「何故御身自ら迎えられた」
「天秤を迎えるにいきなり紫や銀の神を据えても意味もあるまいさ、増してあれでは振れるに振れて壊れてもという状態だろう」
 深く練られたような低い、そして僅かに掠れたような声には、そう返した。卓の上には倒れ伏した鋼色。やはり衝撃に刺激も加わって、構築が混乱してしまっているか、そう見ながらその柔らかい羽毛を撫でる。
「……よもや人がこのようなものを作り出すとはなぁ。想像でもしていたか、クシェス」
「愚問。我らはただ記録するのみ。未来が現実と変わることに抵抗など出来ますまい」
「お前はいつもそうだ。悲観的に過ぎる。私を見習え」
「漆黒は奔放であらせられる。虹の傘下としては不穏を憶えても仕方のないこと」
「可笑しな話だな。虹が漆黒に逆らうと?」
 卓の端に頬杖を突けば視界の左右には黒い髪が垂れ落ちて陰になる。耳に掻き上げて、それから鋼色の頭に手を置いた。
「それより、気になるのであれば見てくれば良いだろうに。時空はそこまで律儀だったか?」
「……我が行けば恐れようからな。座卓で様子は見ていた、あれはもう間に合わん」
「……本当に、つくづく悲観主義を返すつもりがないんだな、灰の」
「返して日和見に身を任せる理由も無し」
「虹の傘下であれば今誰が何をしようとし、何を企み、何を伏せて進んでいるかも全て分かっているだろうに」
 ゆっくりと手に意識を向ける。ばらばらになってしまった欠片を、この鋼の裡にあるものを元通りに組み直す。パズルは得意な方だ、かちりかちりと破片が秩序を取り戻す様は見ていて気分が良い。
「見てみたかったのさ」
「……天秤は知らぬでしょう」
「ああ。結局見ているだけには収まらなくてなぁ、触れて抱いてしまった。……あの子だったよ。間違いなく」
「では、やはり」
「ああ」
 最後の欠片を接ぎ合わせる瞬間は、多少なりとも緊張する。慎重に、割れてしまった硝子の細工を組み直すようにして、それで鋼がもぞりと動いたのには良しと頷いた。
「春が境となろうよ。知るか、知らぬままか、それが第一の分岐点。……黒は万能、などと、誰が言ったのか。千里眼の一つでも欲しいものだが」
「エシャル様」
「分かっているさ」
「どこを理解なされているのかと、疑問に思いますな。当代の漆黒は過小評価が過ぎる」
「それは時空神としての一認識か? それとも虹の記録に依るものか?」
「他方、『そのように皆が思っていると認識している』だけのこと。……我は座に戻ろう。天秤の子の自由が成された頃合いにお声がけをくだされば参る」
「やっぱり気にしてるじゃないか。龍神召喚の短縮法教えたのお前だったか、灰も天秤の色、やはり看過は難しいか?」
「……漆黒には愚鈍も含まれておるはずと見ておりましたがな」
「当然、全であるのであれば愚鈍もあるが、同時に聡明であることもあるだろう、それだけだ」
 もぞりと動いて、翼がぱたりと一度羽撃く。きゅう、と鳴き声には小さく笑った。
「許せよ、お前は元から言葉を持たなかった故にこちらで再現は難しい。せめてお前を作った技師がお前に古代語でも詰め込んで置いてくれれば良かったんだがな」
 言いながら頭を指先で撫でてやれば、開いた蒼穹の瞳が微睡むように瞬きながら見上げてくる。きゅる、と一度鳴いた鋼は、しかしその次の瞬間には文字通り弾かれたように跳ね飛び上がり、きゅーきゅーと甲高い声で鳴いていた。くつくつと笑う。
「安心しろな、お前をちゃんとした状態で天秤の子の許にと思ってのことだ。私はこれからあの子の様子を見てくるが、お前はどうする? 来るか?」
 言えば頬杖を突いた片腕の方に寄ってきてきゅうきゅう言い始める。微笑ましい魔法がいたものだとそれを腕に抱えあげて立ち上がってから、もう一つの椅子に腰掛けたままの老人姿――時空神クシェスを見やる。
「お前はどうする、灰の」
「天文台へ戻る。 ……何かあれば」
「ああ、遣いを遣らせる」
 やはり気にはしているのかと思いながら言って、尻尾で腕を軽く叩いて催促する鋼には笑いながら扉に向かった。廊下に出、鋼を多少乱雑に撫でながら口を開く。
「お前な。少なくとも今の神の中でも最高位なんだぞ私は。お前が天でも問題なく活動できるようにと腐心したのも私なのに、敬意とかないのか、敬意」
 言えば鋼は腕の中でつんとそっぽを向く。やはりそうだ、魔法は自身の使役者以外どうでもいい、という本質が出てきている。擦れ違う諸々の神が鋼を見るたびになんだ、という顔をし、問いかけてくるのにははぐらかして答えておく。これで何かの興味でも向けばまた天秤に攻め寄ろうとする軍勢が現れるだろう。第二波までは「黙って働け」で追い返せたが、さすがに第三波はどうなるか。来るとすれば自分ではなく紫神か銀神に行くだろうから先んじてどんな手段を使ってでもいいから追い返して仕事させておけと伝えてある。
 天は暇神に溢れている。事実だがなぁと呟きながら目当ての扉に一応の声を掛けてから開き、見えたその様子に、漆黒は眼を瞬いた。
「……また酷い有様だな」
「どうやらこれが一番落ち着くみたいで、どうしたもんかと」
 部屋中に様々な色の反物が転がっている中に、藍色の深い幅広の布をそのまま被って床に転がってしまっている様子に溢れた声に、部屋主はそれでも呆れよりも微笑ましさの強い声で返す。そうしてから振り返ったウィナの視線がこちらを向いた。
「エシャル様は、そちらの作業は?」
「終えた。思ったよりかかったな……そら」
 言いながら部屋の中へと入っていって、腕に抱えていた鋼色の体躯を床に降ろしてやる。途端に跳ね飛ぶように布がこんもりと盛り上がったそこに駆けて行くのには苦笑して、後を追って藍色の山の近くに腰を下ろす。
 紫の視線は視界に入って来た鋼を無感動に見つけて、折り曲げた身体の中へと縮こまらせていた手を伸ばしていた。きゅる、と鳴いたそれが自ら腕に捕まりに行って、子供の身体と床の隙間に潜り込んで頭を首元に擦りつけている。
 それに追いつかないまま空中を泳いだ手を握ってやる。胸元に戻してやりながら、口を開いた。
「藍色が好みか。それも深い深い夜の色だ」
「……あったかい、いろ……」
「うん、そうだな。お前は特にこの色が好きだろう、藍色はいつも傍にあって、お前の兄であり姉であり、母であり父でもある」
「……兄さん……」
「そうだ。わかるだろう? 翠の瞳をした」
「…………」
 覚醒してから時間を経るごとに、紫銀の反応は鈍化していく。言葉はかろうじて通じているが、それよりも五感と本能の方が強かった。恐怖に逃げ出そうともすれば、安堵する場所からはこうして離れなくなってしまう。
 ――魂は純だ。その人間の本質が現れると言って過言ではない。この天秤の子の場合は、微かでも刻まれた記憶の残滓がそうさせるのか、それとも生来のものなのか、身体を覆い尽くすものに全身を任せて、転寝にも満たない浅い眠りと覚醒の合間に思考を置いている。
「眠るのも恐ろしいか、天秤の。お前の見る世界は、どうやら殆どが恐怖に値するらしい、藍を見つけられたのは僥倖よな」
 言いながら藍色を何重にも被さった銀をその上から撫でる。僅かに見上げるように動いたそれには手を当てたまま顔を覗き込み、再び伸びて来た手が膝先にたわんだ黒いローブを小さく握るのが見えて、漆黒は小さく笑う。
「何だ、黒は好きか? だがいくら天秤といえどお前の衣に黒を使うのは許されぬからなあ。そこは我慢をしてくれな」
「その服を作りたいんですけどね……その布見つけた瞬間それで、もう作るとかそういうのじゃなくなってて」
 言う緑樹神の声音も笑っている。これは長期戦になりそうだと、部屋が荒れた時点で既に諒解しているようで紫銀をぐるぐると藍色の布で覆ったあとは、反物からその部分は切り取っているらしい。仕立てはできるが、本人が横になって動かないのでは。漆黒はそうだなあとウィナのそれに返して、それから頭に置いていた手を藍色の下に入れる。頬を撫でて、顎を引くようにして上向かせれば、抵抗もなく視線は噛み合う。そこにふと、笑いかけた。
「黒が良いなら少しの間私に付き合ってくれるか。流石のウィナも、長さも測らんでは仕立ても何もないからな」
「……そと……?」
「外に行きたいか? その前に少しな、色々測りたいんだが」
「…………」
 反応はない。だが抵抗もないと見て、少し強引だがと思いながら両腕を伸ばした。小さな子供にしてやるように両脇に手を入れて支えて、自分が立ち上がるに合わせて立ち上がらせる。鋼がきゅうきゅう鳴きながら細い肩に潜り込むのを見つつ、ふむ、と声が漏れる。
「軽いな。そら、しっかと立て」
 言ってやれば、藍色が剥がれ落ちていくのには抵抗するように手を伸ばして掴んだ両手があるくらいで、子供の両足はちゃんと床の面を掴んでくれる。それにはよしと頷いて手を離そうとして、それを察してか片手が袖を掴んでくるのには目を瞬いた。どうした、と問いかける声が出てくる前に緑樹の笑い声。
「懐かれてますねぇ」
「……そう、か?」
「そうじゃないですかねぇ? ほら」
 緑へと向いていた眼が引き戻される。胸元に銀の頭が藍色をかぶったまま寄りかかってきていて、腕が背中に回っている。抱きつくにしては力は弱い、だがただ寄りかかっているよりは距離は近い。一瞬なんだと眼を見張ってから、それからふ、と、息が漏れた。
「……なんだ、どうした? 寒いか?」
 今のうちに、と、平紐の測りを手に取った緑樹が立ち上がった音には、僅かに体を硬くして腕に力が篭るのがわかる。抱き返して頭を撫でてやりながら、その背丈や肩幅を手早く測っていく緑樹には声を向けた。
「しっかりと肌を覆うような、少しきついくらいのものでいい。重く作ってやれ、その方が良いだろうからな」
「分かりました。なら刺繍も多めに重ねますかね。……合わせる色は紫がいいか紅がいいか、翠がいいか……」
 ぶつぶつと言いながらウィナは部屋の隅に置いてある棚に向かう。何色か、生糸を染めたそのままの糸束を手にして戻ってきて、回り込んで視界に入るようにそれを見せようとするのは少し顎を引いて促してやれば、おどおどとしながらも紫瞳はそちらを向いた。
「赤と紅、青と蒼、緑と翠。あと紫と灰色な。どれがいい?」
「……これ……」
 小さな返答は全身に纏った藍色を握りながら。苦笑したウィナは、だが呆れた様子もなく返す。
「その色は一番上に被せるから大丈夫だ。ちゃんと入れてやる。他にあと二つ色を入れないといけないんだ、好きな色でいいぞ。でも一枚に二つまでな。まずは上衣の色。藍色はローブの色にするから、だから上衣は上から二枚目な」
 言いながら、背をかがめるようにして視線を合わせながら糸の束を示す。紫銀の腕はもう両腕とも漆黒の背の上衣を握りしめていたが、ややあってから右手が浮く。躊躇うように、まずは青――深い色に軽く触れるのが見えて緑樹は破顔する。
「青な。もう一つはどうする? 一番下にしたい色」
「…………これ、」
 次に細い指先が触れたのは翠。だがそこで言葉は終わっていないと緑樹が待つ間に、指先が動いて鮮やかな紅に触れた。
「……模様、……これがいい……」
「ん、刺繍な。どんな模様が良い?」
「……鈴蘭、……ちょうちょ、……樹の、枝……」
「ん、わかった。他に何か、あった方が良いのあるか? 髪結いたいとか、腕環とかでも」
「……被さる、の、……髪、編んで、むすぶ……」
「ん、了解。半日くらいくれ、そしたら出来上がるから。それまでは散歩してても良いし、そこに長椅子あるから寝てても良いし。外すっごい晴れてるから、日向ぼっことかどうだ? そしたら、日が暮れる頃には出来上がってるからさ」
「……そと、……」
「あそこの扉出たら外だ」
 言いながら、部屋の奥の扉を指差す。紫はそこを向いて、どうやらすっかり落ち着いた様子で眼を瞬かせていた。
「ちょうど南向いてるし、窓あるから何かあれば声かけてくれれば良い。あったかいぞ、レギュレも帰ってきてるしな」
「……ん、」
「好きにしてて良いぞ。すぐのところの湖で遊んでても良いけど、深いところあるから気を付けてな」
「……湖?」
「そ、湖。クィオラの湖だ、落ち着くぞー」
 言って銀の頭をわしゃわしゃと撫でて、銀と金でつないだ装飾を据わりを直してからウィナは机に向かう。選ばれた色の束を置き、残りは戻して、床に散らばった反物は彼の手の一振りで勝手に舞い上がって巻き取られ、定位置に収まっていく。それを不思議そうに眺めてから、不意に見上げてくる紫が朧でも意思を宿しているのが見て取れて、それで抱えてやった背を軽く叩いて手放してやる。
「一緒に行ってやろう。散歩でも昼寝でも、湖で遊ぶのでも良いぞ」
 言えば、紫は扉の方を向く。全身に絡げられた藍色の布を、今度は頭から被せて胸元で交差させ、腰の後ろで緩く結んでやってからもう一度背を軽く叩いてやれば、藍色を引きずりながら紫銀は扉に向かって、陽光の下に足を踏み出した。



 天界の中にも精霊はあちこちを飛び回り、あるいは龍神や各々の主たる神の補佐や部下としてあちこちを行ったり来たりを繰り返している。
 その精霊たちが一瞥だけ向けて目礼だけ残して消えていくのは、恐らくは、と思いながら湖へと向かえば、湖畔にはやはり漆黒の姿があった。傍らには鋼色が行儀よく腰を下ろして並んでいる。
「エシャル様、やはり此方に」
「ああ。悪いな、少し荒らさせてもらっているぞ」
「なんの、あの子が水を好いて居てくれるのであれば、わたくしも報われた思いがいたします」
 漆黒に向かって足を進めながら、見遣った水面には何重もの波紋が広がっている。その波紋を割って息を継ぐように口を開け息を大きく吸っているのは、すっかり全身を濡らして銀の髪をうるさそうに肩の後ろに追いやっている少女の姿だった。
 ――それでもやはり、水辺を、水の最中を好むのかとは、昏い思いが立ち上る。どうしようもなく、ただ見つめるだけだったその中に声が聞こえた。
「クィオラ? どうした?」
「あ、いえ、申し訳ございません。八草より夜風の空位を懸念する旨、手を預かってございます」
「そうだな、夜風が居ないとなれば星の動きに問題がある。此方に、今読んでしまおう、お前はあの子の様子を見ていてくれるか」
「はい、畏まりました」
 漆黒の傍、すこし離れた場所に両膝をついて、上着の中から簡素な手紙を取り出す。差し出せば無造作に、それでも乱雑にではなく受け取って蛇腹に折り畳まれたそれを開く。漆黒の黙読の間に湖面に眼を向ければ、波紋は静まって、水面より上には何も見えなかった。苦笑する。水は己の管轄だ、紫銀の子が深い深い湖底に自ら沈んで、そこからきらきらと揺れる湖面を見上げているのがわかる。
 安らいでいるようだった。呼吸も長く続くようだった。ゆらゆらと揺れる、ただ幅広の布を帯で留めただけの衣がゆらりと水の中に立ち上るのを見て手を伸ばし、湖底の薄い泥を蹴って緩やかに浮き上がってくる。
 ぷは、と音を立てて息継ぎした天秤の子は、またそのまま水の中に姿を隠す。上向いて湖面の光を見つめている。唇からすこしずつ空気が抜けていく、それに合わせて眼を瞑る。精霊たちが手を貸しているようだった。呼吸は絶たれているのに苦痛を感じている様子はない。或いは癒しの水として、この湖の湖底に眠ってしまうだろうかと思う、それに合わせて黒が動いた。
「配置を変えねばな」
「……それほどまでに、窮しておりますか」
「ああ、精霊では力不足だ。何れかの神……暇神を置いてもいいが奴らは『何もしない』ことが仕事だからな。たまに召喚魔法の代償を取り立てに行ってるはそうなんだが、さて誰を据えたものか……っ、と、あの子はどうだ?」
「湖底まで行って、とても穏やかに。精霊たちが必要な気を与えていますから、溺してしまうことはございません。……やはり水が必要なのでしょうか、下界に於いても」
「天秤は、今はキレナシシャスか。あの地では難しかろうな、平穏を得る前に凍えてしまう。……そうだな、ラィルエヴィア、天文の子弟の子だが、あれが今は最も夜風を司るに相応しいかろう。八草にはそのように伝えてくれ」
「畏まりました、エシャル様。……その、出過ぎた事とは思いますが、どうか一人の子として接されませ」
「分かっている、そう何度も言うな。……自分が酷薄とは思わんが、龍神に言われるとはな」
「わたくしどもと、漆黒の方とでは立場が違いすぎます故、諫言にはご寛恕を」
「わかっていると言ったろう。漸くあの子も自分で動けるまでに『枷』を外せたんだ、あとは本人に任せるさ」
 水の音がして、見れば銀を幼い手つきでかきあげて撫で付け、それから岸に上がってくる。すこし離れた場所に立ち上がった足に布靴はなく、草の感触を直に感じながら駆け足で距離を詰めた天秤の子は、膝をついて鋼色を抱え上げて、それから無防備に草の上に転がった。もう眼を臥した目元や頬に水滴が流れるのも気にせず、鋼が目元にたまった雫を舐め取り、首もとに頭を埋める。どうやら両者ともにこうしているのが一番安心するらしい。水の中に鋼を連れて行かなかったのは、その間だけは一人でも大丈夫だったのだろう。たった一人であっても。
「……八草にはそう伝えてくれ。それから、下界の様子は?」
「天秤の魂が戻るのを、ただ静観して待っているだけにございます。ただ双剣の子が光王との対面を望み、王がこれに応えられました。追って王から報せがあるかと存じます。あの方は、他者が禁忌を被る寸前まで守護の子から離れないお方ですから」
「わかった。戻ってくるには暇が掛かりそうだな、下界の時はこちらよりも長い。双剣がというのも不穏だが……あの者は自ら天へと思うことは無かったろう」
「はい。その理由も含め王からの報告をお待ち頂きますよう」
「ああ。そうだな、レギュレが戻ったら水で報せ。すぐに戻る」
「それまではこの子を?」
「見ておらんとな。精霊たちには怯える。龍神は、ウィナには慣れたらしいがな。……目を開けた時には違ったんだがな、今は下界の知識も記憶も持たない様子だ、初対面と思って接せ。危ないことには敏感だが快も楽も知らぬように見える。そう感じて居てもそれが好いとは分かっていない」
「……はい、畏まりました。十色にもそのように伝えます」
「ああ、頼んだ。何かあればすぐに知らせろ」
 水麗はただ頭を下げた。礼を残して立ち上がり、踵を返す。主殿に戻る道すがら、水辺で振り返れば、水に濡れた頭を撫でる漆黒の袖が見えた。




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