暖炉に薪を新しく投げ入れれば、灰と火の粉とともに一気に熱が舞い上がる。火掻き棒でなおざりに整えてからやれと円座に戻れば、鋼色の山が深呼吸でもしたのか大きく羽毛のような体毛を膨らませて、そしてゆっくりと元通りに落ち着いていく。垂らされた翼の下では白黒の一対が仲良く腕を絡めて横になって目を閉じていて、その反対側では首元に埋もれるように寄りかかった白服が一人、背の方では羽毛に完全に倒れ伏す形でうつ伏せになったまま動かない黒服と、くるりと巻かれた長くふんわりとした尾を枕にした赤い特徴的な耳が、時折ひくひくと動いているのが見える。順に、フェルとフィレンス、クロウィル、セオラス、ディエリスである。
「……苦しくはないのか?」
『セオラスだけ振り落としたい』
 問いかければ、白黒以外には誰もいないからと声を許可された鋼が応えた。今は円形の広い部屋の三分の一を受ける程度の巨躯を、数人の寝台がわりに差し出すように丸めている。絨毯の上に横になって翼を掛布にした二人が特等席で、あとの二人はその様子を見てコウに許可を得て目をつむり、最後の一人は勝手によじ登って何に疲れたのか俯せになって即座に寝息を立てていた。そのセオラスの下敷きになっている形のコウの返答には、ヴァルディアは目を瞬かせた。
「できないのか」
『フェルが起きそうで……』
 ヴァルディアはただ、そうか、とだけ小さく呟いた。流石の竜とはいえど身体の大部分を動かさず、使役者を刺激する事もなく、特定の部位だけを操作してどうこうというのは出来ないらしい。
 時刻にして午後三時頃に、現状においては特に想定されていた危険もなく結界も安定した状況だということが確定し、それを以って白黒に下された命令は体力回復と温存だった。早朝からの行動となる白服ともなれば、いくら最前線に慣れた人員でも疲労は覚える。張らなくて良い気は切ってしまえと言えば、その時間を睡眠に充てる事は想像通りではあったのだが。
「……若者の方が緊張は強い様子ですね」
 眠らなかった白服も当然この暖炉の熱を求めて部屋の中に留まっているが、その影はフィオナとクラリスの二者だけに留まっている。鋼の羽毛に吸収されなかった数人も、今頃上の階で長椅子に薄い毛布を抱き込んで、武装も簡易に解いて寝んでいることだろう。
「お前は?」
「私は、微笑ましいなぁ、とばかり。フィレンスが気を負いすぎているのが気にかかる程度で、私自身のことは、至って普段通りです」
「久々の多人数だからな、今更どうすれば良いのかで勝手に混乱しているだけだろう」
 言いながら不意に思い立って、立ち上がる。憚って低く抑えた会話はちょうど考え込むようにしたフィオナの仕草を置いて一時中断し、ヴァルディアは天板の大きなテーブルの上から空になった薬缶を持ち上げる。壁際に置かれていた水瓶から冷たい水を移して、暖炉の火の上に設置された鉄網の上に据える。火勢は強く保たれているから沸騰までにそう時間はかからないだろう、とはいえ一時的にでも人が失せた影響で、人の生活に近い精霊は数を減らしてしまっている。火の精霊はまさにだ、彼らの助力は見込めそうにはないかと、火に寄ってはその中に身を踊らせる数体の小さい精霊を見ながら思う。元のように円座に腰を落ち着ければ、横からは苦笑の音が聞こえた。
「なかなか、経験は新鮮な心地を奪いますね。そうですねぇ、気まずさもあるでしょうにねぇ」
「猫が上手いのは考えものだな」
「それは、長官にも言えることでは?」
「私の猫は確かにそれなりだが、本心を隠さない程度には正直な猫だ」
『……猫?』
「猫かぶり、って言うんですよ。人の前で自分を取り繕ったり、本心でない態度をわざと相手に見せることです」
『……猫……かぶりもの……猫鍋……?』
「……お前は、一応は人間達の知識も持っているんだよな?」
『……申し訳ない。いろんな知識、記憶が、ありすぎて、まだ、整理、が、できてない……』
「知っているという事と、知る事を扱うのでは別なものですからねぇ。人間は眠っている間に記憶の整理をしているとも言いますが、竜はどうなのでしょうね」
『眠りは不可欠なもの、では、ないから……どう、なのだろうな。眼を閉じることは多い、と、思うが。眠ったことは、まだ、一度も』
「支障がなさそうなら確かめてみるのも手かもしれないな」
『そう、だろうか?』
「使い魔が休息すればその分使役者の負う恒常的な魔力消費が抑えられる。お前の主は魔力の保有値が高いから下手なことは起こさないだろうが、可能なら出来るようにしていた方が、いざという時には役に立つかもしれないな」
 ぐる、と悩むように唸った鋼がほんの少し持ち上げていた首をぱたりと絨毯の上に落とす。ヴァルディアは手の届く位置にまで伸ばされて来た鼻先を片手で撫でてやり、その首元に寄りかかった白服が身じろぎもしないのには流石だと感心した。紫旗の教育だろう、休める時にはどんな時どんな場所だろうと休むことができてしまう。危機を知らせる声や音にはすぐに身を起こすくせに、そうでもないものにはひどく鈍くなるまでしっかり身体を休めているのだから器用だと思う。尾を枕にしたディエリスと背によじ登ってそのまま力尽きたもう一人の方は、単に一度意識を手放したら取り戻すのに中々時間がかかるだけの話なので気にしない。
『……魔法使い、が、色々あるのは知っていて請けた、が、』
 翼の中に届かないようにか、口先だけで声を作っているかのような囁きに近かった。あるいは独語かと視線を向けるだけにとどめれば、鋼色をした竜はもう一度羽毛を膨らませた。
『本当に、色々、あるんだ、な……』
 そのまま蒼穹の色をした瞳が伏せられるのを見て、随分素直な魔法生物もいたものだと小さく笑ってしまう。それ以上はそこには触れないで薬缶の様子に目を移せば、そういえばという声がまた横から向けられた。不快ではないからと無言で待てば、わずかの間言葉を探すかのような沈黙を挟んでフィオナが言う。
「猫といえば、ですが。あの子猫達ですが、どうやら談話室で飼う、という事にまとまった様子ですから、お伝えしておきますね」
「……今少し溜めた理由は?」
「約一名、猫苦手さんがいる事を思いまして、長官にお伝えする事で確定事項になってしまいそうなもので、少し」
 それに、と振り返って眼を向ける。二人で一枚の毛布を仲良く分け合っている片方、銀色はどうやら深く寝入っているらしいのが見て取れた。もう一人の白い袖と自分の黒い袖を絡めているのに、その黒の方は身体を丸く小さくまとめてしまっている。
「……あれなら聞こえていないから良いだろう。で?」
「夜は持ち回り、みんなで部屋にというのまで決まっています、躾も上手い数人が見ていますから粗相もないかと」
「ソファと絨毯と壁紙が害を被らなければ良い」
「それも考えなくてはですねえ、爪とぎやら何やら……。それで、加えてなのですが、白っこと茶っこの名前は決まりました」
「灰色のは?」
「灰っこは、どうやら心に決めた人がいる様子なので、どうせならその人に名付けてもらおうかと思っておりまして、未定です」
 フィオナを見れば、冷えた紅茶のカップを両手で支えた彼女は振り返って鋼の翼の下を見ているようだった。一瞬疑問符を浮かべかけて、だがそれを打ち消しての合点の方が早かった。片膝を抱えて、その上に頬杖を突く。
「……そうか」
「ふふ。動物に好かれやすいのですね、フェルさんも」
「……そうらしいな」
 多少からかう色の見えた声には逆らわずにそう言っておいた。――何も、蒼樹は昔から捨て猫やらを拾ってくる人間がいたわけではない。変わったのは『一昔前』の事でしかない。
「ふふふ。個人的には梟事件以来です」
「……伝書鳩ならどこにでもいるだろ」
「個人で伝書梟なんて、見ませんよ。それに魔法使いが小型から中型動物を手篭めにしているのは、おとぎ話のようで素敵です」
「嫌味か……」
「最初に申し上げましたよ、『微笑ましいばかりだ』と」
 そこまで加味して聞いているわけないだろうが、とは、小声をさらに小さく変えた文句だった。フィオナはふふと笑うばかりで、全くこたえた様子はない。
 フィオナ・カトレットは不思議な騎士だ、と、多少でも関係した騎士達は言い、多少でも関係した魔導師達は、よく見ているが妙な騎士だ、と口々に言う。普段は工作室で何かしらの道具開発に勤しみその成果を協会に還元しているかと思えば、協会の中のどんな小さな出来事や情報も必ず耳に入れて把握している。談話室に姿を見せることも、常連達に比べればやはりずっと回数も少ないのに、いつも常連達に遜色なく馴染んでいるし、不思議とそれを不思議とも思わせない。その上ありとあらゆる事を丁寧に把握し認識しているから、一部の所属者からは『情報屋』とまで渾名されている、そのことも彼女本人は当の昔に知っているのだろうが。
 とかくこの、全てとは言わなくとも、限りなく多くのことを『認識している』という風情を少しも崩さない騎士の言には一つひとつに少しばかり気を張るのだと、ヴァルディアは小声の文句に加えて溜息を吐き出した。疲れるというほどではない、こういったところに立ち会うのもいつもの事ではないから、嫌に思うようなことも無いが。
「フィオナは気にするものね」
 後ろから声が聞こえて、眼を向ければ白い装いのクラリスが、作業を終えたのか剣を剣帯に戻しながら円座、フィオナの横に腰を下ろした。ありがとう、と言いながらフィオナに手渡したのは何かの書き込みがされた地図らしい。
「それは?」
「今回の任務の地図に、高低差等々を書き加えたものです」
 ご覧になりますか、と受け取ったばかりのフィオナが差し出してくれる。受け取れば、確かに地図のそれだった。違うのは印刷の黒い線と文字の上から、淡い緑で様々な情報が書き加えられ、また淡色の朱で曲がりくねった輪状の線が地図全体に書き加えられていることだ。地図自体が質の良い羊皮紙に描かれて、インクの様子を見るに長い時間をかけて書き足していったものらしい。それをゆっくり眼で追ううちに、フィオナのクラリスに向けての声が聞こえていた。
「気にしていますか、私は?」
「ええ、そう見えるけれど。思う以上にこの協会、世話好きばかりだから」
「見ているだけなように思いますけれどねぇ、私は」
「確かに、貴女くらいきちんと観察している人は稀だと思うけれど。情報蒐集に時間をかける人だから、貴女は」
「クラリスには負けますよ?」
「私は、ほら。入って来る量が多いから必然的に、よ。自力で集めて整理して判断して、は、中々難しいわ。公平って大変で」
 どうしても偏見が、という言葉と同時に向けられた視線には応えない。地図に書き込まれた情報を可能な限り頭の中に刻み付ける。『異種』も考えなしではない、既に結界で囲われた中でどのように動いているのかの予測を立てる。
「……フィオナ、少し借りていいか」
「であれば、写しがございますからそちらを差し上げます」
 立ち上がったフィオナが一度自分の荷物の方へ足を向け、すぐにもう一枚を持って戻ってくる。畳み直して差し出した原本と入れ替えるように渡されたそれを床に広げて、脇に置いていた革の鞄から万年筆を取り出す。大まかに結界の範囲を青いインクで書き入れて、それから地形に目を向ける。細い川が西にかすれるように一本、元が丘陵地隊の森とあって、雪の薄い場所もあるだろう。氷氣は水氣を経由して木氣に変じやすい、森の周囲の方よりも中の雪の厚さも多少は減じるはずだ。が。
「……遠目に確認はしたが、視界は相当悪い状態だな」
「そうですね。地面が上がっている分枝が邪魔です。戦闘となれば落雪も相当ですから、何人かは生き埋めになっても不思議ではありませんね」
「想定はしている。救助班もいることだしな、あとは魔法使いたちがなんとかするだろう」
 生徒を魔道師って呼ぶ気はないのね、と横から聞こえたがこれも無視した。代わりに眼を上げてフィオナを見やる。
「こういう地図が、既に?」
「いいえ。大体の、大まかなものは王都の地理院図書施設に。これはそれの写しに、自分が行った時や、任務の特殊調査報告書から複写して調整したものです。作戦行動の策定に、騎士だけで挑戦するときには重宝しますよ」
「……趣味か?」
「はい、実利を兼ねた趣味です」
 白地図を見るとどうしても情報を詰め込みたくなって。言いながらも彼女は上品に笑ってみせる。面白い事をすると思いながら目を戻そうとした瞬間に白服二人の視線がわずかに浮いて動く。左の背に違和感、思って立ち上がったときにはクラリスが窓に駆け寄っていた。鋼に吸い込まれていた白服三人が起き上がって、そのうちの一人にはそのままでいいと手で制してクラリスに声を向ける。
「様子は」
「わかりません。不穏ですね……地下から来るかもしれません」
「下層結界は」
「退去命令も出ていましたからねぇ」
 言いながら、立ち上がったフィオナの周囲には一瞬光を弾くものが舞い上がっていた。彼女の視線は柔和なまま、別の方向を向く。
「シェリン、行きましょう」
「ああ、行こうか。長官、監視哨の結界の強化は?」
「私よりも適役がいる。フィレンス、相方を起こしておいてくれ」
「また難しい事言う……」
「暴走を止められるのもお前だけだ。学生たちを見に行く、防衛指揮はクラリスに任せる」
「了解。黒は出なくていいわ、白だけで抑えられる程度に抑えるから」
「……それ無茶って言わないか?」
「何か言ったかしら十階梯」
「何もございません十四階梯様……」
 クロウィルの声を聞きながら、階段を駆け下りる。すぐ下の階は空、その下には白服たちの騎馬が繋がれている。それを更に降りれば、既に数人が異変に気付いたらしい空間に臙脂色たちがひしめいていた。流石に四十五人を一階には押し込みきれず、この下の階も臙脂で染まっているが、見渡した中には別の一色。まさに段を駆け上がってくるところに向かって声をあげた。
「オルエ」
「応急処置はしたが、保って三分だ。『結花』か『切書』だろうな、特に後者は地下からでも入れる」
「さすがに蒼樹ほどの結界は作れない、今でも維持のために魔力を割いてるからな」
「わかっているさ。あの小さな魔導師は?」
「休んでいる途中だったからな、機嫌も悪いだろうが任せておけば」
 いい、と、そう言い切る前に背後に気配を感じて振り返り、そして振り返った直後面前に鋼色と蒼が降って来るのが見えて思わず瞠目した。




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