支度は日の出る前に終わらせて、白服達が地下に向かったのも市場の鐘より早い時間だった。
「律儀だよねえ」
「少しは気になるだろ?」
 手綱を手にしてフィレンスが言うのには、横でそれを聞いていたらしいエクサが返す。そうしながら横でうつらうつらしている様子の銀をつついた。
「それに、律儀なのはこっちだ」
「……フェル、起きてる?」
 つつかれたのにもそれといった反応を返さないままの銀色が、呼びかけにはようやく顔を上げる。マフラーで口元まで埋まりながら見上げた紅はぼんやりとしていて、片手は横の黒服の脇を握っていた。
「……おきてます……」
「無理しないで寝てて良いのにって、昨日言ったのに」
「……みおくり……」
「分かってるってば。そんな何日も離れるわけじゃないのに」
「それでも、だろうな。白服の方が現地にいる時間が長い上に、俺たちが合流できるまで時間もかかるとなれば、だ」
「白が最前線なのはいつもじゃない?」
「そういうところは、お前は単独の時間が長かったからな」
 後ろからの声に振り返れば、同じように手綱を引いたクロウィルが甘えようとする馬の首筋を軽く叩きながら歩いてくる。フィレンスが引く一頭がそこに顔を寄せていくのには好きにさせながら、騎手は難しそうに眉根を寄せていた。
「……そういうもの?」
「だと思うけど。あいつすら来てるしな」
 言いながらクロウィルが向けた指の先では背の低い柵に寄りかかるようにした蒼青。セオラスもやはり眠気の残った顔つきで、それでも視線が向いたことには気付いてかすぐに近づいてくる。
「……どした?」
「いや、揃って真面目だなって。眠くない?」
「眠いは眠いけどな……他人事って顔してる方がなんかストレスだしなー……」
 色違いが翠を見やっても、向けられたクロウィルは肩をすくめるだけ。少し離れたところには気になっているのだろう、アートゥスの姿もある。目元を擦ったフェルがそのセオラスを見上げて、それから手を伸ばしてフィレンスの袖を握った。
「セオラスさんがおこしてくれた……」
「あ、そうなの? 声掛けなかったのに起きてたから、ちょっとびっくりしてたんだけど」
「エナほどあさよわくないもん……」
 フィレンスは何も言わないでその頬をつねった。痛くはない程度のそれでもフェルが嫌がるように頭を振るのにはすぐに放してやって、横で小さく笑っているエクサを見上げる。
「合流までの間見ててもらえる? ちょっと申し訳ないけど」
「最年少だからな。言われなくともあちこちで気にはしている、構わない」
「ごめん、ありがと。昼頃って聞いてるけど、大丈夫そう?」
「ああ。……ああ、ディエリス、どうだ?」
「……やっぱこっちのが楽だわ俺」
 厩舎の方に向いたエクサの呼び掛ける声に、返された声は獣の呻くような音の混じったそれだった。袖を握ったまま距離を詰めて半ば抱きつくようにしたフェルがぼんやりとその方向を見やれば、巨大な赤狼。つられるように眼を向けたフィレンスは、不思議そうにそれに問いかけた。
「……不便じゃない?」
「いや、案外。さすがにこのまんまじゃ戦えないけどな。狩りはするけど」
「……するんだ、狩り」
「野生本能っつーか……なんかこう、逃げるもの見ると追いかけたくならないか?」
「それ犬だよな」
「犬じゃねえ」
 セオラスが言うのには、それこそ狼の威嚇のような音が声に混じる。そのすぐ後には赤い体毛の中で一際強い色の緑が眇められた。
「ていうかてめえあの猫ども俺に押し付けんなよ。完璧家猫じゃねえか。一緒にすんな。俺がイヌ科だとしてもあいつらネコ科だろうがネコ科」
「いーじゃん懐いてるみたいだし。猫だって稀に鳥と仲良くしてたりするんだし」
「そういう問題でもねえ!」
 がる、と吠え声が被さったその大声があってもフェルはまだうつらうつらとした様子を崩さず、騎士に連れられた騎馬二頭が僅かに嫌がるようにその場で足踏みするだけ。流石に訓練されている、と感心するエクサに対して、フェルはぼんやりとディエリスの方を見やる。目線の高さは大体同じ程度、今は腰を下ろして座った赤狼のほうが僅かに低いか。紅は、どうやらその整えられた毛並みを見つめているようだった。そうして呟く。
「……もふもふ……」
「……フィレンス、そいつ押さえとけよ。こっち寄らせんなよ」
「良いんじゃない? 役得でしょ?」
「お前それでも護衛か!? それで良いのか!? そいつ十六で未成年だろ!? 止めろよ!?」
「そういうところは本人の倫理観に依るからなんともねえ。行動阻害するのが護衛じゃないし」
 にやにやと笑いながら言いながらも、フィレンスはフェルを抱き返すように両腕を回している。手綱に引かれた馬が一足踏み出して銀色に鼻先を近付けるのには、フェルは慣れた手つきでその顔を撫でてやっていた。馬の方も嫌がる様子を見せないのは、単純に馴れているだけで、その様子を見ながら欠伸を噛み殺したセオラスがクロウィルを見やる。
「……四十越えた男が十六の女子に抱き着かれてるって案件モノじゃねぇか?」
「お前眠そうな時と酔ってる時だけ常識的だよな、語彙はいつも通りだけど」
「ふざけんのって計算しないと無理……」
 言葉半ばで、今度は殺しきれなかった欠伸に変わる。しなければ『最高峰』という想像図に違わないのにと思うそれは言葉にはしないで、クロウィルは厩舎の方を見やった。他の白服達も相方と何かしら話しているのや、馬の様子を見ているらしいと見て、準備そのものは問題ないらしいと判断して時計を取り出した。時間は四時に差し掛かろうかという頃合い。
「フィレンス、ディエリスも、そろそろだ」
「ん、了解。先導はディエリスで良い?」
「おうよ。道は判る、前まで行ってた所にも近いしな」
「じゃあ、宜しく。……フェル、そろそろ行くけど、ちゃんと寝直すなりご飯食べるなりするんだよ?」
「んー……、……うん……」
 反応は鈍くても、言葉は聞こえていたらしい。頷いた後に一度強く抱きつく腕に力が篭って、それで解けていく。離れたと思った次にはクロウィルに同じように同じように抱きつきに行っていた。青翠が苦笑しながらその銀を何度か撫でたところで満足したらしく、そのままエクサの横に戻っていく。元のようにその黒いローブの袖を軽く握るのには、やはりまだ子供らしさも抜けないかとフィレンスは小さく笑う。エクサは苦笑していた。
「まあ、こういうものだな、相方は。慣れた方が良い」
「……そうする」
 言ってから愛馬を見やれば、もう出発というやりとりも通じていたらしい。すぐに手綱をその芦毛の背に返して、鞍に跨がれば視線は久々の高さ。
「んじゃ行くか。エクサ、後でな」
「ああ。あまり無理するなよ」
「そっちも焦んなよ。その小さいのなんか思いっきりわたわたしそうだし」
「お目付役、な」
 セオラスが言われているエクサの肩を軽く叩くのも、やられている方は仕方ない、という様子だった。じゃあ、とセオラスが見上げた翠も既に騎上だった。
「なんかあったら渡したの使えな。投げればそれだけで発動すっから」
「わかった。安全に来いよ」
「その辺はぬかりないからへーきへーき。転移陣使うから小物寄せるって事もないだろ」
「何事も無ければいいけどな」
 言う、その後ろから声がかかる。すぐに赤狼が体躯を翻して駆けて行って、じゃあ、と軽い声を残して白服達がそれを追っていく。並足の白い列はそのまま外、地上へと繋がる緩やかな横穴に吸い込まれていって、見送った黒服達は、どうやら一様に息をついたらしかった。
「……大丈夫だろうし、戻ろう。眠そうなのもいるしな」
 一番に声をあげたのはゼルフィアで、それにはそうだな、とセオラスが返す。歩き出したエクサの袖を握ったままのフェルは、眠そうに目元を擦りながらも何度も白の消えていった方向に振り返っていて、それには気付いたエクサが苦笑した。
「あいつらはそんな簡単には、だろ、だから必要以上には気にするな」
「……ん……」
「初めての大型任務だし、不安なのは仕方ないな」
 セオラスが銀を撫でながら言うのにも、紫銀は素直に頷いていた。それを見てセオラスがその紫銀の手を引いて、腕に抱え上げるようにすれば大人しくその肩に頭を置いて落ち着く。なんとか眼だけは閉じないようにしているのに気付けば片手を伸ばして目元に影を作るように撫でてやって、そうすれば少しもしないうちに眠ったようだった。
 横合い、ゼルフィアの一瞥と声。
「……そういうところを若い連中に見せないから侮られるんだ」
「尊敬とか畏怖とか敬愛とかそういう綺麗なの性に合わないしな。それに、子供は子供の前で子供扱いされるの嫌がるだろ」
「わからないではないが」
「まあ、今回は、眠そうだったからって事で」
 今は、そうだろう。この子供が油断しきっているのは蒼樹の面々も重々承知の上で、それを諌める事もない。その上これからの数時間だけとはいえ護衛の内の二人が離れる。代役が務まるのは、長官か、そのすぐ下の二位に甘んじている魔導師くらいだろう。
「否定もしないがな。……信用はされているようだ、その事だけでも受け入れたらどうだ」
「目に見えないものは信じない主義」
「魔法使いが言う台詞か?」
「だからだろ。霊だとか魂とかを魔力やら氣と同列に語るのは違うっつってんだ」
 捻くれている、とは、すぐ後ろで聞いていたエクサが笑ったようだった。セオラスは聞かなかった事にしたらしい、先導はゼルフィアに任せて、南棟に繋がる長い階段へと迷いなく足を進めるまま。早朝、しかも市場に並ぶ店々も開く前となれば人気は皆無に等しく、家畜も静まっている。一つの都市と言うには静かすぎる中でも、樹に面した道に差し掛かれば、そこには幾つかの人影。
 隊商が来ていたかと横目にしながら目的の路地に向かい、鍵を使って扉を開ける。最後尾のアートゥスが最後に閉じると同時に声を上げた。
「ついてきてる」
「朝っぱらが活動時間だな、だから昼日中の発見が多いわけか……流石に黒服と分かれば襲ってくるでもないらしいが」
 ゼルフィアが言えば、エクサとアートゥスがそれに首肯する。一度視線を落とすような仕草を見せたセオラスがどうするかと思案するようなエクサに身体を向けた。
「エクサ、ちょっと預ける」
「なんだ?」
「様子見ってか、偵察してくるわ。話聞く限り相手も魔法使いが居るみたいだし、警備隊にも知らせてくる」
「……魔法犯罪は俺達の手の出せる範囲じゃないぞ?」
「だから偵察と伝達だけ。先戻っててくれ、俺もすぐ戻るから」
 言って、両腕で抱えていた紫銀をエクサの腕に押し付けるように明け渡して、黒いローブとも違う外套のフードを目深に被る。そのまま扉の方向に一歩踏み出したその姿が薄れて消えて、見送ったエクサは嘆息していた。
「あいつもこうだから……」
「だな。……行くか、入っては来れないだろうけど、目を付けられたなら時間の問題だ」
 言うのは二重の意味で。黒服といえどあからさまに未成年となれば標的にもなりうるだろうというそれと、向かった黒服が動いたならという意味と。
「……クロウィルが居れば、クロウィルがやる分、居ないと、こういう役回り、だよな」
「だな。揃って几帳面だ」
 言うエクサが腕の中で完全に意識を手放してしまっているその身体を抱え直して、長い螺旋階段に足を向ける。先を行くゼルフィアの背を追いかけるように段を登りながら、時折足元を気にしてくれるのか振り返りながらのそれには有り難いと思う。常に灯りが灯されているここでも、腕に一人を抱えた状態では足元も見えないから段は怖い。心持ち慎重にというそれも察されていたのか、急かされる事も無く向かった扉の方向から開く音。軽快に駆け下りてくる青年姿は、鋼色に蒼い瞳の。
「コウ? どうした」
「これを、忘れて行ったから」
 一段高くから差し出されたのは、片方だけのピアス。
「魔法薬は、使っていたが、意識のはっきりしていなかったのならすぐに効果も割れてしまう。……俺も呼んでくれれば」
「お前が厩舎近付くと馬が怖がるからなぁ……」
「……ヴァンはなんとも無いのに……」
 青年の姿を象ったコウは不満そうに呟く。それには苦笑するのが多勢で、その実あの老婆は黒服の中では知られた存在になっているから言う理由もわかるということで、だからこそ構成であるコウも受け容れられやすかったのだと、そう知った時の『妖精』は多少不機嫌だったのだが。使役者曰く「気構えてた分をどう立て直したら良いのかわからないからすねてるだけ」だそうだから、生真面目な白服以外はそういうものとして受け取っている。
「で、……どうすれば良いんだ?」
「俺は、しばらくは外に人間が居るから、いつもの方じゃないといけない。から、フィレンスかクロウィルにと思ったら近付けないし、中にはもう外の人が居るから迂闊にこの姿でも子供でもいるわけにもいかないし……」
「ああ……ただここだと面倒だな、薄暗くてどうもな。貸してくれるか、ディナなりに頼るからお前はフェルの傍に」
「わかった」
 ゼルフィアが差し出した手に紅の雫型をしたそれが転がって、すぐ後には青炎が巻いたと思えば抱えられたフェルの胸元にぺったりと寝そべっていた。なんとなく微笑ましく思えて小さく表情に出しながらも先を行ってゼルフィアが開いたまま抑えてくれた扉をくぐる。協会の中はすでに灯りもいつもの通りに灯されていて、厨房へと向かえばそこにもいつもの一人。
「おはよう、皆。見送りは大丈夫?」
「ああ。一人帰り道で寝落ちた上に一人は寄り道してるが」
「あら」
 エクサが答えたそれには、予想通りに朝食の用意を進めていたディナが苦笑する。
「早い時間なのに無理するから。で、寝かしておく事にしたのね?」
「だな。ゼルフィア、そこ椅子寄せてくれるか」
 声を向ければ、言われた彼はすぐに動いてくれる。それを横目に腕に抱えた一人の様子を伺えば、声に眼を醒ます様子も無いとおもってそちらに足を向けたエクサの、その背後で扉の開く音。あら、と声を上げたのは、扉を開いた方だった。
「中々頑張ったと思ったのだけれど、皆早いわね」
「十分早い方よ。おはようクウェリス、エーフェはどうしたの? 放置?」
「不必要な徹夜してたみたいだからベッドに叩き込んで来たわ」
「……何やってんのかしらあの工学師」
「歳を考えないって無謀ね」
「皮肉かエルシャリス……」
 長椅子を二つ繋げ終えたゼルフィアが言えば、ふふと笑うのみ。そのまま杖をたよりに声の方に歩み寄って来るのには、流石に早朝から使い魔を頼るでもないかと見て取って素直に手を貸しに行く。その間にフェルを横にしたエクサはディナの方へと寄っていた。
「起きる前に手を貸してくれ」
「ん、何?」
「ゼルフィアが持ってるのを付けてやってほしい。魔法具とはいえピアスはな、手が出せない」
「……そういえば行く黒の中で女なのってフェルとクウェリスだけなのね?」
「そうなんだよな。手伝う、何しておけば良い?」
「お湯が沸いたら麺入れて茹でておいてくれるかしら。とりあえず軽いの作っちゃうわ、朝食までも時間があるし」
「了解」
 言いながら時計を見やる。まだ市場も開かないほど早い時間かと窓を見やれば、確かに薄暗さはそのままだった。




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