この任務に随行する官吏も、それなりの数になる。その彼らの後ろに続いて転移陣の置かれたいつもの扉を潜ろうとした瞬間に、肩の上の鋼が動くのが分かった。フードを、と脳裏に聴こえた声に素直に従う。風に舞い上がってしまわないよう、視界を遮ってしまわないように垂れ下げた二つの房飾りを押さえながら扉を押し開いて足を踏み入れれば、一歩入ったそこは普段とは全く違った空間に様変わりしていた。
「……これ……」
「特殊転移陣。大人数用、だな」
 呟きに返す声が耳に入ってきて、聞こえた方へと眼を向ければ、薄暗い広い空間、冷たい石の床に腰を下ろしたセオラスが、官吏達の合間に見えた。フェルは首を傾げながら最後の一人が扉を潜ったのを見てから後ろ手に扉を閉める。
「あれ、……こんな所に居たんです?」
「居たんです。陣の調整な、ここは学院の地下の陣」
「……いつもと同じ所に来たと思うんですけど」
「構成魔法って便利なのね」
 に、と笑ってみせるセオラスに、肩の上のコウがぎゅ、と濁った声を漏らす。やはり多少思うものがあるらしいが、となんとなく微笑ましく思って鋼を腕に抱え直して撫でているうちに、最後尾のゼルフィアが蒼青の方へと足を向けていた。
「何をしていたんだ、朝には」
「ちょっとしたお知らせをな。今は陣の世話」
「ああ……あまり長官を困らせるなよ」
「ヴァルディアが困ってるところ眺めるのくっそ楽しくない?」
「それ楽しんでるの知れたら面白可笑しく転がされますよ……?」
 しかもありとあらゆる手を使って。フェルが知る事例はとある侯爵がとある公爵家長兄からの全力の嫌がらせに屈したり、紅軍のとある将軍が神殿から事実上破門されたに等しい扱いを受けていたり、だ。そしてその背後には常にあの黄金が在るわけだが、それを明言する勇気のある者はいない。彼自身よりも彼に協力するであろう勢力が、あれは本当に恐ろしいのだ。なんせ偶然としか思えない出来事の連続によって『仕方なく』あるいは『止むを得ず』当人にとって致命的な処分が下されることになるのだから。セオラスが首をかしげるだけの反応なのにはただ仄温い表情を浮かべるだけに留める。
「あいつが面白可笑しく転がす相手ってかなり限られそうだけどなぁ。まあいいか、そっち準備大丈夫か?」
「私は大丈夫です。ゼルフィアさんも」
「ああ。花が乾かないうちは万全だ。エクサが長官と学院に行ってるが、それだけだな。……エクサとセオラス、お前と俺で、黒だけで数えると四人か。加えてエイフィエとクウェリスが居るなら、戦力としては充分な方だが」
 花の花弁がまばらに散って消えていく中で言いながら、ゼルフィアが見やった部屋の端では官吏達が何かを話し合っていた。視線を追って見えたそれに何をしているのだろう、と思うだけに留めて、フェルは黒に眼を戻す。
「充分なんです?」
「『異種』相手にはな。人相手は違うのか?」
「対人は人海戦術が出来ちゃうので、防衛も基本は人海戦術なんですよね。本当に守らなきゃってところは多数精鋭ですし」
「ああ、成る程な。そう比べると『異種』の方が些か単純か」
「余程の高位とかでない限り罠とか考えないでいいもんな、『異種』は」
 セオラスの立ち上がりながらのそれには揃って頷いているうちに、背後の扉が開く音がして振り返る。エクサとヴァルディア、そして臙脂が見えたと思った時には勝手に肩に力が入っていて、腕の中でコウが小さく鳴き声を上げる。すぐにセオラスが手招いてくれたのにほっとしてそちらに駆け寄れば、臙脂に面する方にはエクサが立ってくれた。すぐに長官の声。
「準備は?」
「完了してます」
「万端」
「右に同じ。エクサ、クウェリスどうした?」
「エーフェを連れてくる、だと」
 もしかしてまだ寝てんのかあいつ、とはゼルフィアが苦々しくつぶやくが、セオラスは笑っていた。
「まあそういう奴だよなあいつ。俺よっか不良だぜ?」
 言いながらフード姿へと近づいていくセオラスに長官はただ息を吐いて、後ろでまごついている学生達に中へと促す。同時にセオラスとエクサが壁になってくれるのにはなんとなくそこに寄って半身を隠すようにしながら、フェルはコウの耳を軽く引っ張った。ふわふわしていて、それなのにしっかりとした羽毛のような毛並みは、実は鱗と甲殻の端から柔らかく伸びるものなのだと、コウが鱗一つをエーフェに提供しながら言っていた。研究費の代わりになるらしい。
 ――気まずい、か?
 ――……少しは。
 ――あまり気にしなくて良い、と思う。魔導師だ、とは思われている、みたいだから。
「セオラス、陣は?」
「たぶん大丈夫。使い魔多いから大きくはしといた」
「良し。詳細を伝達する、学生も聞いておくように」
 金が振り返ってのそれには、はい、と応える声が一斉に上がる。次いで長官から差し出されたのは綴じられた書類で、一番にと開くのは地形図。その横にたった一言『脅威度不明』と大きく書かれた下に、先遣隊によって確認された『異種』の名がただひたすらに羅列されていく一枚を並べる。
「結界が予定より多少拡がった。内在する『異種』の種別は不明、確認された最高位は『銀狐』だが、先遣隊の偵察に対して敵意は見せなかった。逃げるものは逃せ、結界解消後にはまた周囲の『異種』が残骸を目当てに集まってくる。紫旗が士官学校の学校生を連れて掃討を行う」
 フェルは聞きながら左手を持ち上げる。髪を耳に掛ける仕草の合間に声が聞こえた。
《陛下の采配だ。第一の指揮で待機要員を含めて回すことになってる。学生に死者は出さない、と陛下が確約なさった》
 では神殿にも通されて承認された話か、と、そのまま手を下ろす。ちらと向いた長官の視線には下ろす指先で『問題ない』を返す。エクサが少し反応を見せた程度で学生達が気づいた様子は当然ない。長官の話は淀みなく続く。
「地形は書類で確認しろ。標準の森林地帯、水源はない。水棲『異種』は無いが氷に転化しているかもしれないな」
「湿地ではない?」
「調査の上では湿地、沼地は確認されていない。分布と過去事例から地下棲の『異種』は少ないと見る。拠点は結界の最大領域からさほど離れていない位置に作る、目視可能な距離だ。移動に不安は少ないな」
「結界の中はどうなってます?」
「作り終えてから三日経ったからな。蠱毒状態だろう」
 軽く言うよな、とゼルフィアが呟く。若干幻花の元気が無くなったように見える。セオラスは楽しそうだった。
「新種作るのに最適だよな。協会がやることじゃないっての」
「軍に言え。行動予定は最長三十時間、結界が任務開始時間から三十五時間の経過で自動解消する。開始時刻は今夜零時。結界の構成は円状範囲の内部に四重、内に向かうほど振るいにかけられた高位が多いが、その合計五層だな。白黒の仕事は内三層、四層、五層の中位以上の『異種』の討伐、及び五層内に存在する指定『異種』の討伐。黒魔石、補助触媒は携行品に入っているから気にせず使え」
 思わず黒が眼を瞬いて長官を見やり、学生の中からも静かにざわめく音が聞こえる。フェルは瞬きを繰り返した後に首を傾げた。
「黒魔石どこから盗んできたんです? どこに行っても在庫切れなのに」
「軍部の将軍達を丁寧に脅した上でアイラーンの力を多少借りただけで手に入った置き土産だ。紅軍の収支は年明けから赤字だな」
 また何かしたのかこの長官。思っても何度か加担してしまっているフェルはただ地図のあちこちに眼を動かしていく作業に戻った。拠点となるのは、問題の結界とはさほど離れてもいない場所にこれも新たに結界を張り、簡単で小規模の基地を作る。そして巨大な、非常に堅固な結界によってこの国の西側の『異種』を囲い込み封じ込めたのは、人間の少ない未開拓の土地。ゼルフィアが頷いて、それを合図に黒同士で顔を見合わせた。
「範囲が狭い方に行きたい、相方が速決型だし、五層に入る。それに高位は食わず嫌いをするからな、俺達ならまだ安全だ。エクサ、お前達もその方が良いだろ」
「……病み上がりなんだがなぁ俺は。わかった」
「なら四層はフェル達で頼むわ。俺とクロウィルは個別慣れてるから、三層で外周と内部とで分断に回る。外側二つは学生だろ?」
「そうなるな。……ああ、そうだ、資料には載せなかったが、朗報だ」
「……本当にそれ喜べる話か?」
「黒服にはいいんじゃないか。森は燃やしても良い」
 瞬間にエクサとセオラスが拳を突き合わせ、ゼルフィアが顔を覆い、フェルはもう一度地形図を開いてざっと眼を巡らせてから幻花の萎れた彼を見上げた。
「ゼルフィアさん、近くに川も泉もないですけど大丈夫です? 焼畑したら花乾いちゃいません?」
「あっても凍ってるだろこの季節は……そういうのは歓迎しない、それに花が乾く乾かない以前に五層の四人が焼け死ぬだろ、焼畑は」
「西の土地で焼畑って相当な皮肉じゃねえの、雑草しか生きらんねえ土ばっかりなのに」
 割り込んだ声に眼を向ければ、黒い肩掛けのクロークをローブに留めながらの工学師。その後ろで扉を閉じたクウェリスが、全く、と呟きながらも常の笑みは崩さずに杖を床に突いた。
「五分前になるまで動かないんだから」
「時間に間に合いえば規則遵守だろ。時間内時間内」
「残念ながら集合時間外だ。報酬は天引きしておく、国庫に貢献しろ」
 言われたエーフェは即座にもう一人を向いた。杖を突きながら、その必要も無さそうにしっかりとした足取りで黒の中に合流する彼女に向かって口を開く。
「クーウェ、一蓮托生な」
「貴方を殺してでも阻止するわ?」
「……とりあえず話を進めないか長官、クラリスがいないと抑止力が足りなさすぎる」
「やってくれて良いぞ、歯止め役」
「断る。とりあえず、白黒はその程度か?」
「そうだな。ひとまずは以上だ、変化があれば都度伝達する。派手にやって良し」
 了解、という声が人数分返る。それで、と黄金が次に向いたのは臙脂色の方だった。
「学生が入れるのは二層目までだ。三層以降には入るな、学生が生きて帰れる場所にはなっていない。基本は隊、五人編成の班で行動し一人でも負傷した時点で拠点に戻れ。現地で班員の調整を行う場合も考えられる。一、二層は私と、そこの二人が支援する他に、もう一人白が入る」
 示されたのはエーフェとクウェリスの二人。もう一人の白、とは、クラリスの事だ。そういえばシェリンとフィオナはどう動くのだろうと疑念が浮かんだ時には話は先に進んでいた。
「班長には磁針を持たせている、手に負えない場合は針の示す方向へ逃げろ。良いな」
 流れるように言い切ったヴァルディアのそれに、学生達も即座にはい、と声をあげる。更に疑念をそのまま仕草に出したフェルは、すぐそばにまで近づいてきていたクウェリスの横によって袖を軽く引けば、すぐに灰色が揺れて、帽子を片手で抑えたクウェリスが少し腰を屈めてくれる。
「どうかした、フェル?」
「前は、後方って……?」
「ええ、後方支援よ。現場の結界に少し細工をしたり、遠隔魔法だったり。私自身が拠点から出る事はないわ、大丈夫」
 良かった、と胸を撫で下ろせば、心配性、とフードの上から軽く頭を突かれる。どうしても不安が拭えない、と声に出さないままフードを押さえつつ目線だけ動かして臙脂の方を見やれば、一人と眼が合った、そのように感じた。暗い空間だ、その上こちらは目元を隠していれば視線の有無は判別できないだろうが。例の彼、オルディユールはこちらに横目を向けているだけで、使い魔の補助でだろう、気づいたらしいクウェリスの囁き。
「何かあったのかしら」
「訓練中の評価で、そのままだと人殺しになるけど良いのか、って訊いただけなんですけども……」
「皆がみんな、貴女みたいに波乱の人生送ってるわけじゃないもの。解らない、気付けない、で仕方ないの。一度経験しないとね」
「……クウェリスさんは?」
「私にそういう道徳心があったら、きっと盲目にはならなかったわ」
 フェルは、ただなんのことだろうかと疑問符を浮かべた。囁きが聞こえる距離で事情を知るエーフェは欠伸を噛み殺して息をつく。自虐好きだよな、とはすれ違いざまに呟いて、そのまま陣の世話に戻っていたセオラスの方へと足を向けた。
「セオラス、許容なるだけ多くしておいてくれ」
「てっめこの後俺最前線なんだかんな。水際の仕事の辛さわかってんのか元黒」
「へえ。広域陣補正具が三に禁忌補助七」
「お任せ下さい工学師様」
 溜息の音。クウェリスに資料を押し付けたヴァルディアが取引を成立させたらしい二人を見た。
「不法行為を堂々と行うなそこの二人。一応王都の最大組織の人間も居る前だ、自重しろ」
 蒼青と紅桃の眼が瞬時にこちらを向いたのを見返して、フェルは曖昧に笑みを浮かべた。長官、今の絶対わざとだ。案の定学生が密かにざわめくのにはもういいやと思い切ったことにして、口を開いた。
「……二人とも誓約書に署名してましたよね?」
「同僚力でなんとか」
「初耳ですそんな力。見逃したら私が怒られて連座で怒られた長官が私に怒るからやです」
「当然だな」
「なので『禁忌魔法は指定任務外でその構築をいかなる媒体にも表示しない』の契約は守ってください。あと私も欲しいです禁忌補助具」
「なんでお前が禁忌所持資格持ってるんだよ……!!」
 頭を抱えたのはこの中で唯一常識人と冠せられるゼルフィアだった。よっしゃ、と声を上げてさっさと陣に向き直った二人と、えへ、とはにかんで身体の前で手を組み合わせたフェルを見て笑ったのはクウェリスで、手を伸ばしたのはエクサだった。目線より下にあるフードの中に手を突っ込んでどこか乱雑に撫でるそれに思わず声が上がる。
「えっ、わっ、」
「お前やっぱりなんかずれてるよな」
「え、あ、ちょっと待ってくださいそれ髪崩れる……!」
「エクサ……」
「本人が慣れてるから良いだろ。……成年式やったら言えよ……?」
「黒服がやってる暇ありますかね成年式……」
 ゼルフィアの声に、エクサはその意味を明確に受け取って手は引きつつ、肩をすくめてみせる。その後半の小声で言われた言葉にはフェルは同じように小さくして訊き返していた。苦言を飲み込んだらしいゼルフィアの様子がなんとなく背後に見える気がして振り返りはしない。かわりに自分が口にした疑問を脳裏に反芻する。成年式は個人でやるもので、色々と細々とした規則に従って行う通過儀礼だ。が、準備を含めれば最低で三日は必要で、そのあとにも何日も儀式が続く。もちろん略式であればそれに限らないが。
 話からは外れて陣に向き合っていた二人が立ち上がったのを合図にそちらに目を向ければ、暗い中で静かなままだった陣は光を帯び始めていた。
「あとは向こうで感応陣が敷かれれば自動で繋がる。学生は離れておけよ、半端な時に触ると忘れ物するからな」
「……忘れ物、ですか?」
「心臓とか頭とか」
 臙脂の中から上がった疑問への返答には、途端に臙脂達がざ、と音を立てて後退る。学院でも転移陣教えたら、という工学師には学長が学院に肉塊溜まりを作るのもな、と返していた。確かこういう転移陣の類も技師がいたはず、と肩を寄せながら思った。じっとしていると寒い。陣が反応を示さないという事は、白服達はまだあちらについていないのか、監視哨の確保や準備に手間取っているのだろうか。腕の中で鋼が動くのが伝わってくる。
 ――心配、か?
 ――です、ね。別行動って、稀で。
 ――……精霊達が静かだから、無事、だと、思う。何かあれば、フィレンス、の、従僕達が黙っていない、だろうから。
 言われて、それで視線を上げた。一度意識して瞬きして広い空間を見渡せば、宙を泳ぐ種々の精霊達は普段通りに気ままに過ごして居るようだった。そのまま視線を滑らせれば、ゼルフィアの周囲には木精霊達が、エクサの肩や足元には紫の蝶や草花が見えて、ヴァルディアの周囲は精霊達の光が強すぎて何がなんだか解らない。確かにコウのいうようにいつも通りかとみてもう一度瞬きをして精霊眼を閉じた。今日は、これから長い時間、魔力や氣に神経を遣わなければならないから、最低限だけを残して閉じてしまう。何かあればと伝えれば、鋼はきゅると鳴いて返してくれた。臙脂の何人かの視線が向けられるのには気付いていないふりで無視して小さく息を零した。
 従僕精霊は、主には精霊眼を持たない人間に、なんらかの理由によって依る精霊達の事だ。常の彼らとは違って決めた人間が死ぬまでその傍を離れる事はない。フィレンスの場合は『王の子』だからだろうが、だからこそ高位精霊が多い。彼らは依り付いた人間に何事かあれば、それを他の人間に伝えることもある。多くの人にとっては虫の知らせの範疇だが、魔法使いであればその意志をほぼ完全に理解することもできる。従僕達もそれは知っているのだから、物理的な距離や隔てに左右されない彼らから知らされていないのなら、そういうことだ。そうだと理解はしているが。
「……どうした?」
「……ちょっと落ち着かなくて……」
「ああ……まあ、大丈夫だろう。曲がりなりにも最前線要員ばかりだしな」
「……なんで私その中に……」
「査定だ」
 声と同時にぱす、と何かが頭にぶつけられる。振り返れば黒い衣装を腕に抱えただけの長官に何枚かの紙を綴じた書類を差し出された。
「査定には本来二人の他に査定官が付くのだがな、丁度いい」
「絶対嫌がらせ……何です、これ?」
「規定と評価基準、結果が出るまでの云々と階級との関連だ。馬鹿をすると十二に上がる可能性がある」
「……十二法師の階級資格更新って、黒の間は免除ですよね?」
「その代わりに学会に強制参加させられる。これは長官か、魔法院職員以外は全員対象だ。セオラスですら行っているからな」
「あ、はい。やめときます」
「そうしろ。基準には目を通しておけ。細かいことばかりで減点されて再査定送りになるやつが稀にいる」
「わかりました」
 言われた言葉にはすぐに返して、そして書類の顔に目を落とす。暗くて文字がよく見えないのを仕方ないと今は措いて、綺麗に畳んで腰袋に入れておく。その袋の据わりを直して、まだだろうかと陣に眼を写した。
 ――通れるだろうか。
 聞こえてきたそれに、あ、と声を零した。エクサがどうした、と訊いてくるのには何でもないと今は返して、陣から離れてセオラスと話しているエーフェの袖を軽く引っ張る。ん、と声をあげて振り返った彼に口元に手を当てて見せれば、すぐに腰を屈めて耳を寄せてくれた。
「『妖精』達のって、どういう許容度になってます……?」
 転移陣で運べるものには許容度が設定されている。標準的な人間男性を一として、馬であれば三、馬車であれば十といったように数字で決められているのだが、転移陣で一度に運べるのは陣が持つ許容度内に収まる数字までだ。もし許容を超えてしまった場合には先ほどエーフェが言っていたような『忘れ物』が発生する。魔法は基本的に許容度は零として数えられるのだが、使い魔には箇々別々に設定される。それを言えば、エーフェはそう言えば、と言わんばかりの顔をした。
「あーそれな。うん、本当のとこな」
「?」
「不明なんだわ」
 思わず手が伸びてエーフェの首を掴んでいた。彼が盛大に呻いてから、フェルは、あ、と声をあげる。喉首を握ったまま。
「すみません、つい」
「あやまるまえにはなせ」
「そのままで良いわよフェル、人なんてどうせ死ぬの、気にしなくて良いわ」
「黒の存在意義って人類に材を遺す事だろ!?」
「エーフェさんもう特大の残してる気がしますしそもそも今黒じゃないですよね」
「あのね、力ゆるめてくれるのは嬉しいんだけど、手ェはなせフェル」
「エーフェさんって遊びやすいんですね」
 多少潰れた声で言われたそれにはえへ、と笑いながら言う。紅が細められた。
「あれお前そういうのだっけ? というか仮に教師に敬意とかは」
 ヴァルディアを見る。黄金は一度紅桃を見て、そしてもう一度向いた彼が言う。
「緊急要員は黒ではない、私が出す書類も少ない。殺って良し」
「いやいやいやいや待てって」
「一思いの方が良いわ、フェル。言う通り遺産は残しているのだから思い残しもないでしょうエーフェ?」
「あるから!!」
「すみません先生、生徒は恩人と上司に従います」
「一般常識!!」
 叫びと同時に首を掴んでいた手が振り払われる。本気で絞めていたわけではないからそれほどでも、とフェルが思っているのも知らぬが花でぜい、と喘いだ紅桃が三者を睨んで口を開いた。
「テメェらな」
「だって暇なんだもの」
「やる事ないですし」
「待つだけで暇潰しも無いのは性に合わん」
「お前ら気ィ合うとシャレんなんねぇな!!」
「洒落で生きてないもの」
「お前は本当冗談なんねえから」
 声の調子が落とされてのエーフェのそれにクウェリスを見れば、眼を閉じたままの彼女はこちらに向かって小指を唇に当てて笑んでみせる。だめかー、と小声で落として口元で両手の指を合わせる、それらの一連を後ろで見ていたゼルフィアが溜息を吐き出した。
「クラリスが必要だ」
「今はお前が適任、と言うより、お前にしか代役は務まらないだろうな」
「エクサ……お前も少しは」
「子供がはしゃいでるだけだ。気にする事か?」
 言えば幻花が完全に閉じてしまったらしい彼は腕組みに変えて唸る。彼はこの蒼樹には珍しい『毒されて』いない側の一人だ。緊張感のかけらもない黒達の様子と同調している長官のそれを見て、学生達が思い違いをするのでは、と危惧しているのだろうが。ほんの少し距離を詰めて声を落とす。
「今から気を張っていてはな。特に新人が朝から落ち着かない」
「それは判るが……」
「行動開始は深夜からだからな、学生の方の気抜きも必要になる。……お前も分かり易いんだから花枯らすな」
「枯れてたら一大事だから水掛けてくれ。あるいは水に沈めておいてくれ。……気をつける」
 生真面目がたまに傷だと、気性を思えば当然のそれにも苦笑が浮かぶ。さて、と時計を取り出そうとローブの中を探るのと、ヴァルディアの来た、という声はほぼ同時だった。時刻を示す盤面を見る。一日の半、十二時。
「……白の方が真面目が過ぎるな」
 定刻通りの活性だと、強い力を放つ人を見ながら時計を戻した。




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