昼頃で、廊下で出会すほど人が居ないのは有難かった。なんとなくそれには安堵しながら、どこか嬉しげに少々が笑う声には自然と眼がそちらを向く。見上げた少女の声音もその表情に相応しいものだった。
『あのね、わたしは違うけど、皆はずっと一緒に居たんだよ』
「……そう、なの?」
 皆、とは、周囲を取り囲む動物や昆虫達だろう。小鳥や蝶は舞っているし、足元は一歩踏み出すごとに草花が生い茂って追いかけてくる。狼に梟に蛇に兎にと眼で確認している間に少女の声は続いていた。
『皆気にしてたから。だから今みたいに、貴女が自分の眼で皆を見てくれてるの、すっごく嬉しいみたい』
「……そういうもの?」
『うん、絶対にそう。だって、わたし達の王の子だもん、嫌いなはずないよ』
 王の子、その言葉に何かが思考に引っかかる。何がと考え込んでいるうちに辿り着いたのは執務室に繋がる廊下で、精霊は迷う事なくノックもせずにその扉を開いた。
 精霊がものを動かせるのかと、そう感動したのが一つ。見慣れた金の彼が、机の方の椅子ではなくソファの方に腰を下ろしているとも眼が合って疑問符が浮かんだのが二つ目。三つ目は、長官の視線がすぐにもう一人に向いた、その先を見やっての既視感。
「外します」
「いいや、構わないよ、僕はね。久しぶりだね、ラシエナ。三年ぶり、かな、君にとっては」
 柔らかい、優しげな声音。長官の向かいに座っていたその人が立ち上がって笑いかける、その髪も瞳も揃いの金色の青年。問う前に、精霊が声を上げた。
『わたしはここで、王』
「助かったよ、ナヤル。役目に戻っておいで」
『はい』
 やはり嬉しげに受け答えした少女の姿が、それを最後に掻き消える。急に空いた片手にすかさず狼が頭を擦り付けるのには意識せずにそれを撫でていて、それでも色違いはその青年を見詰めていた。
「……王……?」
 呆然とした呟きのような問い。青年は、苦笑した。
「やっぱりこの背格好では、分かりにくいね。でも大丈夫だよ、僕は偽物でもなんでもない、君の守護たる光の王、レギュレだよ、僕の子」




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